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なんようはぎぎょ

「私達の高校の治安はアフリカである」休み時間にそう盛り上がっていると、担任に「アフリカ差別をするな」と真剣に怒られた。

 高校一年・内田優菜はこの夏16歳になる。


 個性と多様性を尊重し、自由度の高い教育を――。そんな校風を謳う優菜の高校は、全国から不良と問題児と元不登校児を集め込み、経営面だけ成功していた。

 都内の旧道沿いに突如現れるボロ校舎、一階奥のトイレは煙草臭い。生徒の自主性の為に制服はなく、ホストみたいな外見の男子生徒がいたり、オタク女子がピンクのセーラー服で来たりする。因みに入学試験の数学の一問目は『2-9=』だった。






 失恋したので死ぬと思った。

 優菜は今日も授業中に、熱心に好きな人のSNS を見ていた。見つけた文章は簡素だ。


『ファンの皆様へ。一般女性と交際を始めました』

 添付の写真は見慣れた男が、深爪の指先で女の髪を梳いている。



 胸が苦しくなって潰れそうになって、まず息が止まると思った。次に顔と頭が熱を持つ。特に死にたくはないけれど、これはもう絶対に死んでしまうと思った。


 校庭で蝉が発狂している。

 教室に吹き込む風は体温に近い。スマホを手に優菜は瞬いた。喉の奥と鼻がツンと引き攣れて、涙は出なかった。

 ブラウスが背中に纏わりついて熱を持つ。ドンキで買ったプリーツスカートにリボンを合わせて、眼鏡をかけ装いは完璧に優等生だ。因みにあだ名は『女教師』だった。脳内で遠く、蝉が喚く。



 外は眩しく、地面から昇る熱で揺れている。

 教壇では黒人教師・通称ボブが泣いていた。「お前ら何回同じ説明さすんだよ、いい加減にしろよ…」


 頭がガンガンしながらスマホを眺める。優菜の好きな人の彼女は、自分とは似つかない派手で不潔そうな女だった。

 朝ご飯が鼻から出そうになって変な声が漏れ、慌てて周りを見る。隣の席の境さんは茶髪をクリップで留めて、机に鏡を立てビューラーで睫毛を上げていた。

 前の席は体の大きな男子で、モゾモゾする動きから恐らく机に美少女イラストを描いている。ミーンミンミン…



 優菜の好きな人『旭』は、自称異能力者のアーティストだった。勢いが良く抽象的な絵を『降ってきた』時にその場で表現して配信する。公開プロフィール曰く北海道南部在住で、一昨年大通おおどおり駅構内にスプレーアートを施し実名報道された。

 旭川アキラ容疑者(当時24)は、ネットで大炎上してすぐに飽きられた。今でも上手く検索すれば、中高の卒アルや実家の写真が出てくる。優菜の第一印象は『気弱そう』だ。それでも鼻筋は通り、よく見ると顔は整っている。




