第127話

 僕が家に戻ってから1時間後ぐらい後に、インターホンが鳴った。

 

 

 帰って来なかったらどうしようという不安がまだ少しあっただけに、玄関を開けて里見の姿を見てほっとした。

 

 

 

 

 

 

「おかえり」

「………」

 

 

 

 

 

 ただいまを期待して言ったのに、里見は答えず、靴を脱いで上がることもせず、玄関たたきのところで僕を見上げた。

 

 

 

 

 

「里見?」

「………あ。ただいま」

「どうかした?」

 

 

 

 

 

 呼んだらはっと我にかえったみたいに僕から目をそらして、靴を脱いで上がった。

 

 

 

 

 

 見下ろされる。

 

 

 見下ろして、見る。見ている。また僕を、じっと。

 

 

 そして。

 

 

 

 

 

 ………笑った。

 

 

 

 

 

 その笑った顔は、ものすごくイヤな感じの笑い顔だった。

 

 

 思わず顔を顰めたぐらい。

 

 




 その僕を見たはずなのに、里見は僕に手を伸ばして頬に触れた。

 

 

 

 

 

 冷たい手。

 

 

 

 

 

「何?」

 

 

 

 

 

 笑うから。

 

 

 くすくすと、『嗤う』、から。

 

 




 僕は頬に触れている里見の手を、振り払った。

 

 

 

 

 

「『やってきた』んだ?」

「………は?」

「久保くんのところに行けって言ったのは俺だし、『やってくる』んだろうなとも思ったけど、本当に『やってきた』んだ」

 

 

 

 

 

 里見の。

 

 

 口元は弧を描いているのに、まったく笑っていない顔が、こわいと思った。

 

 

 

 

 

 何を言っているんだろう。

 

 

 

 

 

 やったって、何を?

 

 

 まさか今の今、僕が七星に抱かれてきたと里見は思っている?

 

 

 何故?僕の何を見て?

 

 

 

 

 

「夏目、さっきまでと全然違う。さっきまでは死人みたいだったのに」

「何言ってるの?何も変わってないし何もしてきてない」

 

 

 

 

 

 僕は里見に背を向けて、イヤな笑みの里見から居間の方に逃げた。

 

 

 

 

 

 里見を見て、こわいと思った。

 

 

 里見を見て、気持ち悪いと思った。

 

 

 

 

 

 背を向けた。

 

 

 逃げた。

 

 

 正確には、逃げようと、した。

 

 

 

 

 

 

「そんなに気持ちよかった?」

 

 

 

 

 

 腕をつかまれて、振り向いたところに聞かれた。

 

 

 

 

 

 何を。

 

 

 何を言っている?里見は。

 

 

 

 

 

 僕は。

 

 

 そんな里見に僕は。






 こわいし気持ち悪いのに、同時に無性に、腹が立った。

 

 

 

 

 

「………っ」

 

 

 

 

 

 つかまれた腕を振り払って、僕は里見の胸ぐらを思い切りつかんだ。

 

 

 そのままの勢いで、里見を廊下の壁まで押した。押しつけた。

 

 

 

 

 

 何?何故?わざとだ。里見はわざと僕に絡んでいる。わざと僕を怒らせようとしている。



分かっているのに、分かったから、余計に腹が立った。どういうつもり?何が言いたい?何がしたい?

 

 

 

 

 

「聞こえない?何もしてないって言ってる」

 

 

 

 

 

 里見は、僕がそんなことをするとは思っていなかったらしく、びっくりしたようにイヤな、気持ち悪い笑みを消した。

 

 

 でも、すぐに。

 

 

 

 

 

 すぐに、また。

 

 

 

 

 

「照れることないだろ」

「里見」

「ほら、分からない?お前、生き返ったみたいに艶々してる。顕著だな。身体は正直だ。そんなに相性いいんだ?久保くんと」

「いい加減にしろよ」

「別に、認めればいいだろ?嘘をつく必要なんかない」

 

 

 

 

 

 酔っているのかと思った。おかしいから。

 

 

 お酒でも飲んできた?って。

 

 

 でも違う。お酒のにおいはしない。酔っ払っているような目でもない。

 

 

 

 

 

 目。

 

 

 里見の目、は。

 

 

 

 

 

 七星と違う。全然違う。

 

 

 里見の目は、濁った目。淀んだ目。ここに来てから少し変わったと思ったけれど、それはほんの少しで、今は、また。

 

 

 


 

 こんな里見は初めてだった。今までこんな風に絡まれたことはない。





 急に、どうして。まるで。



 そう、まるで。






 嫉妬、だ。






 里見は、嫉妬している?そして、知らないから勘違いもしている。勘違いをしているから、嫉妬、なのか。

 


 

 


 里見は、僕を見て何かを感じて、僕が七星に抱かれて来たと思っている。



 いくら何もしていないと言っても、ただ七星の愛情で満たされただけだと言っても、里見は、抱く、抱かれる以外の愛情を、愛情表現を、そんなのがあるということを、知らない。だから理解できない。しないんだ。



 里見は僕を抱きたいと思っている。でも僕は応えない。だから余計に、嫉妬を。


 

 

 


 僕たちが再会したのは、20歳のとき。

 

 

 再会してそのままホテルに行って抱き合った。僕は里見に抱かれた。

 

 

 その後もずっとそう。

 

 

 会えなかった時間を、もっと会いたいと思う、飢えるほどのお互いを求める気持ちを、僕たちは身体で、快楽で埋めた。埋めあった。それ以外に何もなかった。知らなかった。できなかった。

 

 

 

 

 

 里見はそれしか知らない。

 

 

 違う与え方を知らない。

 

 

 違う与えられ方を知らない。

 




 

 僕も知らなかった。七星に出会うまでは。

 

 

 でも知って。だからさっきも、七星からもらって。愛情を。

 

 

 

 

 

「………来ない方が良かったのか。俺なんか」

 

 

 

 

 

 僕の、溢れた涙をどう受け止めたのか。

 

 

 里見がまた、僕の頬に触れながら小さく呟いた。

 

 

 

 

 

 里見が悲しい。

 

 

 里見が悲しい。

 

 

 里見が悲しいんだ。悲しいままなんだ。

 

 

 

 

 

 このままでは里見は宣告された時間まで持たない。持たせられない。その前に死ぬ。病気でか。自分でか。分からないけれど持たない。もう長くは。きっとすぐだ。

 

 

 

 

 

 重くのしかかる命。

 

 

 

 

 

 僕に何ができるの。

 

 

 何をしたら里見は。

 

 

 

 

 

「………知ってる?」

「………何を?」

「僕はずっと里見が好きだった。僕はずっと里見を待ってた。ずっとだよ」

「………」

「お前が勝手に諦めたんだ。お前が、だよ。里見。本当はずっと、手を伸ばせばあったんだ。お前が欲しかったものは。そして今もだよ。手を伸ばせば………あるんだ」

 

 

 

 

 

 どうしても僕には伸ばせなかっただろうその手を、今、伸ばせば。あるよ。あるでしょ?どうして見ないの?ずっとそこに。すぐそこに。身体だけの虚しい愛情じゃない。それをこえたものが。大きな大きなものが。

 

 

 里見が欲しいのは、それでしょ?

 





 許されるものが欲しくて。許して欲しくて。



 



 里見。

 

 


 


 僕は、僕よりも背の高い。でも、僕よりも細い。痩せ細った里見の身体を、そっと抱き締めた。

 

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