第64話
七星との行為は幸せでしかない。
身体を繋げるということの本来の意味を、僕は七星で初めて知ったと思う。
お互いへの、愛情を伝える。信じて委ねる。
「疲れた?」
じれったいぐらい優しい行為を終えたばかりのベッド。
目を閉じて余韻に浸る僕の上に重なる七星が、僕の顔の両側に肘をついて僕の頬を撫でながら聞く。
うっすらと目を開ければ、今までしていた行為よりも優しく笑って僕を見下ろす七星。
お揃いのネックレスが、僕の鎖骨あたりで重なっていた。
僕も手を伸ばして、七星の頬に触れる。
七星とはこんなにも普通にしているこんなことを、里見としたことは、できたことはなかった。
里見との間にあったのは不安。いつも不安。恐怖。いつでも。どんなに激しく身体を求めあっても。
七星が僕の手を取って、そこにキスをする。
「真澄は、どうしたい?」
「………」
その問いは、聞くまでもない。里見のこと。
どうしたいのか。
僕は思わず、七星の首に腕を絡めて、七星と僕の接地面を増やした。
僕はどうしたいのか。
どうしたらいいのか。
どうすることが正解なのか。
痩せた身体。細くなっていた身体。元々日に焼けない体質だった。色白だった。けどそれが、夜だったから?もっと………。
七星が重くない?って聞きながらしっかりと僕に重なって、抱き締めてくれた。
熱い身体。
長くスポーツをやっていた、逞しい身体。
里見も昔は、こんな風だった。
「俺は、いいよ。1週間、真澄が里見さんと居ることを選んでも」
「………え?」
右耳に穏やかな声が予想外の言葉を僕に告げた。
思わず腕を緩めた。
七星は、僕の右耳辺りに埋めていた顔を上げて、僕を見て笑った。
僕を好きって言ってくれている目。顔。笑み。
「だって真澄は俺のことが好きって分かってる。里見さんのことが好きだったのは昔。今は違う。1週間一緒に居たって、それは絶対変わらない。だからいい。真澄がそうしたいなら、そうしても」
僕が、そうしたいなら。
「………僕は」
僕は。
僕は、七星。
僕、は。
「一番の後悔って何かやったことに対してより、逃げることにするんだよ。本当は………って気持ちがあるのに、こわがって何もしない。何も言わない。そしてそれをどうして何もしなかった?何もできなかった?あのときああしておけば良かったって」
「………七星」
「俺もあるよ。あの頃に後悔は。けど、俺は自分がやりたいってことはやった。俺の後悔は、俺のやりたいことがアイツの負担になっていて、それがアイツを追い詰めていたのに、俺がそれに気づけなかったこと」
「………」
「もっとアイツのことを見ておけば良かったって思う。何で目の前にいたのに気づけなかったんだろう。そう思う。けど、あの頃の俺にできることはやったつもりだ。そして、だからこそあの頃できなかったことをできるようにしたい。目の前の大切な人の心を、気持ちを、ちゃんと見て、大切にしたいって、今がある」
目の前の大切な人の心を。気持ちを。
それは。
僕の心を、で、僕の気持ちを。
じれったいぐらい進まなかった、そして今もじれったいぐらい優しい七星は、僕がちゃんと僕の全部で七星を求めるまで待っていてくれるから。
七星は、している後悔を後悔だけで終わらせていない。
「真澄は里見さんに言いたいことを言わなかった。本当はやりたいことをやらなかった。里見さんもずっと真澄にそうだった。だからいつまでもいつまでも、お互いが思い出にならない。後悔が後悔のまま強く強く残ってる」
「………」
「でも、里見さんは、きっかけが何であれ、後悔を後悔のままにしないために行動に出た。それに対して真澄はどうするのか。どうしたいのか」
僕は。
里見の話だけで、病気やそれ以外の話が真実かどうかは分からない。
でも。
あの里見は。あの里見の姿は。
土下座までして。そうまでして。
「俺は、これから先もずっと里見さんを心に抱えていく真澄より、本当はやりたかったことを言いたかったことを言って、やりきって、里見さんをすっぱり過去の人にした真澄がいい」
「………それ、1週間里見と居ろって言ってるようなものじゃん」
「だな」
「………七星は、イヤじゃないの?1週間も僕が居なくて。1週間も僕が里見と居て」
「イヤだけど、めっちゃジェラシーだけど、でも、決着は必要だろ?その方がきっと、真澄の、俺らのこれからのためになる」
僕たちの、これからの。
「真澄は俺のこと好きだけど、分かってるけど、時々どこか違うところを見てる。悲しそうに空を見上げてる。仕事部屋で、何も置いてない棚の上を見てる。机の上のまるの人形を見てる」
「………」
「里見さんのことを思い出してるんだろうなって思う。里見さんに対して何か思ってるんだろうなって」
「………ごめん」
図星過ぎて目をそらした。
七星を見ていられなかった。
気づかれていることに気づいていなかった。
目をそらした僕の頬を、七星が両手で包んで、キス。
くすって、笑いながら。
「真澄は俺のこと好きって、分かってるからいい。でも………いつまで?」
「………っ」
「この先ずっと?俺らこれから一緒に住むのに、真澄の家にも挨拶に行こうと思ってるのに、法律が変わって男同士でも結婚できるようになったら、絶対その日のうちに届けを出そうとか思ってるのに」
え?
里見の話から、今。さらっと、七星。
法律が変わって、男同士でも結婚できるようになったらって。
「俺はそのつもり」
「………七星」
頬から耳の後ろへと髪を撫でられる。
大きな手。熱い手。
その手に、僕の手を重ねた。
今、だけを見るなら。
逃げればいい。あの頃のように。
イヤなことから。見たくない現実から目をそらして逃げて。
そしていつまでも。いつまでも。いつまでも。
七星の頬に触れる。目元に触れる。
七星が見ているのは、今だけじゃない。
七星が見ているのは。
「真澄?」
今日は涙腺がどうかしてる。
また涙が溢れた。
「………七星」
「ん?」
「………僕。里見をちゃんと終わらせたい」
ちゃんと。
始めたいんじゃない。里見とはもう戻ることはない。
でも、後悔を後悔のままにして、開いた傷口をずっと抱えているのはイヤだ。もうちゃんとしたい。終わらせたい。
そのためには。
ふたりで、ふたりきりで過ごして、何をするのか、どうなるのか分からない。そんなにも長く一緒に居られるのか。
でも。最後。
里見の病気がというのを抜きにしても。
お互いの中にいつまでもある後悔を拭う、これは。最後の機会。
「………ぴょんは月に戻る。だろ?」
「………え?」
「月には待ってる人が居る。たくさん居る」
まだ決めていない、僕の絵本。ぴょんとまるシリーズのラスト。
急に、何で。
でも。
待ってる人が居る。たくさん、居る。
美夜さんや理奈ちゃん、健史さん。七星のお父さんお母さんの姿が何故か脳裏に浮かんだ。
「勝手にラストを決めちゃダメでしょ」
そうだね。
耳折れうさぎのぴょんは、月に帰る。
待ってくれている人が居るから。たくさん、居るから。
重なった唇に、僕はそっと目を閉じた。
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