 チャイムが鳴って、ボブも喚いた。「起立! 礼! ハイッ昼休み!!」

 ガタガタ椅子が鳴る。優菜は白くなった指でさっきの写真を保存した。


『誰かに自分を、理解されるのは恐ろしい。それでも、僕・旭〜asahi〜は彼女との未来の為に克服していくと誓う――』





「女教師今日一人? ご飯一緒食べよ」

 のんびり言われて我に返る。隣の境さんが机に突っ伏して手を振っていた。

 教室内は人がバラバラとグループに集まり机を寄せている。

「……良いの? ありがとう。今日お昼一人だと思っ、」途中で声は震えて途切れた。

「おん、女教師の親友今日も休みっしょ。あたしも彼氏休みでぼっち」

「うちの…学校、みんなやる気ないね」

 境さんは何でもなくコンビニパスタを優菜の机に載せる。あーどっこいとか言いながらガタガタ椅子だけ持って寄って来た。

 優菜も机の端にミッフィー柄の弁当包みを広げる。境さんは割り箸の持ち方が変だった。


 学校の性質柄、ここは男子生徒が多い。おかげで女子同士は系統が違っても交流がある。優菜は未だに派手な子相手は緊張した。中学では大人しい子とばかりいた。



「クソあち~温暖化か? これもう地球滅びてんでしょ」

 今日の境さんは肩が出たワンピースで、合わせた上履きがチグハグで年齢不詳に見える。


「うん、もう滅びたらいいよ」

「女教師、毎日制服だけど靴下の形に日焼けせん? あたしビオレの新しい日焼け止め買って、あれよく焼けんだよね」

「靴下焼けするよ。でも制服って楽で」

「つか女教師、足細くね」

「境さんも細いよ」


 物が飲み込みづらかった。惰性で会話をしながらも、やっぱり死ぬとしか思えない。脳裏で校舎の屋上から飛び降りる自分の背中が明滅する。

「彼氏の出席日数やばくて」「そうなんだ」で、チカ、とスマホが視界の隅で光った。


「もしもしぃ? お前ほんと学校来いよ、どこいんの? どこ駅の」

 境さんはすさまじい速さで電話を取った。話しながらパスタを頬張る。

「はぁ今日これから!? 無理、あたしも午後の化学基礎やばいし、はぁ~?」



 重厚な窓枠の外と比べ、教室は陽が入りにくく暗い。後ろは大人しそうな男が、他の場所には派手な男が固まっている。男社会は住み分けが激しく、見た目で所属がすぐにわかった。旭川アキラの中学の卒アルの、暗い目の子供を思い出す。前髪を垂らし学ランを着込んで、校舎の屋上から地面を見ている。窓の外で入道雲がわだかまる。

 境さんの口の中身が見えた。


「えーそんな言う? しょうがないな今日だけだかんね!!」

 優菜は食欲が消えた。境さんが人目を気にしないのはもう特殊能力だと思った。少なくとも自分には欠片も身に付いたことがない、異能の類だ。「おん、じゃあ後でね」バイバイ、と見えないのに手を振って通話が切れる。


「ねぇ女教師、午後一緒サボらん? 一人は恥ずいしお願い!」

「えっ」

「お願いお願い女教師にしか頼めんし! あ、サーティワンおごる! ね!」

「えっ…」




 押し切られて日差しの中を最寄りの東赤羽駅に行く羽目になった。眩しさが視界を焼いて、アスファルトが照り返し全身が焦げる。

 境さんは手で顔に影を作って、うあーと叫びながら走った。優菜は必死でゼェゼェ追いながら何でこんな目に…と思った。授業サボりも初めてだし最悪だった。やっぱり、もうきっと死ぬんだろう。



 他に行く場所も無く、駅前マックで飲み物とポテトを買う。

 空いている店内でクーラーの真下に座って息が整うまで時間を要した。境さんはご機嫌に「彼氏のバ先遊び行くんだ、シフト夕方からなん。だから一緒時間潰そうね!」と爽健美茶を頬に当てた。


