6

「ヘリオス様、ヘリオス様。起きてください。」

「うぅ、もう少し寝かせてくれ。」

 ヘリオスは惰眠という言葉を思い出していた。ひたすらに寝ることの楽しさを思い出していた。彼は幸せの絶頂にいた。起こされて、それを拒否する。睡眠と起床の狭間を行き来する特別な時間。

「でも、幻の薬草の場所にも寄るのでしょう? 今のうちに屋敷を抜け出さないとたどり着けませんよ。」

 惰眠のあと、少し不快な起床を感じたがあくび交じりに起き出す。ホルメーに着替えをさせてもらい、ホルメーの案内で屋敷の外、森の中へ。リーリーと何か小さな虫が鳴いている。夜行性の肉食獣が活発な時間帯だ。しかし、ここらに肉食獣は出ない。

 未だに夢うつつだ。

 まだ日が上がっていないにもかかわらず、日が上がってくるであろう方角をずっと向いている。どんどん奥へ進む。

 もう、来た道を覚えていない。

 少し高いところ、崖際ギリギリのところにそれはあった。

 ヘリオスの目もようやく覚める。

 驚愕。

 シャランとかわいらしい音が鳴る。いや、そう聞こえただけで実際は鳴っていない。

「この花が幻の薬草? 」

「そうです。なかなかきれいでしょう?最後に見る光景としてぴったりでしょ? 」

 気付いてしまった。

「最後? 」

 違和感を覚える前に――

 ――夜明けが始まってしまった。

「ヘリオス様。ほら、夜明けですよ。」

 ホルメーが指ではるか地平線を指し示す。山の向こうが少し明るい。オレンジのベールがそこらに溢れ出す。

 閃光。

 間近に生える幻の薬草が光を放つ。

 母上様に……お母様に……会える……。

 光の線は次から次に現れ、絡みつくようにまとわりつく。光の帯が周りを支配して、愛想を撒き散らす。光の帯に視界の全てを占領され、完全にホワイトアウト。前後左右上下、何もかもわからなくなった状態で何かが見える……。

 語り部はいない、しかし見える。

 その光景が――。

 レンガで作られた赤い家、巨大な屋敷の中、1人のうめき声が聞こえる。そこには医者に拘束され、叫び声を上げて抵抗する母の姿があった。写真で見たことがある。家中に飾られた写真の中にこの人がいる。

「お母さん!!! 」

 ヘリオスは必死に手を伸ばす。――手が、前に出ない。感覚もない。そうか、こいつらがお母さんを殺したのか? と過去を見ながら思う。お母さんそれを伝えたいんだな、と。

 しかし予想を裏切りその部屋に『父』がやってくる。中肉中背、オールバック、顔にしわ一つない。イケメンと言っても良い顔立ち。

 激しくドアを蹴りあけて、中に侵入する。

「ゼアー! 大丈夫か? 」

「だいっ……丈夫な訳ないでしょう!」

 息を切らして駆けつけた父を前にして、苦しそうな声でそのままお叱りをぶつける。叫ぶ、暴れる、どったんばったん大騒ぎである。医師は言う。

「落ち着いてください!落ち着いて、呼吸を整えてください。そんなに暴れると赤ちゃんに悪いです。」

 医師が声をかける。声を聞いてお母さんは医師に言われた通り呼吸を整える。父はあたふたと口を押さえて涙を流して後ろで右往左往するだけである。医師は邪魔そうな目で父を見ていた。

「もしかして……これはオレが生まれた瞬間か?」

 ヘリオスはようやく気付いたが、視界は再び白い光が蹂躙し始める。幼児が白いクレヨンで塗りつぶすようにぬりぬりと視界から消えていく。

 純白。

 再びのホワイトアウト。視界が真っ白に塗り代わりまた場所が変わる。

「どうして……どうして……」

 ヘリオスは使用人に抱かれていた。使用人の顔は黒塗りで、何も見えなかったが、その腕の隙間から父の姿が見える。父が泣きつくそのベッドには何かが横たわっている。それが何かは隠れて見えない。

 嘆く姿が見える。しばらく父のすすり泣く声を聞く。聞いていると父は唐突に立ち上がる。この空間だからなのか、それとも最初からこうだったか、父の目は黒塗りになっていた。完全に死んでいる。

