第167話

 ふたりで小さな子どもみたいに泣いた。わんわん泣いた。

 

 

 泣いて泣いて泣いて落ち着いてきて黙って。

 

 

 

 

 

 笑った。

 

 

 

 

 

 何してるんだろうって。

 

 

 

 

 

「夏目、やばい」

「何が?」

「お前、寝不足と泣きすぎで別人になってる」

「大丈夫だよ。里見もだから。里見今すごいブサイク」

「………ブサイクって。言い方な。どうしてお前は俺には『そう』かな」

「だからそれは僕が僕で、里見が里見だからでしょ

「………」

 

 

 

 

 

 抱き合っていた身体を離して、離れて、お互いの顔を見て言い合って笑った。

 

 

 

 

 

 泣いたからだろうか。今日までにもたくさん泣いたけれど、今日までで一番、しかも里見と一緒に一番泣いたからだろうか。

 

 

 それとも里見から『死にたくない』って聞いたから?生きてって言ったから?

 

 

 

 

 

 胸の内がまた少し、軽くなったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 顔を洗えば少しはいいかなって、顔を洗った。里見も。

 

 

 あんまり変わらなくて、顔を見合わせて笑った。

 

 

 そして居間に戻ってから言った。天球儀をちょうだいって。昨夜里見に預けた小さな天球儀を。

 

 

 でも結局、小さな天球儀が僕の胸元に戻ることは、なかった。

 

 

 あんな夏目を見たらつけてくれなんて言えないって、そう言われて。

 

 

 

 

 

「あんな僕って?」

「久保くんが好きで好きで堪らないって夏目」

「………確かにそうなんだけど、僕は里見のことだってちゃんとすごく好きだったよ。今だって嫌いじゃない。今だって里見は………」

「………うん。大丈夫。それもすごく分かった。分かってる。だからいい」

 

 

 

 

 

 つけたい。つけていたい。最後の最後の、最後まで。

 

 

 確かにそう思っていた。そのつもりだった。

 

 

 でも。

 

 

 

 

 

 ………里見は、もういいって。

 

 

 

 

 

 それこそ、里見のそんな顔を見たら、それ以上何も言えなかった。

 

 

 そんな顔。

 

 

 

 

 

 僕を、見えない僕の気持ちを、信じてくれた顔。

 

 

 付き合っているときには見たことのない、顔。

 

 

 

 

 

 連絡は取っていた。

 

 

 会っていた。

 

 

 会えばキスして抱かれて、会えない時間を身体で埋めた。

 

 

 

 

 

 ………それだけ、だった。

 

 

 僕たちは本当にそれ『しか』、なかった。

 

 

 



 もしもあの頃に、こんな風になれていたら。

 





 ………考えたところでもう、時間は戻らない。




 


 天球儀。小さな小さな天球儀。

 

 

 

 

 

 一番最初に、僕が里見から貰った小さな天球儀は、里見の手に。

 

 

 そして一番最初に、里見が持っていた里見の小さな天球儀が、僕の手に。

 

 

 

 

 

 渡った。戻った。

 

 

 

 

 

 握る。ぎゅっと。

 

 

 里見も握っていた。ぎゅっと。

 

 

 

 

 

 忘れない。ずっとずっと、忘れないよ。

 

 

 許されず、許せず、不器用に終わった恋だけど。

 

 

 それでもやっぱり、里見は僕の、大好きだった人。

 

 

 

 

 

「里見、コーヒーいれてよ」

 

 

 

 

 

 里見の天球儀を握ったまま言ったら、里見は真っ赤な泣きはらした目を伏せて笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コーヒーを飲みながら、昨夜の夜空観察の記録を仕上げた。

 

 

 いつものようにお互いの紙にも書いた。

 

 

 

 

 

 こうして一緒に書くのも、もう終わり。二度とない。二度と。今度こそ本当に、これで終わり。

 

 

 

 

 

 そう思うと、寂しかった。

 

 

 寂しかったけれど。寂しかったから。

 

 

 

 

 

「空、見てね。帰っても」

 

 

 

 

 

 言わずには、いられなかった。

 

 

 

 

 

「同じ空だよ。同じ空の下に、僕も居る。ずっと里見を想ってる。里見の幸せを願ってる」

「………娘と、夜空観察始めようかな」

「うん。いいね。一緒にやって、その壊滅的な絵の下手さを見せてあげなよ」

「………お前なあ」

 

 

 

 

 

 くすくすくす。

 

 

 

 

 

 里見は笑って。

 

 

 

 

 

「………ありがとう、夏目」

 

 

 

 

 

 静かに静かに、そう言った。

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