夏祭りの邂逅(文庫本『花影の綴』発売記念小話)

夏祭りというと、活気があふれているように思う。

お囃子に露店の主の声、特に金魚すくいをやっている露店では、恰幅かっぷくのいい男性が「ありゃ、残念!一匹だけプレゼントだ」と、一匹もすくえなかった子どもに小さな金魚を与えているのが耳に届く。

そして、何かが焼けるにおい、煙のにおい、ソースのにおい、水のにおい。そして夏独特の湿気がまじりあって、なんともやかましい雰囲気である。

わあわあきゃあきゃあという人の気配は、出店から少し離れたここまでは届かない。遠くに気配がする、といった具合である。


黒地に濃い紫で描かれた麻の葉模様。銀鼠ぎんねずの帯は貝の口で結ばれている。左前に揺れる根付は、青の蜻蛉玉とんぼだまだ。浴衣と同じ生地で作られた巾着と白いビニール袋を手に、煌道風夜こうどうかざよは立ちすくんでいた。


地元の夏祭りは、そこそこに規模が大きい。

鶴岡八幡宮のぼんぼり祭りと比べれば足元にも及ばないが、露店が多く、訪れる人で波ができる程度には大きい。兄妹きょうだいと居候の青年の四人で、毎年来るのが恒例になっているのだが、そんな中、一人こうして突っ立っている理由は、さかのぼること十分前にあった。


四人そろって鳥居を抜け、境内からまっすぐ本宮へと足を向ける。

まずはしっかりと祭神さいしんに挨拶を申し上げてから夏祭りを楽しむ。夏祭りは立派な祭事だ。神の領域内で作り上げられている非日常であることを忘れてはならない。

挨拶を済ませ、波に乗った四人は、きょろきょろと出店を見渡した。

「今年もいっぱい露店出てるんだね」

「だなぁ。あ、飛龍ひりゅうたこ焼き、たこ焼き食べたい」

「あそこじゃなくて、向こうのたこ焼き屋のほうがたこがでかかったから、あっちで買う」

「え、いつの間にそんなリサーチしてたんだ?」

「さっきだ」

紺の生地に白の麻の葉模様の浴衣に、帯は黄朽葉きくちば。隣を歩く風夜と同じように貝の口で締められている。根付はないが、代わりに扇子が帯に差し込まれていた。徒人ただびとにはとび色に見えるプラチナブロンドの長髪を、今日はつむじのあたりで一本に結い上げている。いつもは腰のあたりで揺れている毛先が、ゆらゆらと背中の真ん中で右往左往していた。


二人の前を歩く兄の悠嘉はるかは、隣を歩く妹の莉舞りむに腕を引かれている。つい、と目線を流せば、クレープの露店が視線の延長にあった。

生成きなりの生地に臙脂えんじの麻の葉模様、黒の兵児帯へこおびの莉舞がくるりと振り返る。いつもツインテールに結われている髪は、赤の蜻蛉玉のかんざしで一つにまとめられており、動きに合わせて後れ毛がふわふわと漂う。

生成に紺の麻の葉模様の浴衣、貝の口で締められた青朽葉あおくちばの帯といった姿の悠嘉は、人の流れに遅れないよう、妹をゆっくり引っ張っている。

「お姉ちゃんはクレープいる?」

「…………うん。ブルーベリーソースのやつあれば」

あまり生クリームが多いものを口にしない風夜だが、年に一回くらいは食べたいと思うのである。だが、チョコレートほどの甘さは追加で欲しくない。毎年選ぶ味は、彼女にとってこの夏祭りの時だけに味わうものだった。

