第162話

 2階の寝室に戻ろうと階段を上がったら、寝室のドアの隙間から明かりが漏れていた。

 

 

 

 

 

 七星。

 

 

 

 

 

 いつも僕が起きるとすぐに起きる。でもさっきは全然で、あんなにぐっすり寝ていたのに。

 

 

 

 

 

 そっとドアを開けたら七星が居た。

 

 

 上半身は素肌、下は僕のパジャマのズボンを履いて、ドアの向こうに立っていた。

 

 

 

 

 

「七星」

「目、覚めたら真澄が居なくて」

 

 

 

 

 

 入ってドアを閉めて、僕は持ってきたペットボトルを落として七星を抱き締めた。ごめんねって。

 

 

 足元を転がるペットボトル。

 

 

 

 

 

「喉かわいたから、水を飲みに行ってた」

「………うん。何で俺の服?」

「暗くて見つけられなかったんだよ」

「真澄のパンツ落ちてた」

「暗くて見つけられなかったんだよ」

「じゃあ今ノーパン?」

「うん、ノーパン」

「スースー?」

「スースー」

 

 

 

 

 

 僕の右肩に額を乗せている七星が、そこでやっとくすって笑った。

 

 

 

 

 

「ごめんね。降りてったら里見が起きてて、少し話してた」

「………うん」

 

 

 

 

 

 七星が、僕と里見を疑うことはないと思う。

 

 

 ついさっきまであんなにも、あんな風に抱き合っていたんだから、それは絶対ないって言える。

 

 

 でも。それでも。

 

 

 目が覚めたら僕が居なくて、戻って来なくて、かつてのコイビトが同じ屋根の下に居る。

 

 

 

 

 

 疑うことはなくても、思うことはきっとある。

 

 

 

 

 

 僕の右肩から動かない七星の髪を、ごめんねって僕は何度も撫でた。

 

 

 

 

 

「聞こえてたみたい」

「え?」

 

 

 

 

 

 一瞬、何のことか分からなかったんだろう。急に言われて。

 

 

 パッて七星の顔が右肩から上がって、僕を見下ろす。

 

 

 

 

 

「僕の声」

「………それって」

「さっきの、僕が七星に抱かれてるときの声」

「………聞こえた?聞きに来た?」

「聞こえたって。トイレに行くときに」

 

 

 

 

 

 抑えてはいた。極力抑えるようにはした。最初は。

 

 

 でも多分、途中からは………。最後の方なんか、自分で自分がどうなっていたかも分からない。

 

 

 里見が聞いた、聞こえたのだとしたら、その辺りの声だ。きっと。

 

 

 

 

 

 そっか………って、複雑そうな顔をしている。

 

 

 

 

 

 里見が故意に聞きに来たわけではない。

 

 

 僕たちは聞かれてもいいと思ってやった。

 

 

 それでもやっぱり、気持ちは複雑。

 

 

 

 

 

「何か言われた?目赤い」

「幸せ?って聞かれた」

「………うん」

「幸せって答えた」

「………うん」

「だから里見も、明日からは全力で幸せになってって」

「………うん」

 

 

 

 

 

 さっきの里見を、会話を思い出して、また涙が浮かんで、声が震えた。

 

 

 そんな僕を、今度は七星が抱き締めてくれた。

 

 

 

 

 

 熱い素肌が、あたたかかった。

 

 

 僕は七星の鎖骨あたりに顔を埋めて頬を寄せた。

 

 

 

 

 

 里見はかつての僕が好きだった人。

 

 

 七星はそれを終えて、越えて、好きになった人。

 

 

 そして、これからも、好きな人。

 

 

 

 

 

「ありがと、七星。僕に里見との時間をくれて」

「………うん」

 

 

 

 

 

 回収。消化。昇華。

 

 

 

 

 

 好きだった。

 

 

 ずっとずっと好きだった。もっと一緒にいたかった。でもそれを僕たちは、選ぶことができなかった。

 

 

 

 

 

 許されない。許してもらえない。

 

 

 

 

 

 自分たちに勇気がないことを、そうやって人のせいにして、誰かのせいにして。

 

 

 

 

 

 そしていつまでもいつまでも残る後悔を、やっと。

 

 

 

 

 

「七星」

「………ん?」

「日曜日、僕の実家に行こ」

「え?」

「七星を紹介する。紹介したい。僕の家族に」

「………真澄」

「七星は僕のコイビト。七星は僕の大好きな人。七星は僕の………」

 

 

 

 

 

 最愛のパートナー。

 

 

 

 

 

 ねぇ、里見。

 

 

 僕は幸せになるよ。もっとなるよ。七星のことを幸せにするよ。

 

 

 だから里見も。

 

 

 幸せになってね。もっとなってね。奥さんと娘さんを、幸せにしてね。

 

 

 そしたらさ。そしたら。

 

 

 

 

 

「真澄」

「………ん?」

「ちょっと待ってて、俺膀胱限界」

「へ?」

「まじごめん‼︎めっちゃトイレ行きたくて目が覚めたんだって‼︎」

 

 

 

 

 

 バリって僕を引き剥がすみたいに離して、ばたばたばたばたって、七星はすごい勢いで階段を降りて行った。

 

 

 

 

 

 残されたそこで、僕は笑った。

 

 

 七星が好きって。

 

 

 泣きながら笑った。笑いながら。

 

 

 

 

 

 泣いた。

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