第50話 追放侯爵令嬢様と初めての指定依頼1


 二重結界都市ヘカタイは過去に二度滅亡の危機を経験している。

 一度目は魔境を切り開きヘカタイの都市が築かれて十年ほど経った頃に大規模な魔物の襲来を受けて。

 二度目は六十年程前の話だ。

 記録に拠ると人類は今よりずっと魔境の奥まで切り開いていたらしい。


 新たな街を建設しようかという計画まで上がっていたので、当時の人類の頑張りは本物だった。

 その先駆けとして手を上げたのが当時の司教だった。


 彼は現在の辺境伯の祖父にあたるタイナー辺境伯を説き伏せ、教会という名の要塞を建てる計画をぶち上げた。

 その計画は今から見れば性急に過ぎたように見えるが、当時のヘカタイの街が持つ勢いと熱量は凄まじく、教会建設計画は驚くべき速さで実行された。


 かくして教会は完成し、ここから新たに魔境の征服と開発が始まるのだと息巻く人類の前にソイツは現れた。

 〈八足三腕〉、〈剣の足〉、〈三眼〉、通称はあれど正式な名前は無い。


 何故なら見たことの無い、そしてその後も確認される事の無かった魔物だからだ。

 記録によれば剣で出来た八つの足を持つ馬の下半身を持ち、サソリのような尾を持つ人のような上半身を持つ魔物だったと言われている。


 そいつはある日突然、新たな人類の前線基地となっていた教会に襲いかかった。

 当時の教会には多くの冒険者が集まっていたそうだが、彼らはたった一匹の魔物に蹂躙され大きな被害を被る事となった。


 記録によればおよそ半数の冒険者が死んだとされている。

 魔境の最前線へと赴くような冒険者がたった一匹の魔物のせいでそれだけ死んだというのだから、そいつの出鱈目さが良く分かる。


 最前線へと赴く冒険者に多大な被害が出た、というだけでも大惨事だが、惨事はそれだけでは終わらなかった。

 そいつの襲撃に呼応するように魔境の森から大量の魔物が溢れ出してきたのだ。


 魔物の群れはあっというまに人類が切り開いた魔境を走破し、ヘカタイの街へと辿り着いた。

 詳細はざっくり省くが、ヘカタイの街での死闘は数ヶ月続き最終的には多大な犠牲を払い八足の魔物を討伐し、ファルタール王国オルクラ王国の騎士団連合の到着によって辛くも人類の勝利となった。


