落ちこぼれたちの現在地-3

 伊都に連れられて、竜秋は通りの角の二階にある小ぢんまりしたカフェに入った。窓際の席に座ると、アーケードを歩く生徒たちの頭がよく見下ろせた。


 メニューを選ぶのは早い方だ。カルボナーラと玄米カレーの二品を注文した竜秋を、伊都が「なんですか、その組み合わせ」と小バカにする。


「食いたいモン二つ頼んだだけだ。俺が払うんだしいいだろ」


「初日からそんな調子で、今月大丈夫ですかー?」


「今まで小遣いにほとんど手ぇつけてこなかったからな。金はけっこう持ってきた。寮に住むんだし、かかるのは食費くらいだろ」


 自信満々にカバンから分厚い財布を取り出した竜秋に、伊都が「え?」と困った顔をする。


「あの……現金はここじゃ使えませんよ」


「は?」


「入学案内の持参物欄に、現金なんて書いてなかったでしょう」


「いや、なくても持ってくるだろ、普通」


「……もしかして、佐倉先生から何も聞いてません?」


 何かを察したように伊都がため息をつく。


「ほんとあの人はテキトーですねぇ。たつみくん、学生証を出してください。ホーム画面の左上に黄色い金貨コインのアイコンがあるはずです、タップしてみて」


 学生証を取り出してみると、確かにそんなアイコンがあった。


「いいですか、学園内の買い物は全て、学生証にチャージされた《エン》というポイントで支払います。獲得方法は、毎月支給される固定給と、各授業や行事で優れた成績を残したり、これはまだ少し先の話ですが――【塔】を攻略するなどしたときに支給される歩合制の報酬ボーナスがあります。ほら、私達って一応塔伐者候補生じゃないですか。警察学校みたいに、学生だけどお給料が出るんです」


 それはなんとも、胸の踊るシステムだ。竜秋の性格上、数字によって明確な格付けがなされる世界は望むところ。はやる気持ちでコインのアイコンをタップする。


「佐倉の野郎、んな大事なことを……」


「新入生も、もう最初のポイントが入っているはずですよ。確か一年生の一ヶ月分は……松クラスが"十万"エン、竹が"三万"エン、梅が"一万"エンだったはずです」


 伊都が言い終わると同時に、竜秋の端末がポイントの残高を告げた。伊都にも見えるように端末をテーブルの上で水平に持ち、二人で覗き込む。



『1,000エン』



「……」


「……」


 見間違いではない。確かに千エンとある。よくメニュー表を見返してみれば、値段表記が「円」ではなく「エン」となっていた。パスタが六百エン、カレーが六百五十エンというところを見ても、一エンの価値は日本円の一円とほぼ同じだろう。


「すっくな……!? つーか、足りねえじゃん!!!」


「落ち着いて! ここは私が出しますから!」


「嫌だ!! おごられたくないほどこされたくない見下されたくないっ、奢られたら俺は死ぬ!!」


「過去になにがあったんですか!?」


 ひとしきり騒いだが、もう注文は通してしまった。物理的に払えない竜秋に選択肢はない。断腸の思いで机に手をつき、伊都に頭を下げる。


「か……必ず返す……!」


「君が頭を下げるなんて……」


 絶句しつつ、伊都は呆れたように笑った。


「可愛い後輩にランチを奢るくらい当然のことです。それにしても、ひどい扱いですねー、毎月千エンで生活しろだなんて。佐倉先生の設定でしょうけど。桜クラスとはまた……ホント読めない先生です、あの人だけは」


「ぜってー殺す……!」


「まぁ、寮にはタダで食べられる食堂があります。味は保証しませんが、実はポイントが枯渇しても野垂れ死にはしないようになっているんですよ」


「そうなのか……ひとまず安心した」


 真剣に豆苗とうみょうを栽培して食いつなぐ作戦を検討していた竜秋は、ほっと安堵する。


 料理が運ばれてきた。カルボナーラのクリーミーな香りと、玄米カレーのスパイシーな湯気が鼻腔をくすぐって、腹の虫を刺激する。こんな贅沢ができるのは今日限りだと思うと、スプーンを握る手にも力がこもった。ちなみに伊都は和風パスタを頼んでいた。


 歯軋りしながら、震える声で「いただきます」と手を合わせた竜秋に、伊都はずっと笑い通しだ。


「ポイントを稼ぐには、授業で活躍すればいいんだったな」


 カレーを口に運びながら尋ねる。――う、美味い……!


「えぇ。そう高額ではありませんが、塵も積もればですよ」


「ソッコーで稼いで、すぐ返す」


「それなら、またランチに誘ってくださいますか? ポイントの譲渡は原則禁止されてるので」


「あんたがいいなら」


 もちろん、とにっこり笑う伊都を、奇特きとくなやつだと思った。自己肯定の鬼である竜秋でも、こと二人きりで相手を楽しませる能力に限れば、全く自信がない。そんな力なんて必要ないと思っていたから。


「クラスはどうですか?」


「どうもこうもねぇ。最悪だ。桜クラスにいる限り塔には登れないんだと。佐倉を倒せば松クラスへ上げてやるって言われた」


「それはまた、突拍子のないことを」


「まぁ問題ない。超えるべき壁が一個増えただけだ」


「君らしいですね。でも佐倉先生を倒すっていうのは、君を決して軽んじるわけじゃありませんが、ちょっと無理難題に思えます」


 パスタを上品に巻いて口に運びながら、伊都は年長者らしい顔をして言った。


「あの人は日本でも最強クラスの能力者の一人です。彼に勝てる学生なんてこの世に存在しませんよ」


「あいつは自分の異能バベルをFランクって言ってたぞ」


「まさか。からかわれたんじゃないですか? 《鍵師の佐倉》と言えばこの世界じゃ有名ですよ。日本に十人もいないSランク能力者ですから」


「え……Sランクぅ!?」


 それは、発現確率およそ一千万分の一――一握りの神の寵児ちょうじにのみ与えられる称号。その存在自体ほぼ都市伝説に近い。


「ただ、Sというランクは本来、核兵器級の威力を秘めていたり、一人で国家を転覆しかねないような危険度の能力に与えられる特別なものです。佐倉先生の力は強力ですが、そのレベルかと言われると疑問も残ります」


「まだ俺たちには力を隠してるってことか……」


「――あれー、もしかして俺の噂してる?」


 あやうく持っていたフォークとスプーンを放り投げるところだった。竜秋と伊都の座るテーブルの横に、なんの前触れもなく佐倉が現れたのだ。


「なん……っ、だよ、いきなりっ!?」


「急に現れるのやめてください、心臓に悪いです」


 胸を撫でつつ、伊都はまだ竜秋に比べれば慣れた顔だ。店内に突然現れた美青年に、新一年生らしい女子たちが「誰!? あの度を超えたイケメン!?」「CG!?」と騒ぎ始める。


「いやーちょっと式部しきべに用があってさぁ。……あ、もしかして邪魔しちゃった?」

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