#5 大山鳴動して
機体は大きく反転して、十数分前に飛び立ったばかりの羽田を目指して高度を下げていった。
機内は多少ざわついてはいたものの、取り乱すような乗客はいなかったと記憶している。
私はといえば表面上は落ちついた風を装っていたが内心は様々な葛藤が渦巻いていた。
機長は問題ないと言っていたが、それは本当なのか?
私が読み漁った航空機事故のボイスレコーダーを集めたドキュメンタリーでは、機長は異常事態に陥っても乗客の不安を煽るようなことは簡単には言わないものだ。
もちろん、知識としてはエンジンが一基でも飛行や着陸が可能なことは知っていた。
しかし、残りのエンジンがこのまま無事だという保証もない。
そういえば以前は飛行機はエンジンが止まっても滑空すればいいんじゃないかと思っていた時もあった。
だが、飛行機のことを勉強したがゆえに今は逆にそれは不可能であることを知ってしまった。
もちろんある程度はそういうことが可能ではあるが、継続的に飛び続けられるのは元々滑空するために作られているグライダーのような機体だ。
乗客や貨物も含めて300トンにもなる機体を浮かせるのは、強力なエンジンから生み出される揚力があってこそなのだ。
それを失った時、飛行機は失速し最後には墜落という結末を迎える。
私の脳裏に、遠い夏の日に見たニュース映像が蘇った。
そうだ、いざという時のために何か残さねば。
私は手帳を取り出すと、両親や恋人に向けてメモを書き始めた。
今となっては何を書いたかはよく覚えていないが、これまでありがとう、みたいな内容だったと思う。
メモを書き終えて外を見ると、既に道路を走る自動車や沿道の建物の看板が認識出来るまで機体は降下していた。
東京湾を眼下になぞるように機体は最終アプローチへと進んでいく。
私は目を閉じて神に祈った。
もし無事に降りられたなら、もう二度と飛行機の悪口は言いません(好きにはなれないと思いますが)。もちろんプリンを勝手に食べたり、ポテチを食べた手でコントローラーを触ったりもしません(したこともありませんが)。どうか、どうかなにとぞ、なにとぞ--。
次の瞬間、ドゥンという軽い衝撃が走り、ほぼ同時に逆噴射の轟音が響き渡った。
機体は急激に減速し、やがて滑走路から誘導路へと進んでいく。
私の予想に反して、それはほぼ通常の着陸の光景だった。
助かった、のか?
私は一気に気が抜けてシートにもたれ込んだ。
機体はそのまま駐機エリアへ進み停止した。
「機長です。当機は羽田へ着陸しました。現在、機体には問題はありません。お客様にはご迷惑をおかけし誠に申し訳ございません。皆様にはこれからバスでターミナルまで一度お戻りいただきます。振替などにつきましては地上スタッフよりご案内させていただきますのでターミナル内でお待ちください」
あちらこちらから落胆のため息が聞こえる機内の中で、私はひとり淡い期待を抱いていた。
ああ、いっそこのまま振替出来ないで視察旅行中止にならないかな……。
結果からいうと、優秀なる地上スタッフの奮闘により二時間後には私は再び機上の人となり、その日二度目のフライトは何事も無く那覇空港へたどり着いた。
もっとも、私はフライト中ずっと死んだ魚のような目をしていたのだが。
ただ、死線を越えたことで妙なハイテンションとなった私は、その夜上司達と国際通りへ繰り出し魅惑の那覇ナイツを堪能したのだった(当時の彼女にはもちろん内緒だ)。
※※※
さて、あれから二十年ほどの年月が流れた。
飛行機にはその後もそこそこの回数は乗っているが、決して慣れるということはなかった。
私は今でも飛行機は嫌いだ。
神と約束したので悪口は言っていないが、好きになれないものはしょうがない。
それでも、自分なりの折り合いの付け方というものは身につけた。
それは「諦める」ことだ。
何も出来ないのだから、いちいちそれを気に病むのは全くの無駄だということに気づいたのだ。
だから私は離陸前の飛行機の機内で、毎回おまじないのように心の中で呟くことにしている。
「あー、動き出しちゃったなぁ。もうどうにもなんないなぁ。でもしょうがないよなぁ、自分で乗っちゃったんだから。ふうう……でもまぁ、人間遅かれ早かれ死ぬんだ。よし、さあ行け、ほら飛べ、さっさと飛べやオラ」
これで、なんとなく諦めの境地に入れるようになった。
機体が水平飛行に移り、ベルト着用サインが消えた。
私は近くのキャビンアテンダントにいつもの言葉を告げる。
「キャンナイ ハブ ア ビア?」
そういえば私に出来ることが一つだけあった。
こうして飲んだくれて、後はとっとと寝てしまうのだ。
終
飛行機嫌いの狂詩曲(ラプソディ) 椰子草 奈那史 @yashikusa
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