塔の学び舎-2
校長と入れ代わりで、くたびれたスーツ姿の教員が壇上に上がった。ボサボサの黒髪。黒縁眼鏡の上からでも、充血した目と青紫色のクマがよく見える。まだ二十代の若さに見えるが、ほとんど死に体の覇気のなさだった。
「えー……本校雑務主任の黒沼です……皆さんこのたびはご入学おめでとうございます……ようこそ漆黒の学び舎へ……」
光のない目で怖すぎることを言い出した。
「あ、間違えました……漆黒なのは本校の労働環境だけでした……主に私の……ははっ……皆さんはどうぞ、自由で刺激的な学校生活をエンジョイしてください……私の犠牲の上で……」
実にエンジョイしにくい一言に続けて、黒沼はボソボソと業務連絡を始めた。竜秋は彼を"社畜"と命名した。
「皆さん、座席の左側の肘掛けを開けてみてください……」
言われて竜秋は、左手で太い肘掛けに触れた。上部がカパッと開く仕組みとなっており、中には一台、なにやら薄型の携帯端末が収納されていた。
「んだ、これ?」
手に取ると、画面が点灯して竜秋の顔を照らす。『入学おめでとう』というポップな文字列に続いて、なにかの認証画面らしきものが開いた。――『学籍番号2100406 一年桜組 巽 竜秋』。
「それは皆さんの"学生証"……学園内で使用できる多機能スマートデバイスです……。履修登録、課題提出、資料閲覧、成績管理から、通話、メッセージのやり取りはもちろん、学園内SNS、ゲーム、ショッピングまで、あらゆることがその一台でできます……システムの整備に三日徹夜しました……」
手元の魅力的な
「……今は画面ロックしてあります、授業中など、不必要な場面での不適切な使用は処分対象になりますから、節度ある使用を心がけて……。使い方はおいおい覚えていってください、音声ガイダンス機能もありますので……。では、画面に表示されているご自分のクラスを確認してください……」
黒沼の指示で、全員が画面に目を落とす。竜秋のクラスは、『桜』だ。
「本校では全学年、"三つ"のクラスに分かれています。成績の優秀な順に――一口に優秀と言っても、戦闘力なのか、技術力なのか、研究成果なのかは様々ですが――"松"クラス、"竹"クラス、"梅"クラスにランク分けし、半年に一回入れ替えを行うシステムです……。それぞれの教室の位置情報が学生証に表示されますので、各自、これから移動して教室にて担任からガイダンスの続きを受けてください……」
「……あ?」
眉を吊り上げ、竜秋が不機嫌な声を漏らす。三つしかないというクラスの名前に、竜秋の"桜"がなかったではないか。早速不手際かよ――文句を言ってやろうと手を挙げかけた竜秋より一瞬早く、「あのぉ〜」と軽薄な感じの声が上がった。
「オレのクラス、呼ばれなかったんすけどぉ〜……"桜"クラスってどこに行けばいいんすかね?」
明るい茶髪を爽やかに整えた、いかにもチャラい雰囲気の少年が、竜秋の代わりに質問してくれた。「桜」と彼の口から出た途端、黒沼の顔が露骨に"嫌そう"に歪む。
「えー……教室の位置情報が学生証に表示されますので……」
オウムのように先程と同じ内容を繰り返して、黒沼は説明を勝手に締めくくった。
彼の言葉通り、学生証の画面が切り替わって、竜秋の端末にも校内の地図らしきウィンドウが開いた。目的地のピンが点滅している場所が、桜クラスの教室らしい。
「あんのかよ、桜クラス。意味わかんねえが……とりあえず、行くか」
黒沼の指示でホールは解散となり、新入生たちは整然と退場した。外に出てからはそれぞれの目的地に向かいながら、中には早速同じクラスの仲間を見つけて話しかける
百名の新入生のうち、九割ほどが東へ向かう中、竜秋は彼らと逆方向の西へ向かってスタスタ歩いていた。学生証の画面が示すルートがこちらなのだから仕方がない。
「おーいっ、そこの人ー! あんたも桜クラスかー?」
竜秋の早足に追いついてきて、気安く声をかけてきたのは先ほどのチャラい少年だ。
「お前、さっきの」
「おっわ、すげぇイケメン! そうそう、さっき質問してたのオレです! オレ、
馴れ馴れしく肩を叩くなり、糸目を伸ばして白い歯を見せ、人懐っこく笑う。まるで彼と他人の間には壁の一つも存在しないかのように、無遠慮に距離を詰めてくる感覚。
それでいて不快な感じがしないのが不思議だった。ミントのような爽やかな香りを放つ彼の、独特な魅力のせいなのだろうか。
「確かに俺も桜クラスだが、仲良しこよしするつもりはねーぞ」
「そんなこと言わずにさーあ! 知らん人ばっかで不安なのよ! 教室まで一緒に行こーよ! あんた、名前は?」
「巽竜秋」
「おおっ、タツミタツアキ、いい名前! じゃー"タッちゃん"だ!」
ピタリ、と足を止めた竜秋に、「あり?」と爽司が首をかしげる。
「どったの」
「二度と俺を、そう呼ぶな」
獅子も震えて逃げんばかりの殺気に、さしもの爽司も一瞬硬直したらしかった。しかしすぐに調子を取り戻して、うんうんと二度うなずいた。
「おけおけ、なら、"たっつん"で」
「……あぁ?」
調子を狂わされた竜秋の肩を再び叩いて、爽司が笑う。
「よろしくたっつん! あ、連絡先交換しとかね? この学生証、メッセージアプリ入ってたぜ」
「……あとでいいだろ、そんなの」
「それもそっか! じゃ、とりま教室行こうぜ、たっつん!」
歩き出した爽司のあとを、大きく息を吐きだして竜秋も追いかけた。
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