第126話
何か。
あったと言えばあった。
なかったと言えばなかった。
特別な何かがあったわけではない。
自然な感情の流れと、知らなかったことを知った、だけ。
「大丈夫なら、大丈夫って言う真澄を信じて何も聞かない。大丈夫じゃなくて吐き出したいなら聞く」
答えず俯いた僕に、七星の言葉が続いた。
ここに、来たのは。僕は。
触れたかったから。七星に。触れて欲しかったから。七星に。
生きている命。これからも生きる命で。
「………七星に、触れたかったんだよ」
「触れたかった?」
「………うん」
言葉が足りないことは分かっていた。
もっとちゃんと説明しないと伝わらないって。
でも、言うよりも僕は、七星の隣に行って、七星の肩に頭を乗せた。
触れたいと思って、触れられたいと思って来たことを思い出したら、そうしたくて。すぐにでも。
七星がそっと、そんな僕の頭を抱いてくれた。
熱。熱いぐらいの身体。
ボディーソープのにおい。七星のにおい。
僕はそのまま、視界にうつったネックレスに、リング状のペンダントトップに触れた。
七星と僕の。
「………里見と居ると、辛い」
何か言おうというつもりはなかったのに、七星という存在にほっとしたら、自然と弱音が、本音が、口をついて出た。
「………うん」
「ひとつやりたいことをやるごとに、里見が一歩死に向かってるみたいで」
「………うん」
「里見には奥さんも子どもも居るのに」
「………うん」
「………ごめん」
「何が?」
「ごめん」
ネックレスを見ていた視界が揺れて、僕は目を閉じた。
閉じたと同時に涙が溢れて、僕の頬を伝って落ちた。
弱音を吐いてごめん。
自分でそうすると、里見と居ると決めたのに。
泣いてごめん。
七星の肩で、里見を思って泣いたりしてごめんなさい。
でも。
七星の熱いぬくもりが、僕を安心させてくれるから。
生きている七星が愛しいから。死を抱える里見がより悲しい、から。
「泣きたいときは泣けばいい。我慢するからいつまでも残るんだ。いつまでも残してるから、いつまでも残ってるんだ。………だから泣いとけ」
「………うん」
ぎゅって僕は七星に抱き締められた。
それが合図みたいに、ぼろぼろと僕は、泣いた。
泣いていたのはほんの少しの間。
話したことで、『七星に』話して、『七星に』抱き締められたことで、僕は満足したのかもしれない。
「七星」
「ん?」
「………キス、して」
帰ろうって思った。
あと少し。土曜日まで。
僕は七星と暮らす約束をしているあの家で、かつてのコイビトと叶えられなかった夢を叶える。
そして全部を吹っ切って。
「ん」
僕をしっかりと抱き締めてくれていた腕が解かれて、目を伏せる僕の唇に、七星の唇が重なった。
「ありがと」
「頑張れる?」
「………頑張る」
聞かれて答えて、また唇が重ねられた。
今度は少し、触れるだけのキスではなく、しっかりと。
七星の気持ちが、僕を好きって気持ちが、唇と一緒に重なる。
「すげぇ好き」
長くキスをした後に、七星が大きくて熱い手で僕の頬に触れながら言った。言ってくれた。
「泣くほどしんどいのに逃げない真澄がすげぇ好き。かっこいい。惚れる」
「………こんな風に甘えに来てるのに?」
「しんどいことしてるんだからエネルギーチャージは必要。その必要な真澄のエネルギー源が俺なのが、俺は嬉しい」
「………うん」
そうだよ七星だよ。僕のエネルギー源は七星。
七星が居るから。七星が僕を好きでいてくれるから。僕が七星を好きだから。
それがエネルギーに、力に、『生きる』に、なる。
「もう行く?行くなら里見さんに連絡しないと………」
僕は、言いながらスマホを探そうとした七星の言葉を、唇を塞いで遮った。
真澄?って呼ぶのも遮った。
ひとつ、またひとつ。
夢見た夢を、現実に変えて。
僕はこの腕の中に戻ってくる。
僕はこの人を、七星を愛して愛されて、そうやって生きていくために七星の腕の中に戻ってくる。
たくさん。
たくさんたくさんたくさんキスをして、僕を七星で、七星への想いで、七星からの想いで溢れさせて。僕は。
ひとりで、家に、帰った。
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