「そうだ、生き返らせよう」

 その時確かに父のそんな台詞を聞いた。

 三度目の白塗り、修正液をこぼしたように視界は消える。

 漆黒。

 突然部屋中のろうそくの火が消えたように一瞬で真っ暗な世界に誘われる。白く縁取りされた黒い父が見える 

「オレはどこにいる? 」

 思わずつぶやく。ヘリオスは今、円の中心にいた。黒いもやが噴き出す謎の陣、その中心にいた。自分なんて気にせず集まる。赤ん坊は弱いなんて常識。まさに死ぬほど無視して黒いもやはヘリオスの上空に集まる。舞い降りたのは純白の翼を持つ天使。黒いもやを集めてできた白い天使とは、なかなかとんちが効いていた。

「この子を生け贄に捧げる。どうか私の妻を帰してくれ! 」

「なんだよそれ……ふざけんな! 」

 父は天使に願う。天使の顔に粘土で作ったジョークマスクほどに口が裂けた顔が張り付いている。その表情でわからされる。

 寒気。

 嗚呼、この存在は天使なんかじゃないのだ。天使はヘリオスを見て舌をねぶる。父は地に頭がつくほどに頭を垂れているので気付いていない。悪魔は見るもおぞましいその顔に、包容力のある女神のような顔を貼り付ける。その顔で妖艶な声が口から流れ出る。

「しかし私はそのような小さき者、欲してはいない。齢が十になるまで育てなさい。齢が十になったなら、私はその子と、天国で暮らすお前の妻を入れ替えてやろう」

「ありがとうございますっ!ありがとうございますっ!」

 エコーで父の声が聞こえる。父の薄気味悪い笑顔が見える。今度は先程までと違い、じくじくと、視界が浸食されるように消えていく。

 あのとき……あのとき見た父の笑顔はこれのせいだったのか……。

 今度はヘリオスと遊ぶ父の姿が映る。表情は、先程見た薄ら笑いのままだ。ヘリオスは父に向かって歩いて行く。甘えるため、歩きを覚えるため。

「体が……勝手に動く。このときの父はこんなにも怖い顔をしていたのだな。」

 思うのもつかの間、また場面が切り替わる。また父だ。さっきと同じように父へ向かって歩く。

 切り替わる。また父の元へ歩く。

 切り替わる。また父の元へ歩く。

 少しずつ父の顔面に張り付く顔のもやがとれていく。身長が高くなっていく。薄ら悪かった笑みが……良い笑みに変わっていく。完全によい笑顔をするようになったころ、またホワイトアウトだ。光に包まれるように自分の視界から全てが消える。

 いつだったかも覚えていないが、場面は瞬きする間に寝室になっていた。体はもっと大きくなり、そう、大体十歳ぐらい。

 寒気。

 父とともにベッドの中で寝ていたときのことだろう。当時は確実に起きていなかっただろう。

「迎えに来たぞ10年だ。」

 黒い渦を巻き込みながら天使が降臨する。父はその荘厳な姿を見て狼狽する。

 ――忘れていたのだ。

「やめてくれ、もう妻のことはいい。オレは息子と幸せに暮らすんだ。」

 父は無様に泣き叫び、五体投地で頼む。その姿を見て天使は愉悦な表情を浮かべる。人間にとって10年は長すぎた。心変わりするには十分だった。悪魔は許容しない。昔それを頼んだのはお前ではないか……と、容赦なく指摘する。

「子を殺してまで妻を救いたい。それはお前のエゴだったろうに。妻の思い、出産の辛さ、それら一切合切を踏みにじったお前の態度が気に入ったのだ。今更変更など許さん。」

 そんな天使の指摘を聞いて、考える。一瞬で、天使が納得しそうな息子の延命方法を……。

 思いつく。

「そうだ。ならこんな願いならどうだ? うちの妻は何よりも『夜明け』が好きだった。だから、息子が夜明け前に起きているようなことがあれば、その時は……妻をこの世に帰してくれ。」

 父のそんな、ちょっとした延命治療。ちょうど最近、夜遊び早朝遊びがひどい息子に罰として『睡眠制御の首輪』をつけさせていたところなのだ。

 それを利用した……息子の延命。

「承知した。」

 天使は、消えた。餌を見つけた……といわんばかりに悪魔の笑みを浮かべて。

 ホワイトアウト。

 何度目かの白塗り。上下左右すらわからなかった宙ぶらりんな精神状態から帰還する……。

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