 この襲撃による被害は大きく、その傷を癒やす間に人類は切り開いた魔境の領土を全て失う事となったと言われている。


 *


「その教会は今も魔境の森にあるのです」


 ビバル司教は長い昔話を終えるとそう言った。

 真剣な顔で昔話を始めた時はどういう事かと思ったが、やっと本題に入るようだ。


 正直な所、本気で聞きたくないし出来れば今からでもエリカを連れて出て行きたいぐらいだ。

 何を語られるにしろ面倒しか想像できない。


「当時の司教は決して気の迷いで教会を建てようとしたわけではないのです。その証拠に彼の地の教会には神器が祭られているのです、今も」


 ビバル司教の口から出た言葉はとんでもなかった。

 あまりにも唐突にそして当然のように語られたので一瞬そのまま流しそうになったが、理解が追いつくと唖然としてしまった。


 シャラが驚きの余りポカンと口を開けているのを見て、驚いているのが俺だけでは無いと分かって落ち着きを取り戻す。

 教会の神器が魔境に取り残されている等というのはとんでもないスキャンダルだ。


 それが六十年以上も隠されていた事にも驚きだが、そんな重大な秘密を突然明かされるというのは驚きよりも困惑が勝る。

 まさか冥土の土産というわけではないだろうが。


「お分かりの事でしょうがこれが外に漏れると我々教会も、そしてヘカタイの街としても大変な事となります」


 神器と言えば宗教的な象徴としても有名だが、それ以上にヘカタイの結界器の核としての方が有名だ。

 神器で作られた結界は他の結界器のように膨大な魔石を消費する事無く強大な結界を生成維持できるのだ。


「という事は現在のヘカタイの結界は……」


 質問というより思わず疑問がそのまま口に出てしまった。

 ビバル司教は気にした風もなく首を横に振る。


「いえ神器は一つではありません、教会にはその一部を設置したと考えて頂ければ。ただその分、当時よりも結界の強度は下がっているようですが」


 どちらにしろ外に漏れて良い話ではない。

 それを話されたという事は……。


「そこで本題なのですが」


 耳を塞ぎたい衝動を堪える。


「その神器をロングダガーご夫妻に取り戻して頂きたいのです」


 *


「すいません、私がお二人の事を司教様にお話した為にとんでもない事に」


 沈んだ表情でシャラがそう言ったのは、ビバル司教から神器奪還の依頼をされた翌日。

 魔境の資料を探そうと足を運んだ、冒険者ギルドにある図書資料室での事だった。


 エリカが本棚から半分ほど抜き出していた本を戻して振り返る。


「気にする必要はありませんよシャラ」


 そう言ってシャラの手を優しく両手で包みエリカが微笑む。

 魔道具の照明に照らされる赤髪が優しく揺れる。


「わたくし達には目的があります、教会からの指名依頼はそれに合致がっちしますから迷惑ではありません」


 そう言ってエリカが視線だけで俺に同意を求めてくる。

 思わず出そうになる溜息を我慢して「そうだな」と返す。


 そうなのだ、エリカはビバル司教からの依頼を二つ返事でその場で承諾したのだった。

 これにはビバル司教も驚いていた、流石に何かしらの理由を付けられて断られるか返事を引き延ばされると考えていたのだろう。


 ちなみに俺も大いに驚いた。

 家に帰ってから何故依頼を断らなかったのかと尋ねたら、危険に挑むのは冒険者の常道でしょう、という非常に格好いい返事が返ってきた。


 やっぱり俺の好きな人は凄い。

 綺麗な上に格好いい。


 それはともかくとして、エリカの言葉や俺の言葉でもシャラの沈んだ表情は完全に回復する事はなかったが、多少はマシにはなった。

 いやしかし本当に演技には見えないな。


 状況から考えると教会の計画通りのようにしか見えないので、シャラのこの様子は演技だと考えるのが自然なはずなのだが。

 シャラからは演技臭さが一切感じられない。


 こう見えても貴族である。

 不得手なのは自覚しているが腹芸の類いにはそこそこ慣れているつもりだったのだ。


 だがしかしシャラからはその手の物はまったく感じられない。

 一瞬、シャラは演技などしていないのではないか? という疑問が頭をよぎるが、そんなはずは無いだろうと考え直す。


 教会からすれば危険な依頼を面倒な人間に押しつける事が出来て万々歳だろう。

 魔境の奥地まで行かなければならないのだ、それも依頼の性質からいって少人数で。


 失敗の可能性が高いと教会は考えているだろうし、失敗すれば何かしらの難癖を付けてくるだろう、何なら死んでくれとすら考えているはずだ。

 そして成功したなら成功したで教会からすれば何一つ失う物はない。


 してやられたな、というのが正直な感想だ。

 だがそれと同時にこうも思う。


 俺達が教会のこの依頼を見事達成した時に奴らはどんな顔をするのだろうか? と。


「常道を進むに何をはばかろう事がありましょうや……か」


 俺がいつかのエリカの言葉を呟きながら本棚へ本を戻すとこちらを見るエリカとシャラの視線に気が付いた。

 エリカは満足げな笑みを浮かべ、シャラは何か信じられない物を見たような表情だった。


「その通りでしてよ、旦那様」


 エリカが獰猛な笑みを浮かべ。


「魔境の奥地に続く非常識な常道なんて無いですよ」


 とシャラが泣きそうな顔で言った。

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