学園生活、始動!-1

 ニタニタ笑いながらコチラを向いた佐倉に竜秋が噴火する。


「なに一人合点ひとりがてんしてんだっ、消えろ!!」


「入学早々、たつみも隅に置けないねぇ」


「違えっつってんだろ殺すぞ!!」


 狂犬のように吠える竜秋を適当にあしらいつつ、「これなんだけどさー」と言って、佐倉は伊都に自分の服の右袖部分を見せた。


 教師にしてはラフすぎる、ゆったりした白のロングTシャツ。初めて会ったときから彼が着ていたものだ。その袖の前腕部が、なにか鋭い刃物で斬りつけられたみたいに、数センチほどぱっくり裂けていた。あんな破れ目、最初からあっただろうか?


「お気に入りなんだ、これ。直してくれない?」


「まったくもう、そんなことのために……貸し一つですよ」


「もちろん」


 豪快に脱いでインナー一枚になった佐倉は、外見からは想像もつかないほど引き締まった体をしていた。女性客のうっとりとした視線が腹立たしい。


 脱いだシャツを受け取った伊都は、破れ目を見つけると居住まいを正した。背筋を伸ばして、破れ目に指を押し当てる。


 不思議な現象が起きた。


 針も糸も持たないまま、伊都はその破れ目をつくろい始めたのだ。目にも留まらぬ早業である。よく見れば、極細の白い糸が彼女の指の隙間から見えた。


 あっという間に縫い終わり、破れ目などどこにあったのか分からないほど綺麗に修繕されたTシャツを「はいどうぞ」と佐倉に返却する。


「いい腕だねー、さすが」


「縫ったのか……? どうやって」


「私の異能バベルですよ。《裁縫師テーラー》。指先から糸と針を出せるんです」


 出会ったときから只者ではない雰囲気のあった彼女だが、異能バベルは意外と凡庸というか……道具を用意すれば済む話という、典型的なF層の能力だ。この異能バベルを授かってから、なおも塔伐者を目指そうとする人間が、果たして世界にどれほどいるだろうか。


 異能バベルの名称に職業の名が引用されるのは、その力をそのまま活かせる職業の一例を、使い手に指し示すためでもある。


 異能バベルを授かるのは十代前半。まさに将来の進路をこれから固めていく年代の子どもたちは、ほとんどが自分の異能バベルから適性のある職業を探そうとする。


 将来の夢を考えるのは異能バベルを授かってからで、それまでは口を揃えて「塔伐者になりたい」と大望を描くのが、現代の子どものステレオタイプだ。


 逆に言えば、いざ異能バベルが確定した途端に子どもたちは現実を見始める。たとえ医者になりたくても、スポーツ選手になりたくても、塔伐者になりたくても。それに有用な異能バベルの持ち主には、どう足掻いたって勝てない世界だから。


 向いている仕事、席の空いている仕事を厚労省が斡旋あっせんするため、失業者は少ない。だがそこに、夢を描ける余地はない。異能バベルの格付けによって最適化された世界――そのピラミッドの、頂点にいるのが塔伐者だ。


 それを養成する名門の学園に、桜クラスの皆や伊都のような"持たざる"人間が、意外にも多いことに驚く。持たざる者の最右翼としては、人のことを言えた立場ではまったくないが。


「あ、私の異能バベル、思ったよりショボいって思いましたね?」


「まぁ思ったが、使い道はありそうだ。そんな能力でも俺には羨ましい」


「わぁムカつくー」


「仲いいねお前ら」


 含み笑いの佐倉に、伊都は「ところで」と話題をそらした。


「誰に斬られたんですか? その服」


 鋭い視線に、「いやぁ」とわざとらしく佐倉が頭をかく。


「クラスの子にね。新一年生に不覚とるなんて、お恥ずかしい」


 ピクッと反応した竜秋が何か言うのを、さぞ楽しげに佐倉が待っていた。


「桜クラスのやつが、あんたに傷をつけたのか!?」


「そ。お前が気絶してる間に。これはいきなり有望株だね、すぐにでも松クラスへ上がっちゃうかも。誰かさんとは違ってね♡」


 恥も外聞もかなぐり捨てて、「誰だ!」とせっつくように聞いた。


白夜沙珱びゃくやさお


 今日最後に自己紹介していた、影の薄い黒髪の――あいつが……!?


