包囲網-1

 竹組一同息を呑んでどよめく中、最も驚愕していたのは棘だった。《拷問官トーメナー》のつるぎが与える激痛の種類は様々で、棘にはそれを選べない。しかし、本数が増えるごとに加速度的に強度が増していくのは間違いない。


 無数の剣に貫かれるような、強酸の海に溺れるような、電動ヤスリで全身の皮膚を削られるような、四肢を馬に引かれて股から裂かれるような、睾丸こうがんを万力で挟まれるような――どれも、一回きりで意識を失ってもおかしくない、度を超えた苦痛のはずである。


 それを、この男は。



「〜〜〜〜〜ッ!!! ンーッ!! フー……ッ!! フー……ッ!!」


 四本目。巨人に、雑巾のように全身を絞られるような、皮膚、肉、骨がねじ切れる死の痛みが竜秋の体を掻きむしる。竜秋は両目から涙を流し、自分の手の甲を穴があくほど噛みながら、永遠に続く痛みに耐え続けた。


 これを耐えきったところで、それを超える次の痛みが来る。沙珱は動けず、助けも来ない。耐えることになんの意味があるのか――そんなことは、一切、考えていない。頭の中は真っ白だ。とにかく耐える。限界まで、いや、それをとっくに超えて耐えている。


 五本目――棘はもう、撃たなかった。鉄面皮の美貌を崩し、顔に玉の汗を浮かべて、その眼差しに畏敬の念さえ浮かべながら竜秋を見下ろす。


「もう……やめておこう。君は、倒れそうにない。僕も一本ごとに消耗するし……こんなの続けたら、脳に深刻な後遺症が残るよ。トドメは他の誰かに譲る」


 その言葉で糸が切れて、ぐらり、とついに沙珱の横に倒れ込んだ竜秋に、竹クラスの生徒たちが色めき立って我先にと進み出る。


「……すごいな、君は」


 彼らに場を譲るように背を向けた棘に。


「――マチ、ヤガレェ……」


 ぐわり、と上体を起こす、死にかけの獣。


 二の足を踏む竹クラス一行には構わず、竜秋は鬱血うっけつした眼球にただ棘だけを捉えて、ふらり、ふらりと前進する。


「……オラ、こいよ……まだ、俺は……倒れて、ねえぞ……」


 どう見ても戦える状態ではない。それでも竜秋は足を止めない。なぜ。どうして。これ以上激痛に晒されれば、たとえそれが肉体に傷を残さない幻想だったとしても――確実に脳に障害が残る。いや、今だって、とっくにイカれていてもおかしくない。


 沙珱は、遠ざかっていく背中の大きさを、眩しげに細めた目で見つめた。



『あなたのことが、少しだけ羨ましい』



 ――あぁ、私に、あなたのたった十分の一でも、強い心があったなら。


 無能力者と聞いたとき、驚いた。全くそんなふうに見えなかったからだ――生き様が。


 一番に佐倉に立ち向かった。勝てなくても、現実を突きつけられても、折れなかった。それどころか次々に手段を変えて、挑み続けた。沙珱に、頭を下げてまで。


 私のような力が彼にあったなら、彼はどれだけ高みにいけただろうかと、竜秋の奮闘を見るたびに沙珱は時々考えた。


 なぜ、あの夜、《白鬼》は私に宿ってしまったのだろう。こんなにも脆い、私なんかに――


 ふらり、と倒れ込むように、竜秋は棘に向かって駆け出した。本来の彼からすれば、あまりにも遅い。うろたえつつ、余裕を持って迎撃態勢に入った棘が、「……知らないよ」と五本目の剣を振りかぶる。


 距離、三メートル。今にも崩れ落ちそうな足取りで竜秋がそこまで接近したところで、棘が右手を振り抜いた。宙に浮いた深緑のつるぎが、あやまたず竜秋の脳天に――


 刹那、竜秋の姿が掻き消える。


「ッ!?」


 銀の光芒を引いて、竜秋の体が真下にブレた。紛いなく、本来の竜秋の動き。緩急差によって体感速度は普段以上――沙珱は心から瞠目どうもくした。


 残る力を全てかき集め、この一瞬のために温存し、あえて死にていのフリを!


「――ようやく、借りを、返せるぜ」


 銀髪の獣は、既に棘の真正面で、拳を握る。血走った目を見開き、満身創痍の口元に、悪童じみた笑みを浮かべて。


 それは、防御も回避も、始動さえ許さない、神速の拳。頬にめり込んでくる痛みを、棘は、不思議そうな顔で――どこか、穏やかな表情で受け入れた。


 大砲のように吹き飛んだ棘の体が、ジャングルを十数メートルも真横に穿ち、土煙と轟音を巻き上げて、遥か彼方に消えた。




『桜クラスのたつみ竜秋が、竹クラスの千本棘せんぼんいばらを撃破。ボーナス三倍、桜クラスに十五ポイントが入ります』



 絶句する沙珱と竹クラス一同が見つめる先で、竜秋が着地する。彼の戦いに見合う労いなど、沙珱の語彙では繕いようもなくて――言葉を探していた沙珱が、最初に異変に気づいた。


 竜秋が、拳を振り払った体勢のまま、動かない。


 彼の横顔を見て、言葉を失う。いつも勝ち気に輝いている目は死んだ魚のように濁って淡い灰色に沈み、口を半開きにした彼の表情からは、喜びも苦しみも、その輪郭りんかくすらを忘れたように、もう、一切の感情が読み取れない。


「……たつみ、くん……?」


 沙珱の呼びかけにも応えず、竜秋は――その場で、マネキンのように崩れ落ちた。

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