第108話
もう何度となく作ったパンケーキはレシピも覚えていて、僕は材料をボウルにどんどん入れて、やっぱり台所に来て僕を見ている里見の前にそのボウルを置いた。
「混ぜろって?」
「そう」
「混ぜるのが箸ってところが夏目だな」
「それどういうこと?」
「丁寧なんだけど最終的に雑。どこか雑。特に俺には」
くすくすくす。
笑いながら里見が菜箸でボウルの中を混ぜた。
「そんなこと言われるの初めてだけど」
里見が、僕の意識していないそういう部分を知っているのは、付き合いが長かったせいなのか。
長い、よね。付き合いは。
里見と僕は、小四から中2まで毎日一緒に居た。
うまく立ち回ることのできない、子どもの頃から。そのまま、な、頃から。
だから、里見には、うまく立ち回る必要もないと無意識に思って。
七星と居るときより、ある意味『素』なのかもしれない。
「これぐらいでいい?」
「うん。ありがと」
里見が混ぜた、里見に混ぜさせた生地を、あたためておいたフライパンに半分ぐらい流し込んだ。
そこに里見が来た。コンロの前。僕が立っているところに。
「焼く?」
「そうじゃなくて」
「ひっくり返す?」
「そうでもなくて」
「じゃあ何?」
「………」
「………っ」
びっくり、した。
息が止まった。
そんなことをするとは、されるとは、思っていなくて。
びっくりして、身体が強張った。声も出なかった。びっくりしすぎて。
そんな僕の聞こえる右耳の方で、里見がごめんって言った。
僕は。
僕は、里見に。
後ろから、抱き締められて、いた。ふんわりと。
どうしようって、思った。七星の顔が頭を過った。でも。
………里見の気持ちも。僕には。
分かる。分かった。
来ないいつかを夢見て、ここでひとり料理をしながら、こんな風にしたいと、されたいと、確かに僕は思った。
邪魔だよって言いながら。味見してよって言いながら。
来ないいつかを夢見ていた。
「………邪魔」
言いながら、僕は里見に背中を預けた。
頬をくすぐる里見の髪。
ごめんって笑う里見の声。
やりたくて、でも、やれなかったことを、ひとつずつこうしてやって。
里見。
お前はこれでもう悔いはないよって、まだ生きてるその命を諦めるの?
僕はそっと、里見の、白い髪が混ざる黒髪に、キスをした。
パンケーキを食べて、干した布団を入れて1階に運んで、僕たちはそこに転がりながらスマホを見ていた。
1年ぐらい前にたまたま見つけた『ひなレシ』という名前の料理ブログを。
見つけた頃には人気ブログだった。本も出ていた。
簡単で美味しいからと、メニューに困るとそのブログから何かないかと探した。
「これとか簡単でしょ」
中でも『ほくとレシピ』というところにカテゴライズされた丼物に、僕はよくお世話になった。
詳しくは知らないけれど、『ひな』というこの人が、『ほくと』というところでお昼ご飯に作るメニューらしい。
特別な材料は一切使わない。簡単でボリューミーで美味しい。
締め切り前の、時間がないけどお腹がすいたときにぴったりで。
里見が作れそうなものも、そこになら載っているかと、ふたりで見ていた。
「こっちも美味しそうだな」
すぐ横に転がる里見が、次のページを見て言う。
昨夜はごく自然に、不自然に隙間のあった布団が、今日はごく自然に、くっついていた。
少しずつ言いたかったことを言って、聞きたかったことを聞いて、やりたかったことをやって、布団をくっつけてもいいと思うぐらいには、わだかまりが消えたのかもしれない。
やりたかったことだし。これも。
何を食べたい?どれにする?
ああでもない、こうでもない。
ふたりで言い合って、結局さ。
「とりあえず今日の夕飯はカレーの残りだけど」
っていうオチで、笑う。
「そういえばまだ残ってたな」
「気分を変えてカレーうどんにしようか」
「いいよ」
何でもないこと。
普通のこと。
ただの毎日。
里見としたくて、できなかったこと。
七星とは普通に、していること。
「里見」
「ん?」
「………寝よ」
僕は、見ていたスマホを置いて、里見の方に身体を向けた。
里見は一瞬の間を置いてから、遠慮がちに僕をそっと抱き締めた。
「夏目と昼寝か」
そっと見上げた里見は。
満足そうな顔をしていた。
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