第66話

 豆太を抱っこしたままふたりのところに行った。

 

 

 何かあったら連絡しろよ?って、七星が僕から豆太を抱き上げて言った。

 

 

 

 

 

 何でこんなことになっているんだろう。なんて。

 

 

 

 

 

 思うけど。

 

 

 

 

 

 もしも里見が言う病気が本当なら。

 

 

 もしも里見の命の期限が本当に迫って来ているなら。

 

 

 

 

 

 そう思う僕も確かに居るんだ。

 

 

 

 

 

「………七星」

 

 

 

 

 

 思わず、豆太を抱く七星の腕をつかんだ。

 

 

 

 

 

「里見さん」

 

 

 

 

 

 そんな僕を見てだろうか。

 

 

 七星が静かに里見を呼んだ。

 

 

 

 

 

「人間なんて、本当は誰でも明日死ぬかもしれないんです。あなたはたまたま病気になって、その期限が先に分かっただけ。分かったから行動した。逆に言えば、病気にならなかったらこんなことしなかった」

「………」

「ふざけんなよって思います。俺だって明日死ぬかもしれないんだよって」

「………すまないと、思ってる」

「病気を言い訳にして、真澄の優しさにつけ込んでる。まじふざけんなよですよ」

「………」

「あなたは病気にならなければ真澄に会いに来れなかった。俺たちは病気じゃなきゃこんなこと許してません。だから、病気を嘆くのはやめてくださいね」

 

 

 

 

 

 確かに、命の期限を告げられるほどの病気にならなければ、里見がこんな行動を起こすことはなかっただろう。

 

 

 確かに命の期限があるほどの病気でなければ、僕たちもこんなことは許さなかっただろう。

 

 

 

 

 

 でも七星。

 

 

 嘆くな、なんて。

 

 

 死んでしまうかもしれない病気に。

 

 

 

 

 

 そう思いかけて。

 

 

 

 

 

 でも、七星の言う通り、僕や七星が明日も明後日も生きているとは限らないんだ。そんな保証、どこにも、誰にもないんだ。

 

 

 

 

 

 今生きているから。

 

 

 今できることを。

 

 

 

 

 

 それをしないから、後悔して。

 

 

 それをしなかったから、残された時間に、こんな風に焦って。

 

 

 

 

 

「俺たちは許してもらえなかった。だから仕方のないことだった。でも、こんな病気になることが分かっていたら、俺は………」

「じゃあ、許されるために里見さんは、何かしたんですか?」

「………」

「あなたがしたことは、逃げることだけです」

「………」

「真澄もな。黙ってたってことは、里見さんが逃げるのを許したってことだ。真澄も逃げたってことだ」

「………うん」

 

 

 

 

 

 そう。僕は黙っていた。黙っているしか、何も言わずに待っていることしか、僕にはできないんだって思っていた。

 

 

 でも違う。そう今なら分かる。

 

 

 僕は自分にそう言い聞かせて、そう思っているんだって思い込ませて、僕も逃げていたんだ。

 

 

 

 

 

 あの日の、あの悲鳴から。目から。言葉から。

 

 

 

 

 

「だって許されないだろ?許してもらえなかった。夏目のことがバレるたびに俺は」

「見てましたよね?さっき。俺らのこと」

「………」

「あっちに居るのは俺の姉貴一家です。姉貴たちは子ども含めて俺たちが付き合ってるのを知っています。俺たちを許していないように見えましたか?」

「………」

「逃げたか逃げなかったか。それだけです」

「でも行動したところで俺は病気で、結局夏目にはキミが」

「………病気を理由にしないと行動できなかっただけだろ?逃げた結果病気になった。しかもそれ利用しての無茶振り。無茶振りしといてのその言い訳。まじふざけんな、ですよね」

 

 

 

 

 

 七星は。

 

 

 

 

 

 七星は怒っていた。

 

 

 怒っていた。静かに。とてもとても静かに。

 

 

 さっきまでは全然。僕と居るときは全然。僕でさえどうかと思う里見の話に、むしろ協力的すぎるとさえ思っていたのに。

 

 

 

 

 

 イヤ、だよね。

 

 

 

 

 

 もしこれが逆なら。

 

 

 現れたのが里見ではなく七星のかつてのコイビトだったら。そう考えたら。

 

 

 

 

 

 1週間。自分のコイビトが過去のコイビトと過ごす。

 

 

 

 

 

 嫌いになって別れたんじゃない。逆で。好きだけど別れなければならなかった。

 

 

 好きなままだったから、好きな気持ちは残っていて、当時の後悔もあって、それをこうやって、その後悔をこうやって。

 

 

 

 

 

 でも、七星。

 

 

 

 

 

 もしも七星の前にかつてのコイビトがあらわれて同じように言われたら。

 

 

 やっぱり僕も七星と同じことをするんじゃないかって、思う。

 

 

 いいよって。

 

 

 

 

 

 イヤだけど、1週間ふたりで何をするの?七星が僕にするようにその人にするの?優しく名前を呼んで見つめて抱き締めて。過去に言えなかった気持ちを、想いを言うの?できなかった何かをするの?イヤだよ。だって七星が今好きなのは僕で、七星のコイビトは僕。

 

 

 でも。

 

 

 

 

 

 でも。

 

 

 もしも七星の中で、かつてのコイビトが胸に引っかかっていて、その引っかかりをずっと抱いているなら。

 

 

 その引っかかりを、1週間で終わりにすることができるなら。

 

 

 これからをずっとふたりで、七星と僕で一緒に居るために。僕も。

 

 

 

 

 

「夏目が好きだった。ずっと好きだった。好きだよ。でも俺とお前は許されない。何年経っても、どんなに好きでも。………そう思っていた」

「………うん」

 

 

 

 

 

 小さく小さく、里見は言った。

 

 

 かろうじて拾ったその言葉に、僕は頷いた。

 

 

 僕もそう思っていた。許されない。絶対に許されない。許してもらえない。

 

 

 

 

 

 そうやって逃げて。

 

 

 そうやって自分を守って。

 

 

 そうやって僕たちが、僕たちで。

 

 

 

 

 

 僕たちで、壊したんだ。僕たちの関係を。

 

 

 

 

 

「1週間、夏目を俺にください。どうしても、どうしても夏目のことだけが悔やまれて、死んでも死に切れない」

「俺の答えは同じです。真澄がそうしたいなら。後悔しないために1週間里見さんと居たいって思うなら」

 

 

 

 

 

 七星に頭を下げた里見が、今度は僕に頭を下げた。

 

 

 

 

 

「お願いします。お前の、夏目の1週間を俺にください」

 

 

 

 

 

 細くなった。小さくなった。白髪が増えた。実際の年よりも上に見える。迫る病魔が見える。

 

 

 

 

 

「………土曜日までだよ、里見。それ以上はない。絶対にない」

「………夏目」

「僕は今、七星が好きなんだ。すごくすごく、七星が好きなんだ」

 

 

 

 

 

 七星の腕にじっと抱っこされている豆太を撫でて、僕もその腕に頭を乗せた。

 

 

 豆太が僕の頭のにおいをくんくん嗅いで、七星は僕の髪にキスをしてくれた。

 

 

 

 

 

 本当に。

 

 

 本当に、心から好きだって、思う。七星を。

 

 

 今だけじゃなく、僕たちのこれからを考えて、これからのために時間をくれる七星のことを。

 

 

 

 

 

「………ありがとう」

 

 

 

 

 

 里見の声は、震えていた。

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