「龍にいは?」

「俺はいい。先にたこ焼き買ってくる」

青年はそう言い残して、あっという間に目当ての出店にできた行列の最後尾に並んでいった。

「んじゃ、俺は焼きそば買ってくるわ。兄ちゃんと莉舞はクレープと、あと唐揚げ頼んでもいい?」

唐揚げの出店がクレープの隣にあるのを認めて、風夜が言う。

それに了承して返した悠嘉に、きゅうりの浅漬けが道中あれば、と代わりのお願いをされる。

こちらも了承して返すと、四人はそれぞれに散っていった。


そして、事前に決めていた合流地点に真っ先にたどり着いたのが、意外や意外、風夜だったのである。ちなみにきゅうりの浅漬けを売る出店には出会えなかった。

ここに着いている旨は、メッセージアプリで通達済みだ。既読はついているが、三人からの返事はまだない。

風夜は万人の例にもれず、夏祭りで売られているグルメが好きだ。その中の代表である、焼きそばやたこ焼きは平時に食べてもおいしいが、夏祭りで売られている、という枕詞まくらことばがつくと余計においしい。それが錯覚ではなく、言霊にとらわれているからそう感じるのだというのも、わかっている。


そろそろ来るだろうか。

いまだ連絡のない画面を一度真っ暗にする。スマホを巾着に入れ、ふーっと空を見上げた。

薄い雲すらない夜空には、夏を代表する三角形が浮かんでいる。昨日からピークを迎えているペルセウス座流星群は、人の気配は遠くも人工光の多いここでは、見えそうになかった。


「あの…」

「へぁ!?」

大げさに身体からだが震えた。いつになくぼんやりしていたせいなのだが、思わず口から出た声に、今度は相手が驚いて一歩後退した。

「す、すいません、変な声出して…」

「いや、こっちこそすいません。突然声をかけたりして…」

黒縁眼鏡をかけた少年だった。少年とはいうが、高校生である風夜と同じくらいか、少し上だろう。ボーダーのTシャツに紺のシャツを羽織っており、下はデニムにサンダルといった出で立ちだ。

「あの、ここらへんで女の子を見ませんでしたか。青い矢絣やがすりと朝顔の柄の浴衣を着た子なんですけど…」

「いや、見てないです。俺もぼんやりしてたから、もしかしたらいたかもしれないけど」

「そうですか…。ありがとうございます」

とぼ、と肩を落としてまたあたりを見渡す少年に、連絡はとれないのか、と風夜は問いかけた。このご時世、何かしらの携帯機器は持っているだろう。

「それが、彼女ケータイとかスマホを持ってなくて」

「そら珍しい。まぁ、一度会本部の迷子相談に行ってみたらどうですか? その様子だと、はぐれた時の合流場所とか決めてなかったんでしょ?」

はい、と眉を下げて去っていく背中は、どうも頼りない。

仕方ない、と小さく息を吐いた風夜は、持っていた巾着を左手に渡し、右手でいんを組む。


失せ物、失せ者、彷徨さまようもの。影を求めてさ迷い給へ、影のもとへと導き給へ。


口の中でぶつぶつとそう唱える。失せものを見つけるための呪文だ。

そうこうしているうちに、少年とすれ違うようにして、三人が仲良くこちらにやってくる。各々の手には、戦利品が入ったビニール袋やクレープの包み紙があった。

「遅かったな。なんかあった?」

「ごめんごめん。途中でいちご飴とラムネも買ってたら、遅くなっちゃったんだ」

へら、と困り顔で笑う悠嘉に、いいよ、と手を振る。

いちご飴は莉舞の手の中にある。その半分がすでにかじられていた。


この夏祭りでは必ずイートインスペースが設けられている。決められたところ以外での飲食を基本的に禁止しているからだ。その分人は多いが、露店のエリアから少し離れたところにあるスペースは、十分な広さがある。空いていたテーブルの上にビニール袋を置き、まずは悠嘉が買ってきたラムネを開ける。


形こそ懐かしいと思わせるものだが、材質はプラスチックだ。瓶独特の冷たさと重さはない。がこん、と封をしているビー玉を落とした時の、あの涼やかな音色を聞くことができないのがなにより寂しい。

