第166話

 仕事に行く七星を、玄関でキスをしてまた後でって見送った。

 

 

 

 

 

 それから僕は仕事部屋に行き、徹夜で描いていた絵の仕上げをした。

 

 

 

 

 

 描いたのは月から落ちて、自慢の左耳が折れてしまったぴょん。

 

 

 ぴょんの初めての友だち、まる。

 

 

 手を繋いで見上げる月。星。星座。まるのおじいちゃんからもらった、ふたりの宝物の天球儀。

 

 

 

 

 

 途中で里見が来たのが分かった。

 

 

 でも僕は手を止めずに描いた。

 

 

 里見も何も言わず椅子に座った。

 

 

 

 

 

 さいごだね。

 

 

 さよならだね。

 

 

 ありがとう。

 

 

 だいすきだったよ。

 

 

 そしてこれからもだいすきだよ。

 

 

 わすれないよ。ずっとずっと。

 

 

 

 

 

 僕の中で、ぴょんとまるがそう言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 できた絵を、できたばかりの絵を、僕は里見に見せた。

 

 

 

 

 

 ぴょんとまる。

 

 

 見上げる月、星、星座、ふたりの宝物の天球儀。

 

 

 

 

 

 それは絵本のワンシーンだけど、それだけじゃない。

 

 

 

 

 

 僕と里見で見上げた月、星、見つけた星座。天球儀。

 

 

 

 

 

「………俺と夏目だ。………俺と夏目がここに居る」

 

 

 

 

 

 字も書いた。

 

 

 僕の中でぴょんとまるが言っていた言葉のひとつを。

 

 

 

 

 

 わすれないよ。ずっとずっと。

 

 

 

 

 

「里見にあげる」

「………」

「だいすきだったよ。これからもだいすきだよ。わすれないよ。ずっとずっと」

「………夏目」

 

 

 

 

 

 くしゃって里見の顔が歪んで、涙が溢れたのが見えた。

 

 

 次の瞬間、立ち上がった里見に引っ張られて、僕は強く里見に抱き締められた。

 

 

 

 

 

 ひらり。

 

 

 

 

 

 できあがったばかりの絵が、僕たちの足元に落ちた。

 

 

 

 

 

「………死にたくない。死にたくない‼︎死にたくない‼︎」

「………」

「死にたくない‼︎死にたくない‼︎死にたくない‼︎俺は………俺はっ………‼︎」

 

 

 

 

 

 痛かった。

 

 

 細くなった里見に、全力で抱き締められて。身体が。

 

 

 痛かった。

 

 

 死にたくない。

 

 

 何度も繰り返す、その、慟哭、が。

 

 

 

 

 

 何かをいつも諦めていた里見。

 

 

 来たときは、生きることさえもう諦めているように見えていた里見。

 

 

 

 

 

 うん。

 

 

 そうだよね。死にたくないよね。生きていたいよね。

 

 

 

 

 

 僕も里見を抱き締めた。

 

 

 強く強く抱き締めた。

 

 

 

 

 

「………死にたくない‼︎死にたくない‼︎何で俺が………‼︎何でっ………‼︎」

 

 

 

 

 

 うん。

 

 

 そうだよね。思うよね。何で自分が。何で病気なんかにって。

 

 

 普通に思うよね。思っているよね。どこかで自分にそんなこと起こるわけないって。普通に今日も明日も明後日も生きているのが、普通だって。

 

 

 

 

 

 本当は違う。

 

 

 考えたこともなかったけれど、里見が来たときに七星が言ったように、本当は誰でも、明日死んでしまうかもしれない。

 

 

 里見はたまたま病気になって、その期限が先に分かってしまった。

 

 

 

 

 

 分かりたくないよね。今日も明日も明後日も、普通に続くって、続いていくって、思うよね。思っているよね。だから人は。






『後悔するような選択を、平気ですることができるんだ』。

 

 

 

 

 

 僕も泣いた。

 

 

 死なないで。生きていて。

 

 

 

 

 

 僕たちはこれでもう二度と会えない、会わないだろうけれど。

 

 

 

 

 

 人生の半分以上、僕を特別な存在にしてくれた里見。

 

 

 人生の半分以上、僕の特別な存在で在ってくれた里見。

 

 

 

 

 

 七星とは別の意味で、里見は僕の、たったひとりのかけがえのない人。

 

 

 喪うなんて、そんなの。

 

 

 

 

 

「………生きて、里見。死んじゃイヤだ。生きて。生きてて。………お願い」

「………死にたくない」

「生きてて」

「死にたくない」

「生きて」

 

 

 

 

 

 僕たちは泣いた。

 

 

 お互いにしがみついて泣いた。

 

 

 バカみたいに泣いた。

 

 

 

 

 

 死にたくないと生きてを繰り返し、繰り返して。

 

 

 

 

 

 ………泣いた。

 

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