第109話

 人の動く気配を感じて目を開けた。

 

 

 そしたらそこに。目の前に。

 

 

 

 


「………っ」

「………起きたか」

 

 

 

 

 

 すぐ。

 

 

 本当にすぐ目の前に、里見の顔があった。

 

 

 明らかに、どうにも誤魔化せないぐらい明らかに、里見は僕にキスをしようとしていた。

 

 

 

 

 

 バレたかって顔。笑っているのに、泣きそうな顔。

 

 

 

 

 

「眠り姫がキスの前に起きたらダメだろ」

「………残念だけど僕は眠り姫じゃないよ」






無意識に、声が低く出た。






「じゃあ白雪姫か?」

「………」

 

 

 

 

 

 良かったと、思うべきなのか。

 

 

 されなくて。キスを。

 

 

 

 


 低く出た声がそう言っている?無意識に。怒っている?どういうつもりだって。何するんだって。

 





 里見が僕と、手を繋いだり抱き締めたり以上を求めているのは、分かる。感じる。視線で。

 

 

 それ以上、が、唇へのキスまでなのか、さらにそれ以上なのかまでは分からないけど。

 

 

 

 

 

 僕は、里見から逃げるように身体を起こした。

 

 

 

 

 

 手を繋ぐ、抱き締められる、抱き締める、髪にキスをされる。する。

 

 

 そこまではできる。した。

 

 

 

 

 

 でも、それ以上は。

 

 

 

 

 

 ………僕は。

 

 

 

 

 

 七星という存在が居なければ、したかもしれない。

 

 

 里見は既婚者。だからそれは不貞行為になる。それでも、里見が望むなら。

 

 

 それが『最期』の願いなら。悔いが残っているのなら。残さないように。『遺して逝かない』ように。

 


 僕が脚を開くことで、里見が。里見が………。

 

 

 

 

 

 そこまで考えて、やめた。違う。僕は。

 

 

 


 

「僕はお前を安らかな死に送るために一緒に居るんじゃない」






 違う。僕は里見が望むように、悔いなく死ぬために今一緒に居るんじゃない。






「………ごめん」

 

 

 

 

 

 里見は俯いて小さく言った。そしてそのまま黙って、僕に背を向けて横になった。

 

 

 僕はそんな里見をそこに残して立ち上がり、仕事部屋に………逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絵を描くことが、僕はいつからか本当に好きになっていた。

 

 

 最初は里見が大袈裟に褒めるから描いていて、他に得意なこともなかったから中学で美術部に入った。

 

 

 里見と離れ離れになってからも、集中して絵を描いていれば寂しさも悲しみも忘れられた。



 できた絵を見れば里見はこれを見て何て言ってくれるだろう。いつか里見をびっくりさせるぐらい上手に描けるようになってやるって、無理矢理思って何とか自分を鼓舞することができた。

 




 

 何かあれば絵を選択した。

 

 

 里見の言葉を道標みたいに、僕は絵を選択し続けた。

 

 

 

 

 

 そして気づいた。

 

 

 

 

 

 僕は絵を描くことが、好きなんだ。

 

 

 

 

 

 スケッチブックを開いて、鉛筆を持った。

 

 

 最近気分転換に描くのは、七星の実家にいる豆太ばかり。

 

 

 小さくてあたたかくてかわいい、僕の癒しの存在。

 

 

 

 

 

『豆。こら豆太。真澄をひとりじめするんじゃねぇ』

 

 

 

 

 

 豆太を思い出しながら描く。目。黒くてうるうるしてる丸い目。

 

 

 

 

 

 豆太を思い出しているのに、僕は七星を思い出す。

 

 

 

 

 

『真澄は俺のだぞ』

 

 

 

 

 

 うちに来て。居間で。ソファーで。

 

 

 豆太がずっと僕の膝の上に乗って、僕がずっと撫でていたら、七星がやきもちを焼いた。

 

 

 

 

 

『真澄も。豆太ばっかじゃなくて俺も構え』

『七星を構うってどうやって?』

 

 

 

 

 

 七星がかわいくて、愛しくて。

 

 

 笑っていたら笑うなって抱き締められて、キスをされた。こうしてだよって。

 

 

 

 

 

 豆太を思い出して、豆太を描いているのに。

 

 

 里見をほったらかして豆太を描いているのに。

 




 

 僕の頭の中は七星でいっぱいだった。

 

 

 

 

 

 どうすることが正解なの。

 

 

 どうしたらそれが分かるの。教えて、七星。僕に教えて。

 

 

 

 

 

 死に向かう里見。

 

 

 生を諦めて欲しくない僕。

 

 

 悔いを遺さないよう僕を求める里見。

 

 

 過去の後悔を回収して昇華したい僕。

 

 

 

 

 

 描き始めた豆太を、完成させることは、できなかった。

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