焼きそばやたこ焼き、唐揚げ、クレープをそれぞれ好きなように食べていく。

生クリームが溶けるからと、最初にそれを食べ始めた風夜だったが、半分食べたところで飽きが来る。

味変換のために唐揚げやらたこ焼きやらをつまみながら、なんとか食べ終えたが、このカロリー爆弾は単純にやばいな、と内心ごちた。

もともと三つしか買っていなかった焼きそばは、莉舞と半分に分け合う。クレープ後に、焼きそばを丸々一つ食べられるほどの余裕はなかった。


「そういえば、俺たちが来る前に話しかけられてたけど、何かあったの?」

最後の唐揚げをかじろうかというところで、風夜は悠嘉にそう問いかけられた。

「あぁ、なんか人とはぐれたらしくてさ。ちょっと頼りない感じだったから、軽いまじないかけてた」

黒縁眼鏡の少年は、今頃その人と会えている頃だろうか。

効力が強いものではないが、この夏祭り会場の中で再会するには十分なまじないだ。

「このあとはどうしようか」

「金魚すくいと射的やりたい!」

ばっと莉舞が手を上げた。それにすかさず飛龍が返す。

「ウチはペット禁止だぞ」

「わかってるってば!金魚はすくっても持ち帰らない、でしょ」

「よろしい」

すくったら持ち帰るまでが金魚すくいの醍醐味だが、煌道家にはそうした独自ルールが存在している。それでもやりたいと思うのは、体験欲といったところだろう。


ごみを捨ててまた人の波に乗れば、あのやかましい気配に包まれる。

胃の容量はすでにいっぱいいっぱいなのだが、どこからともなく漂ってくる、焼きとうもろこしのいい匂いに食欲がそそられる。しかしそれをおさめる場所がない。誘惑を振り払い、まずはと金魚すくいのところへとやってきた。

巾着から取り出したたもとクリップで袂を留めた莉舞は、恰幅のいい男店主に三百円を支払い、ポイと椀を受け取った。

スタンダードな朱色、赤と白の斑、黒と小さな点々が泳いでいる。中には黒の出目金も泳いでいて、同じく金魚すくいをしている小学生くらいの男の子は、必死にそれを追いかけていた。

「ポイの入射角は斜めで、すくい上げる時も斜めにするんだよ」

大学生の兄は、真剣な表情の妹をにこにこと見守っている。とても優しいまなざしで、シスコン極めてるなぁ、と自分のことは棚に上げた風夜は内心思う。当の本人もブラコンシスコンを極めているのだが。


ふと、何気なく左のほうを見る。相変わらず波を作る人は多い。

その中に、ちらりと先ほどの少年がいるのを認めた。下がり眉だった表情は穏やかな笑みに変わっていて、身体は前を向きつつも、視線は自身の左に注がれている。

あぁ、見つかったのか。

そう安堵してすぐ、風夜は驚きで目を見開いた。

青の矢絣柄に点々と散らばる、紫と白の朝顔。半幅帯は黒地に流水が織り込まれていた。少年の左手にひっつく姿は、仲のいいカップルに思えるだろう。しかし、その姿は想像していたものではなかった。

少年の顔越しに見えたそれは、提灯明かりに照らされた乳白色の頭蓋骨。本来であればうなじが見えるはずの襟元からは、細い背骨だけが見えていた。

文字通り、骨が浴衣をまとって歩いていたのである。


「何か食べる?」

「そか、向こうに七色の綿あめ売ってるところあったから、行こうか」


この雑音混じりの中で、少年の声だけが妙に耳に届く。

少年は笑っている。夏祭りのデートという、べたすぎるシチュエーションを楽しんでいる、ただのカップルのように。

呆然と眺めているうちに、二人の姿はあっという間に流れる波の向こうに消えていった。


「とれた!」

莉舞のその一声が、風夜を現実に引き戻す。妹の持つ椀には、一匹の黒金魚がゆらゆらと浅い水面を泳いでいた。

もう一度二人が消えた波の向こうに目をやるが、それは幻であったかのように、跡形もない。

「…盆、だからなぁ」

神域での祭りであるというのに、まさか出くわすとは。

「どうかしたか、風夜」

「…いんや。知り合いがいたような気がしたんだけど、見間違いだった」

風夜はそう言って金魚が泳ぐ水槽に目を移した。何事もなかったかのように、金魚たちは迫ってくるポイから必死に逃げている。

「……本人が望むなら、あり、なのかなぁ」

ぽつり、というつぶやきは提灯明かりの向こうに溶けていった。


夏は夜。北鎌倉の祓い屋、真夏の夜の休業日のお話。



2021.08.15 北鎌倉祓屋家業『花影の綴』発売記念小話

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