第152話

「飲み物もらっていい?」

 

 

 

 

 

 3人分のハンバーグを焼いていたら後ろから声がして、ぼんやりとしていた僕の身体が盛大にびくっとした。

 

 

 

 

 

「あ、ごめん」

 

 

 

 

 

 分かりやすくびっくりしたからだろう、里見が思わずって感じに謝った。

 

 

 

 

 

「お茶もらう」

「うん」

 

 

 

 

 

 食器棚からグラスを取る里見。

 

 

 初日はどこに何があるか分からなくて、僕に話しかけるのにも遠慮があって、うろうろしてることが多かった。

 

 

 

 

 

 冷蔵庫からお茶のペットボトルを出して、注ぐ。しまって、飲む。

 

 

 

 

 

 里見と暮らすことを夢見た家で、その里見がこうして普通にお茶を飲んでいる。

 

 

 でもそれは明日で終わりで。

 

 

 そしてそれはもう、二度とこうして見ることができない。

 

 

 

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 

 

 じっと見ている僕に、不思議そうに首を傾げる里見が、カラになったグラスを持って僕の方に来た。

 

 

 僕の方にっていうか。

 

 

 グラスを洗うのに。

 

 

 

 

 

「うまそう」

 

 

 

 

 

 グラスを流しに置いて、ついでのようにフライパンを覗いた。

 

 

 袖を捲って、スポンジを手にした。

 

 

 そのまま洗う。グラスと、ハンバーグを作るために使った包丁やまな板、ボウルなんかを。

 

 

 

 

 

 無言で。

 

 

 

 

 

 僕たちは一緒に居てもそんなにたくさん喋る方ではない。

 

 

 一緒に居てもずっと黙っていることが普通にあった。ある。

 

 

 

 

 

「焦げるぞ」

「あ」

 

 

 

 

 

 しつこく里見を見続ける僕に、里見は僕を見ないまま笑みを浮かべて言った。

 

 

 僕は慌てて持っていたフライ返しで、ハンバーグをひっくり返した。

 

 

 

 

 

「焦げた?」

「大丈夫」

「良かった」

 

 

 

 

 

 うん。そうだよ。

 

 

 

 

 

 何の前振りもなくそう思った。

 

 

 うん。そうだよって。

 

 

 

 

 

 

 台所に、ハンバーグを焼く音とグラスやその他の里見が洗ってくれたものの泡を流す水の音が響いている。

 

 

 

 

 

 そうだよ。このまま終わる。こうやって終わる。

 

 

 さっきの海でのキスが僕たちのピリオド。

 

 

 今から七星がうちに来て、里見は奥さんとのこれからのために接し方を僕たちから『勉強』するんだ。

 

 

 

 

 

 胸元には、そう、なのにまだ外せない、外してとも言われない、小さな天球儀。

 

 

 

 

 

 後悔の回収。消化で昇華。

 

 

 プラスでできそうなこれからのための今から。

 

 

 の、はずなのに。

 

 

 

 

 

 もう少し、とか。

 

 

 寂しい、とか。

 

 

 

 

 

 七星という存在がいるはずなのに、里見に奥さんと娘さんを見て大切にして欲しいのに、そう思う。

 

 

 

 

 

 何でだろう。何なんだろう。

 

 

 

 

 

「里見」

「ん?」

「ご飯ができあがるまで、ちゃんとそこに居て」

「………」

 

 

 

 

 

 そこに居て、僕をちゃんと見ていて。

 

 

 夢見た夢を、あと少しだけ。

 

 

 

 

 

「………お前ってほんと、俺にだけはいつも………」

 

 

 

 

 

 呆れと諦め。

 

 

 しょうがないなって、笑いのため息。

 

 

 洗い物を終えた里見は、手を拭いてダイニングテーブルの椅子に座った。

 

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