「まぁたつみも頑張んなさい。期待はしてないけどね。じゃ、ありがとう式部。この借りはちゃんと返すよ」


「見てろクソがっ、絶対泣かすッ!!」


「あはは、楽しみにしてるー♡」


 ウィンクして、現れたときと同じように、忽然と佐倉は姿を消した。少し疲れたように伊都が息を吐く。


「君も大変ですねー、あの人が担任なんて」


「全くだ。一刻も早く松へ上がってやる」


「応援してますよ」


「……そういや、結局本題は何だったんだ。俺に話したいことがあったんだろ」


 すっかり忘れていたみたいに、「あぁ」と伊都が目を見張って手を合わせた。おい。


「そーでした。実は私、巽くんに謝らなきゃいけないことがあるんです」


「なんだよ?」


「面接のとき、私、君は塔伐者になれないって言ったじゃないですか」


「言ってたな」


 塔悽生物には異能バベルによる攻撃しか効かないから、異能バベルを持たない竜秋は塔伐者にはなれないという理屈の話だった。


「それで巽くんは、この学園に入って、塔悽生物に効く武器を自分で開発するって言いましたよね」


「言ったぞ。今もそのつもりだ。それがどうした?」


「――もうあるんです、それ」


 ……は?


 伊都は悪びれもせず、「ごめんなさーい」と顔をしかめて両手を合わせた。


「《塔伐器とうばつき》と言って、既に開発が進んで、とっくに実用化にも至っているんです。機密事項なので合格前のあのタイミングで教えるわけにもいかず、かと言って入学したら、君はすぐにでも資料集めぐらいやりそうだったので……だから今日会いにうかがったんですよ、早いほうがいいと思って」


 なんだよ、と背もたれに体を預けた。一気に脱力する。一度寮に戻ったら、まさに早速図書館にでも入り浸って先行研究を読み漁ろうとしていたところだった。


「人が悪いぜ、あんた……」


「ほんとすみません。そういう趣旨の面接だったので」


「どういう意味だ?」 


「受験者によってアプローチは変えますが、基本的に精神攻撃です。向いていない、適性がない、使えない、根拠とともに痛点を突いて、心を折る。その上で、志望動機を語ってもらう」


 覚えのある流れだ。竜秋は唸った。


「頭の中の台本を読み上げるような志望動機なんて、聞く価値がないですからね。特に、情報が規制されているこの塔伐者という職業は、危険性もその過酷さも闇の深さも、全く世に知られていない。生半可な覚悟では困るんです。入学してから挫折してしまい、この壁の中で際限なく堕落していくような生徒は、一人でも減らしたいのです」


 もういいよ、と竜秋はかぶりを振った。そもそも怒ってなんていない。むしろ《塔伐器》とやらが既に実用化されているなら、大きな手間が一つ減ったと喜ぶべきだ。


「つまり、俺は塔伐者になれるんだな?」


 面接のときに得られなかった答えを、伊都はまだくれなかった。


「それは君次第ですよ」


 まぁ、それもそうか。竜秋はもう一度椅子にもたれて鼻を鳴らした。


「その《塔伐器》ってのはどこで手に入る?」


「開発部に腕のいい人を知っています。よかったら紹介して……いや、やっぱりやめておきましょう。君は"厚意"より"取引"が好きみたいですから」


 言葉を打ち切って、伊都はそう微笑んだ。まだ長くない付き合いの中で、竜秋をよくわかっている。だから、居心地が悪くないのかもしれない。


「そうですね……《階級レベル》"30"以上になったら、紹介してさしあげます」


「レベル?」


「塔伐者の格を示す階級です。数字はそのまま、攻略に挑むことのできる【塔】の最大標高を表しています。レベル30なら、三十メートル級までの【塔】に入ることができるといった具合です。候補生のうちからでも、この数字は活躍によって上げることができるんですよ。新入生はレベル0スタート、端末からも確認できます」


 校長の宇崎も、そんな話をしていたことを思い出す。


「どうすればレベルを上げられる?」


「エンを稼ぐのとは違って、一朝一夕いっちょういっせきにはいきませんね。秋から始まる《塔伐演習》で、実際に【塔】の中で成果を上げるのが一番ですが……桜クラスは参加させてもらえないんでしたよね」


「秋までには必ず佐倉を倒してみせる。だが、《塔伐器ソイツ》は遅くとも、俺が初めて塔に登るまでには手に入れておきたい」


 でなければ、異能バベルの使えない竜秋は、塔悽生物を倒すことができない。


「ですよねぇ。なら、今度の《校内大会》で活躍するしかありませんねー」


「大会……!?」


 そわっ、と目を輝かせる竜秋を微笑ましそうに見つめて、伊都が仔細しさいを語り始めた。

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