第5話 御手洗・菅原道真の神社前にて


 おれは、いつの間にか空き缶が消えた手を見つめている。フィリマといっしょに尾道から約70Km離れた御手洗(みたらい)に来ていたんじゃ。これをクリアすれば、おれは賞品をゲットできる。尾道からだと、車で1時間以上はかかるの。



 銭湯の扉を開けたとたん、ここに来とったんじゃ。フィリマは、意地悪じゃのー。

「銭湯に入りたかったのー」

「揚げ卵を食べたでしょう」

「銭湯に入ったからって、負けることはないじゃろう?」

「時間が惜しいのです。一番になりたいんでしょ?」



「銭湯に入れんかったら負けてしまうぞ。おれに勝利してほしくないのかの?」

「そんなことはありません。まじめにクイズを解いてください」



 そんな話をしているうちに、御手洗の街へと入っていった。

 御手洗は、千年以上の歴史ある島だとフィリマは言った。



「菅原道真公が、防府へ流刑になるとき、ここで手を洗ったことから御手洗といい、神社も存在します」

「へー。菅原さんも、祟り神になるまえは、トイレに行ったんじゃねえ。案内してくれる?」



「もちろんですわ。大好きな夏樹さんのためなら、なんでもしちゃいます」

 輝くような、その笑顔。

「なんでおれなんか……。ほかにもゲーマーは、おってじゃろう?」

 おれがフィリマに言うと、

「ふふふっ……」

 ポッと頬を染めている。




 このフィリマとは、初めて会った気がしない。ずいぶん昔に、ひょっとすると三歳か五歳の頃に、こんなおねえさんとあったことがあるのかも知れない。聞いてみても、こうやって笑ってごまかすばかりなのじゃろう。



 おれは、フィリマと写真を撮った。背景に、古い町並みが写っている。

 ここは町並み保存地区じゃ。竹原にも同じ町並み保存地区があるけど、ここは竹原より規模が小さい。この暑いのに、小さな帽子をかぶって道を歩いているおばさんがいる。追いかけっこをしている二隻のトレジャーボートが、ブルーの海を、まっ二つに裂いて走って行く。



 御手洗の観光案内板から、瀬戸内の海をながめた。どこまでも広がるブルーの海。ちらちらうねうね光る三角形の波。腹に穴があくような紺碧の空。そして、向こう岸の緑の小さな低山。




 町並みを歩く。夏の日ざしが殺人的だ。すでに14時を回っている。昼ご飯を食べ損なった。なんや、めっちゃ暑くなってきた。



 御手洗も、尾道も、道路はアスファルトだ。宮島はアスファルトではなかったので、それほど暑さを感じなかった(ひとつには、朝早かったというのもあるだろう)。太陽から反射するまぶしさと熱気で、おれはすでに熱中症の気配を自分で感じていた。



御手洗の町並みは、江戸時代の面影を色濃く残し、ちょっとしたチャンバラ時代劇が出来そうじゃ。竹原と非常によく似た町並みじゃが、写真館や喫茶店といった、江戸的雰囲気とは違うものもある。


  

 家々の乳白色の壁に、しろじろとした日光が照り返す。家から低く垂れた軒をささえる焦げ茶の柱には、美しい花々が竹筒に活けられている。それもひとつの家じゃない。あちらこちらで、花を活けた竹筒をみかけた。花の名前はわからないし、一輪や二輪しか挿していない竹筒もあったが、どれも薄紅色や黄色の花びらが、たおやかに広がっていた。




 おれは、住吉神社の方へ足を向けた。江戸時代の灯籠がそびえている。そこにつながれたボートの白さと紺碧の海。



「こんちは。おお、『広島をめぐろう』をやっとるんじゃね?」

 話しかけてきたのは、ガリガリに痩せたランニングシャツで麦わら帽子のおじいちゃんじゃった。

「そうです。ごいっしょしません?」

 フィリマが、誘ってくる。

「いやー、わしはもう、年じゃけ」



 喫茶店兼食事処の看板が、レモンソーダを誘っている。

まるで現代から昭和、そして江戸時代をモチーフにしたテーマパークへとのぼっていくような気持ちだった。現代のイヤな面、泥臭いところをすべてなくして、人々がお互いに支え合い、微笑み合っている時代に来たような気持ちになる。



もしかしたら、フィリマは、おれのイヤな日常を忘れさせ、一休みさせてくれるために、いっしょに来てくれたのだろうか。モニュメントの精というテーマパークの役者なのかもしれない。それにしては、一瞬であちこち移動させてしまう、不思議な力を持っているようだけれど。



 郵便局を通って、スマホゲームを見た。このクイズも、簡単そうだ。


 最後のクイズです。菅原道真の神社の、井戸の水を使って字を書いたらどうなるでしょう。


 日暮れはもうじきだ。菅原道真の神社をさがした。ちょっと奥まったところに、それはあった。境内は森の中のように静まり返っている。賽銭を投げて、礼をした。背後で、犬を散歩させているおじさんの気配がする。


  その小さな白いトイプードルは、小さく尻尾を振りながら、おれに愛嬌をふりまいていた。黒くて丸いあめ玉みたいな目が、クリクリしている。セミの声が耳の中を反響しているが、日ざしは感じられない。この森の中のような境内のせいだろうか。

 井戸の水は、神社の奥の方にあった。涼しげな透明な水である。喉がまた渇いてきた。衛生によくないみたいだから、飲むのはやめておこう。




 それにしても、フィリマはどこに行ったんだろう。いつの間にか、消えてしまった。

 神社の井戸からひきかえし、標柱しめばしらからフィリマを呼び掛け、しばらく境内をうろついていたが、何の返事もない。もう一度声を上げてみて、今度はスマホで関係者を呼びだそうとしてみたが、やっぱり返事がない。境内の中がしんとしていて、おれの声の足跡が見えるようだ(見えないに決まっているが)。標柱を出て、殺人的な暑さの中を、案内板に向かって歩いて行く。フィリマは、道に迷ったんじゃろうと思ったのだ。



あとで考えると、この辺できりあげて、賞品受け渡し会場の広島市中区へ引き返しさえすればよかったのだが、おれはぐずぐずとフィリマを探していた。




「おーい。かくれんぼしとるんかいね? そろそろ、帰るけー、答えを教えてくれや」

 どこからか、物影からひょっこり出てくるのでは、と思っとった。案内板の前にたどりついた。その看板の前に、紙が落ちていた。



 拾い上げてみると、クイズの答えが書いてあった。フィリマのサインがしてある手書きのメモだ。どうも煮え切らない。フィリマがとつぜん消えたのは、どういうわけなのか。なにかおれが、悪いことでも言うたんじゃろうか。フィリマの体調が悪くなったんじゃろうか。身内に不幸でもあったのか。フィリマはおれを、どう思っていたんじゃろう。どういうことから、不意にここから立ち去ったのじゃろう。関係者に連絡がつかないのは、なぜなんじゃ。いろいろなことが、一度に頭の中でぐるぐるまわり、おれは気分が悪くなってきた。このまま別れてしまうことになるのか。すべては、真夏の白昼夢じゃったのか。




 御手洗が暮れていく。オレンジ色の太陽が、いちごキャンディをとろけさせたみたいに波の色を染めている。蒸発しそうなほどの熱気が、いまのおれには心地よい。

 車が一台、道を行く。おれはクイズの答えをスマホに入れた。

 

          


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