塔の学び舎-1

 桜舞う四月。真新しい制服に身を包み、竜秋は我が家を出発した。


 烏羽からすばめいた漆黒のワイシャツに淡い灰色グレー上着ブレザー・スラックスという独特な意匠の制服は、鍛え抜かれた竜秋の体に吸い付くようによく馴染んだ。


 三年間寮生活となる竜秋を、家族は別れを惜しみつつ見送ってくれた。母が思いのほか寂しそうな顔をしていて驚いた。連絡だってとれるし、夏と正月には会えるというのに。


「簡単に帰ってくるんじゃないよ、大飯食らいが減って家計は助かってるんだから。……まぁ、たまには連絡しな」


 竜秋の性格は、半分は母親譲りだ。


「頼まれたって帰ってくるかよ。……まぁ、たまにはな」



 開放された門の向こうに、今度はあのウサギはいなかった。事前に知らされていた案内のとおり、竜秋たち百名の新入生は敷地内中央部の講堂ホールへ向かった。最初に新入生全員を集めて入学説明会をするらしい。


 立派な丸屋根の講堂ホールの中は、さながら劇場だった。暗幕の降りた大きな舞台と向き合うようにして、フカフカの客席が並んでいる。受験番号が記された席にそれぞれが腰を下ろすなり、ただでさえ薄暗かったホール内が真っ暗になった。闇の中、小さく息を呑む新入生たち。



「――ようこそ、新入生諸君」



 暗闇が喋っているのかと錯覚するほど、低く穏やかで、甘く、どこか冷たい、夜の湖のように冴えた声が響き渡った。


「諸君らが今こうして、栄えある本校の制服に身を包み、ここに座すまでの日々を思うとたまらない。まずは、入学おめでとう。"校長"として心よりお喜び申し上げる」


 闇の中、ざわっ、と新入生が波打つ。塔伐科高校、東京校校長――現在その任を務めているのは、言わずと知れた、元・伝説の塔伐者。その素顔を見た者は誰ひとりいないとか。


 かすかに巻き取るような音がして、暗幕が上がっていく。ざわめきが広がる。舞台に二筋のスポットライトが当てられたからだ。まさか……伝説が、姿を見せるのか。一同が固唾をのんで見守る中、上がった暗幕の向こうに立っていた人物が、ついにその姿をスポットライトのもとにさらした。



「――やぁみんな、久しぶり!」



 あのウサギだった。



 お前かよ!!!


 全新入生が心のなかで同時に叫んだ。一気にどよめきが増した客席を満足げに見渡しながら、『ボクが本日の主役です』と書かれたタスキをかけたウサギは「いいフリだったでしょ?」とふんぞり返る。


「とまぁ、場も温まったところで。ボクが校長の兎崎うざきだよ。二月に校門で会って以来だね。受験者の顔を一番最初に見るのがボクのポリシーでね、毎年あそこで出迎えているんだ」


 あのふざけたウサギが、元伝説の塔伐者だと。竜秋は身を乗り出してワナワナ震えた。


 腐っても武人を自負する竜秋は、直接見ればその人間がどれだけ強いかをある程度見極められるつもりだった。あの鬼瓦や伊都がかなり"やる"のはすぐに分かったし、集まっている新入生の中にも頭抜けた人間が何人かいる。


 だがあのウサギからは、最初会ったときから何も感じなかった。いや、"何も感じさせなかった"時点で、これまで出会ったどんな人間からも逸脱していると気づくべきだった。


「長い挨拶は好きじゃないから、手短にいくよ。まず、改めておめでとう、金の卵たち。今日から君たちは塔伐科高校の生徒だ。同時に本日から、君たちは《塔伐者候補生》という立場になる。順調に段階を踏んでいけば、秋にも君たちは教員同伴で【塔】を登る権利を得る」


 おおっ、と新入生たちが色めき立つ。【塔】の内部を見ることができるのは、この世で塔伐者のみ。映像も一般には一切出回っていない。全くの未知の世界――そこにロマンを感じない人間が、この場所に座っているはずがない。


「君たちにはこの三年間をぜひとも、有意義で刺激的な日々にしてほしい。さて――」


 間抜けなウサギ面とはアンバランスな甘い声で、軽快に語る校長が言葉を切った直後。


 十メートル近い天井にまで達する巨躯きょくの怪物が、突如舞台に出現した。


「は……っ!?」


 金切り声に近い悲鳴が上がる中、竜秋はすぐさま立ち上がり、臨戦態勢を取っていた。舞台の上にいるのは、真鍮しんちゅう色の蟷螂かまきりのような怪物だった。巨木めいた八本の節足で立ち、黄銅の外殻で甲冑のように体を覆っている。最も特筆すべきは両腕に接合された、刃渡り実に目算七メートルを超える鎌の威容。


 その鎌がぐわっと振りかぶられた瞬間、一気に悲鳴が爆発した。何人かの生徒たちが、とっさに己の異能バベルで迎撃を試みようとする。


「おっと、ストップ。勇敢な生徒が多いことは嬉しいけど、攻撃は控えてね。これはホログラムだから」


「ホロ……グラム?」


 言われて初めて、巨獣の輪郭の僅かな乱れなどから、ようやくこれが投影された映像だと気づくレベルの、凄まじく精巧なホログラムだった。


「驚かせてごめんよ。何も知らない君たちに、まずは"敵"を見せるのが一番手っ取り早いと思ってね。――こいつが塔棲生物の王。【塔】最上階で君たちを待ち受けるボス、《レグナント》だ」


 まるで目の前にそびえ立つ巨獣が質量を帯びたように、息も詰まる重圧が新入生たちにのしかかる。


「これはウチの生徒たちが去年攻略した、五十メートル級の【塔】のレグナントを、参加生徒の記憶を元に再現したものだ。強そうだろう? 怖いだろう? 実際強いさ、


 あまりにあっさりとウサギの着ぐるみが言うので、その言葉の重みも、新入生全員危うく聞き流しかけた。


 背筋に冷たいものが走る。蟷螂かまきりの鎌が、ギラリと光って闇に浮かんだ。


「【塔】は一般的に、巨大であるほど攻略難易度が跳ね上がることで知られる。だから【塔】そのものと、君たち候補生を含めた塔伐者には階級レベルが査定される。自分のレベルに見合った規模の【塔】にまでしか侵入許可がおりないシステムなんだ。……それでも、こんな風に、稀に"ハズレ"を引くこともある」


 無表情のウサギ面が、どこか悔しげにうつむく。


「優秀な生徒たちだった。本来、五十メートル級なんて全く問題にならない子たちだ。教員もついていたしね。それでも凄惨な犠牲が出た。つまり【塔】とは、そういう場所だ。ここは、そういう学校なんだよ。中を覗くまで鬼が出るか蛇が出るか分からない、セオリーが通じない【塔】がある。ここに来たからには、君たちはいずれ、それに挑むことになるだろう。……だから、かわいい金の卵たち。校長との約束は一つさ」


 ウサギは一本、短い指を立てて伸ばした。


「――学びたまえ、死ぬほどね。ボクら教員は、君たちを強く、聡く、育て、そして生かすためにここにいる。この学園での日々を一分一秒たりとも無駄にせず、死ぬ気で食らいついてきてほしい」


 沈痛に押し黙る者、奮い立つ者、涙ぐむ者。様々な顔で舞台を見つめる生徒たちから、拍手が起こった。

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