 汗はすぐ引いて、二人きりで緊張してくる。境さんは迷わず化粧を始めた。

「彼氏さ、人の都合考えてくれんくて」

「うん」

「いきなり来いとか、振り回される側の気持ちわかんないんだよね。勝手すぎ、そう思わん?」

「…うん」

 境さんにジンジャエールをぶっかける妄想をして、チビチビ飲む。境さんは半目で睫毛を撫でた。

「女教師のさー、親友の子学校来なさすぎじゃね」

「あ、土屋まな。あの子今日は山梨にいる」

「山梨県!? どこそれ!」

 バカ? と言いかけ口を噤む。優菜も位置をよく知らなかった。


「土屋の彼氏がトラック運転手で、よく一緒に色々行くんだよね。前の彼氏もトラックだった。毎回凄い年上の」

「えー…病んでねそれ? どこで知り合うのそれ。大人しそうなのに、わっかんねーな…」

 土屋は何というか垢抜けない子だ。優菜は密かに無印良品の背景になれそうと思っている。

 案外普通の子のがヤバいって事かな、と境さんが指先の化粧汚れを拭う。旭のダサい私服を思い出して、優菜の背筋がぶるりと震えた。

「大丈夫なん、愛ちゃん。危ない目とか遭わないの」


 意外にも、境さんは真剣な顔をした。

「もしかして境さんって常識を持っている?」

「いや何の話かわからんけど」

 女教師も大概不思議チャンよな。と続けられて優菜はダメージを受けた。


「えっ…」

「自我あんのか? ってくらい真面目かと思ってたらそうでもなし」

「えっえっ」

「眼鏡ごつくてチーぎゅうかと思っても話すと案外そうでもないし」

「これ親がコンタクトは目に悪いって」

「そう言うじゃん。でも別にすげー良い子でもなし。まじで謎。休みの日何してんの? 何かしてんの? 何が好きなの」

 大きなカラコンで覗き込まれて下を向く。瞬きすると、瞼の裏で旭がぼやけた。

「私は……、旭が、旭さんが好き…」


 思わず口をついて、次いでボロボロ涙が出た。境さんはヒッ…と引き攣ってパウダーパフを取り落とした。





 境さんは旭を知らなかった。

 昔SNSで散々ネタにされた胎児とパンケーキ柄のアクリル画も、「何これ。つよ」と微妙な顔をした。土屋も中学の友達も、ネットで有名な絵には「懐かしい」位は言うのに。

「境さんって、異能力者な上に異文化人…」

 境さんは一瞬嫌な顔をして、また指を拭う。

「…んー、じゃあ女教師はぁ。その一度も会ったことも無い絵描き? が好きなん? ファンとかじゃなく」


「旭とは……確かに会ったことは無いけど中一の頃からずっとDMしてて。LINEもしてるし、有名になってから減ったけど」

「ふーん?」

 返事をしながらラメ入りのパウダーを指で目尻に乗せていく。顔の面積に対して書き込み過ぎでは。見ているとカラコンの黒目がこちらに寄って目が合った。


「でもさぁ。…凄くない? 女教師したら年単位で好きなんしょ。人と違うもの好きになるのって勇気いらん?」

 優菜は一拍意味がわからなかった。


「人と違う好みの物を好きって言うの、あたし勇気ないわ。ちょっと羨ましいまである」

「そう…かな?」

 バカにする風でも無く言われる。


「その人一度会えたらいいのにね。もうすぐ夏休みだし。したら色々変わるかもじゃん?」

「うん。…会いたい、会ってみたい」



 その後はポテトを半分ずつして、延々境さんの彼氏の写真を見せられた。

 ポテトが消えてからも長時間粘り、寒さでお互い震えだした頃「時間だ! 女教師今日ありがとね!」やっと解放される。


 店から出るとまたサウナのような熱気に包まれた。

「女教師はぁ、元がいいし化粧したら絶対美人だかんね。さっき一緒撮った写真も盛れたし。旭の彼女より絶対可愛い自信持って! じゃあね!」


 境さんは手を振って、小走りで居酒屋の多い方角に紛れて消えた。

 最後にお世辞を言われたのか迷うも、あの子が気遣うはずもないと思い直し気分が上を向く。



 汚いビルの並びにキャッチの声が響き、程なく汗が滴った。

 辺りは真昼のように明るく、しかし行き交う人の影は長い。帰り道で一気に疲れが来る。歩きながらSNSを開くと、また旭がプチ炎上していた。



『地雷カップル』

『お似合いだお幸せに。絵は諦めろ才能が無い』


『旭:俺は、この感情を、どうしようもなさを、絶対にお前たちに味合わせる為にこれからも描き続ける。生涯を掛ける』


『この絵に生涯はさすがに可哀想』

『異能力者設定が最近薄くなってる頑張れ』

『オーラがない』

 ︙



 旭は稀に何かの基準で、中傷コメントを拾ってムキになって返事をする。半匿名の相手は反応に喜んで盛り上がる。イジメじみたやりとりは、どちらもよく飽きないなと思うほど続いている。


 街を写真に撮って旭のLINEに送った。

『お久しぶりです』

 返事は来なかった。



『旭:どいつもこいつも自分だけはマシだって、誤差みたいな個性や言葉尻を大事に抱えて人に毒づいて。相手より可能性のある人間にでもなったつもりか?』

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