第14話 追放侯爵令嬢様と一緒に初めてを振り返る4

 俺が叫ばなかった事を、身体をビクリとも震わせなかった事を、そして噛まずに冷静に返せた事を、誰か、誰でも良い、褒めてくれ。

 俺は言った、いや言えた。


「何が?」


 ちなみに心中の声では、なななな何がです?だ。 エリカ・ソルンツァリは躊躇ためらうように吐息を吐くと俺にこう言った。

 やめてくれ、その吐息とかやめてくれ、心臓がもたないからホント。


「人を殺した事です」



 *



 彼女はこちらの返事を待たずに話しだした。


「わたくしは初めてでした」


 だがその声には後悔という物は感じられなかった。

 あるとしたらそれは戸惑いだろうか?


「ですが実感が無いのです、わたくしはアレを魔物かと思っていましたので」


 ちなみにだが、魔物と魔族は違う物だ。

 もっとも魔族を見た事が無い者は同一視する者も多いが、実際に見た事がある者は例外なく違う物だと答える。


 魔物と対峙した所で、魔族に対するあの強烈な忌避感を感じるような事はない。

 当たり前だがエリカ・ソルンツァリは侯爵令嬢である、魔物とすら対峙した事は無かっただろう。


 学園でも実戦は四年目での課題だ。

 命を奪う経験は、せいぜい学園の課題にあった自分の剣で家畜を殺す経験をする程度だ。


「貴方にアレは元は人間だったと教えられた今でも、正直な所を言えば実感がございませんの」


 エリカ・ソルンツァリは軽く首を横に振る。


「別に貴方の事を疑っているというわけではないのですよ? ただ殺しておきながら実感も無いというのは何だか失礼な気がして」


 そう言って彼女はまとまらない言葉を探すように空中へ視線を這わす。

 その横顔を見ると自然と言葉が出た。


「俺も初めてだったよエリカ・ソルンツァリ」


 夜空を見上げ、目を瞑る。

 今日殺した三人の男達の顔を思い浮かべる。

 どれも平凡な、どこにでも居そうな男達だった。

 特別悪い人相をしているわけでも無い、どこにでも居そうな、この街にも。


「だが後悔はない」


 俺はそう断言するし、断言できる。


「君を守れたからだ、君を守る為と自分で決められたからだ」


 貴族であるなら、断言しよう。

 自覚が有ろうと無かろうと、いつか必ず自分の決断で誰かが死ぬ。

 それは罪人の首を落とすよう命じた時か、多数の利益の為に少数を切り捨てる時かは分からない。


 だがしかしそれはいつか必ずやってくる。

 家を継ぐわけでもなかった次男坊の俺には、直接決断を下すという事はまぁ巡ってくる可能性は低かっただろうが。


 それでも家が決めるとは、それに属する自分もその決断と結果を担うという事なのだ。

 だが俺は、そんな自覚も出来るかどうか怪しい初めてではなかったのだ。


 自分の意思で、エリカ・ソルンツァリを守る為にと、守りたい為にと決断したのだ。

 そこには後悔など無かった。


 今日殺した三人の顔を思い出してなお、俺は自身の初めてを後悔しない。

 ただの身勝手な考えかも知れない、そう俺は思いつつも彼女にも曖昧であってほしくない。


「君はあの時、何を思って剣を振るった?」


 俺は彼女を見て言った。

 空中をさ迷っていた彼女の目が俺の目を捕らえる。


 エリカ・ソルンツァリは一瞬だけ考え、そして苦笑のような微笑みを浮かべる。


「御者と……お疲れのような護衛を守って差し上げなければと」


 正確には御者兼護衛と旦那様でしたが、と彼女は笑う。


「だとしたら」


 俺は言う、君の決断と結果は曖昧な物の産物ではなかったのだと告げる為に。


「俺は君に礼を言うべきだろう。エリカ・ソルンツァリ、ありがとう俺の為に剣を振るってくれて」


 少しの沈黙と小さな頷き。

 それらの後に、どういたしまして、そう応えて彼女は身体をこちらに向ける。


「でしたらわたくしからもお礼を、シン・ロングダガー。貴方の剣によってわたくしの道に立つ露は払われました」


 今も――、そう付け加えて彼女は笑った。



「そう言えば」


 エリカ・ソルンツァリが何かを思い出したかのように言ったのは、何とも言えない気恥ずかしさのようなものから再び二人で街に視線を戻した所での事だった。


「シン・ロングダガー、フルネームでわたくしを呼ぶのは貴方の覚悟の表明であろうと汲み、わたくしもそれにならいましたが……やはり面倒ですわ」


 俺は何だか妙な誤解をされている事に気が付いた。

 エリカ・ソルンツァリと呼ぶのは何の覚悟かは知らないがそんな物は一切関係ない。


 単に俺がエリカと呼ぶのが恥ずかしいだけだ。

 いや無理だろ名前を呼ぶとか。


「わたくしはこれからは貴方をシンと呼びますわ。貴方もわたくしをエリカと」


 難易度高くないですかね?

 誤解を解く間もなく跳ね上がる難易度に俺は戦慄する。


「これは別に貴方の覚悟や思いを無視するというわけではなくこれからの一年での――」

「エリカ」


 勢いだけで言った。

 言ってしまった。

 バルコニーに妙な沈黙が降りる。

 呼べと言いつつ呼ばれたら黙るとか勘弁してくれないだろうか、恥ずかしくて死にそうになるんだが。


「ええ、それで行きましょうシン」


 沈黙を破って彼女が笑う、エリカ・ソルンツァリが、エリカが黄金色の魔力をきらめかせながら。


「それに間違っていましたものね」


 エリカがからかうように笑う。


「わたくしは既にソルンツァリの人間では無く、ロングダガーの人間なのですから。正しく呼ぶならエリカ・ロングダガーでしてよ旦那様」


 そう言って彼女はバルコニーから去って行く。

 危ねぇ……。

 あやうくバルコニーから飛び降りかけた。



 その日の夜。

 俺がベッドで彼女に旦那様と呼ばれた事を思い出す度にベッドの中で暴れそうになると。

 隣のベッドからバタバタと激しい寝返りの音が聞こえてきてなかなか寝付けなかった。

 そうか、彼女は結構寝相が悪いんだな。


***あとがき***

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