第185話
前略、夏目真澄様。
なんてかしこまって書き出してみたものの、10分以上経ってもその先が思いつかないので、いつも通りに。
夏目、元気にやっていますか?
久保くんと相変わらず仲良く…やってるか。いつもSNSで見てるよ。こまめも大きくなったの知ってる。
でも、うちのあずきもかわいいだろ?
夏目ならきっとあずきにもキャラを崩してくれると俺は思ってる。
そんな話は置いておいて、突然の手紙で申し訳ない。
でも、他に思いつかなくて書いている。
これで何度目の書き直しか分からない。
夏目。
もし今これをひとりで読んでいるなら、できればこの先はひとりで読まないで欲しい。
必ず久保くんが居るときに読んで欲しい。
今久保くんが居ないなら、読み進めずに久保くんが帰って来るまで待って欲しい。
勝手なことばかり言って悪いとは思う。でも、夏目なら絶対にそうしてくれると信じて、書き進めることにする。
って言っても、何から書けばいいのか。
とりあえず、お前が今この手紙を読んでいるということは、俺がもうこの世には居ないってことだということを、先に伝えておく。
俺が死んだらやって欲しいことのひとつに、この手紙の投函を書いた。きっと奥さんがやってくれる。
だから、今、夏目がこれを読んでいるということは、俺が死んだということだ。
いきなりそんなこと言われてもな?
でも、夏目が困るのを承知で、書き進める。どうやら俺には、本当に時間がないらしいから。
ゆっくりでいいから、読んで欲しい。
少し前の話をすると、初めて自分の病気が、病名が分かったとき、瞬間で浮かんだのが他の何でもなく、夏目だった。
不安そうに俺を見上げる顔。いつも俺に見せていたその顔。
それが思い浮かんだ。いや、それしか思い浮かばなかった。
それから言葉だった。
ウソだろ?って。
詳しく検査をして、自分の身体がどんな状態なのかを知るたびに、夏目の顔が思い浮かんだ。
変な日本語で言えば、ずっとしていた後悔を、腹の底の底からした。
いや、もしかしたら、腹の底の底からの後悔が、病気ってものになって俺を蝕んでいたのかもしれない。
会いたかった。
夏目に会いたかった。
会って謝りたかった。
会って抱き締めたかった。
会って好きだって伝えたかった。
ずっとずっと、忘れた日はなかったって。
夏目。
あの1週間が、俺にとって最高に幸せな1週間だったことを、ここに告白する。
幸せだった。
本当に本当に幸せだった。
お前にとっては迷惑だったかもしれない。でも、俺にとっては本当にかけがえのない1週間だった。
俺のわがままに付き合ってくれてありがとう。
今でも最後に撮った俺たちの写真をよく見返している。あの1週間は夢じゃなかったって。
そしてその後の毎日も、こっちに帰ってからの毎日も、思いがけず幸せだったことを告白する。
奥さんが居て、娘が居て、あずきが居て。
夏目と久保くんを思い出しながら色々やって、俺なりに精一杯感謝を伝えられたんじゃないかと思っている。
その意味も含めて、本当に本当にありがとう。
好きだった。
今も好きだよ。夏目が。
あんなにばっさり振られたのに、俺もなかなかしぶといんだなって自分でちょっと呆れてる。
でも、好きだ。もう仕方ないよな。好きなんだから。
できる限りの物を持っていくよ。向こうに。あの世ってとこに。持っていきたいんだ。
夏目の絵本、ぴょんとまるの人形、あの1週間一緒に書いた夜空観察記録、お前が俺のために描いてくれた絵。
天球儀はさすがに持っていけないけど、小さい方の天球儀は、一緒に作ったとんぼ玉と一緒に、骨壺に入れて欲しいと書いた。
そんなことを奥さんに頼む俺は、ひどい夫なんだろうなって、思うよ。
………でも。
ぴょんとまるの絵本、最終巻、読んだよ。
読んで泣いた。ばかみたいに泣いた。
そしてやっぱり後悔した。
自分で自分を、お前が好きな自分を、もっと早く許せていたらって。
そしたら、許されない恋ではなく、許される恋になったかもしれないのに。
ありがとう、夏目。
お前が言ってくれたように、こんなにも長くひとりのやつを想い続けることができた自分を、すごいなって、さすがに褒めてやろうと思う。
うん。すごいよ。よくやったよ、俺。
夏目。
夏目?
どうかどうか、幸せに。
俺は俺で、幸せだった。違うか。幸せを知ることができたんだ。お前のおかげで。
幸せは、いつも目の前にあった。
いつもいつも、ここにあった。
それをお前が教えてくれた。あの1週間で。
さっき、外に出て空を見上げた。多分最後だ。
満月だった。
うさぎが…ぴょんが見えた。
あの月からも、俺が見えてるのかもしれない。俺が。…まるが。
夏目。
誰よりも誰よりも大好きだった夏目。
お前の幸せを、同じ空の下で願ってる。
誰よりも誰よりも願ってる。
そんなクサイ言葉とともに、そろそろ筆を置こうか。そろそろくどいだろ?
俺にだけは塩対応する夏目。里見くどいよって、言ってくれな。
最後に。
久保くん、俺が言うことじゃないけど、夏目を頼む。
俺なんかに言われなくても、久保くんはそうしてくれるんだろうけど、でも言わせて欲しい。
頼む。
夏目を、頼む。
いつか、いつかどこかで会えるなら。
この後また少し空を見て、そんなことを夢見てくるよ。
夏目。
この呼び方が、好きだった。
もう一度お前に呼びかけたかった。
里見って、呼んでもらいたかった。
夏目。
元気で。
里見千裕
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