第6章第003話 レイコのもたらした物

第6章第003話 レイコのもたらした物


・Side:クライスファー・バルト・ネイルコード(ネイルコード国国王)


 マルタリクから、クーラーなる物が献上された。毎度のレイコ殿と、ユルガルム領に滞在中のエルセニム国のマナ師の協力によって発明された、部屋を涼しくする機械だそうだ。

 設置には、室外と連なるところが必要だとかで、居間の窓が一つ潰されることになったが。まぁ無骨な衣装棚といった雰囲気のものだが。動き出してしまえばその価値は十分ある物だ。


 …うん…素晴らしいな、このクーラーというものは。この部屋だけもう秋が訪れたかのようだ。

 風を送る機構がブーンという音がうるさく感じることもあるし、納品されたものはまだあまり広い部屋に付けることも出来ないので、冷やせるのは王宮の一番小さい居間だけだ。だがそれでも、この部屋から出たくなくなってしまうな。


 朝夕はまだ風が気持ちいい季節だが。日が高くなってくると汗ばむような陽気になってくるこの季節、仕事もダレがちになってくるが。…ああ、ザイル宰相が知ったら絶対仕事をここに持ってくるな。早めに執務室や大臣室くらいには、これを設置しないと、私の安寧の場所がなくなる。


 当然ながら、私の家族もこの部屋に集まることになる。妻リーテに、息子の妻ファーレルに、孫らも一緒だ。王太子たるアインコールも当然来たがっていたのだが。護衛騎士が、王と王太子とその嫡子が護衛の居ない部屋にまとめて居続けることは容認できない…と追い出されてしまった。もしもの事があって三代が一度に死ぬようなことがあったらネイルコード国は分解してしまうだろうからな。

 変わりと言ってはなんだが、扇風機というものも送られてきた。このクーラーのファンという部分が回って風を送るだけの機械だが、暑い時期にはこれがあるだけでもだいぶ違う。これがアインコールの方に渡されているはずだ。

 今頃政務室で頑張っていることだろう。後で私の分の仕事のために交代せねばならんが…もうちょっとのんびりさせてくれ。

 冷蔵庫なるものも厨房に設置されたとかで。冷やされた飲み物と、同じく冷やされたプリンも出された。うんうん、孫らがニコニコしながら食べている様は、なによりの癒やしだな。リーテにファーレルもニコニコだ。リバーシをしながら食べるのは行儀悪い? ここに居るのは家族だけなのだから大目に見てあげなさい。



 にしても。レイコ殿の知識とエルセニム国のマナ術から、このようなものが出来てくるとは。

 これでまだ試作品の試験中だそうで、毎日職人が点検しに来る事になっているそうだが。これは皆が欲しがるだろうな。

 ユルガルムとマルタリクからの報告では、このクーラーの生産も大変だが、他にもいろんなものが開発の順番待ちをしているそうだ。携われる職人を増やすような施策が必要とのマラート内相からの上奏があったな。

 アイズン伯爵の施政のおかげで読み書き計算が出来る国民は順調に増えている。職人の資質としてはどちらも重要だからな、これからもそういう職に就く人間が大勢出てくるのだろう。

 ただ。弟子の給料や生活費が負担になって職場の方で取れる人数に限界があるとのことだったな。各街の職人街の子弟制度に補助金でも出してみようか。まずはアイズン伯爵の意見を聞いてみるか。彼なら「十分元は取れる」とでも言ってくれそうだ。


 そう言えば、賢者院のコッパー男爵から、賢者院の拡張と学院化の提言が出ていたな。ユルガルム領でかなりレイコ殿に揉まれたようで、レイコ殿から授けられたさらに高度な知識について編纂と研究をしたいのと。これまた子弟を取って高等教育を受けさせたいそうだ。

 その知識について概要も書かれてはいるが…これは正直ちんぷんかんぷんだ。この世の理を示す英知の言葉…そんな感じにしか把握できていない。ただ、その知識が将来…いや未来か、大きく花を開くのは確実だそうだ。


 可能性ではなく確実。そう言い切れるのは、レイコ殿がそういう世界から来たからだ。何年どころか何十年、何百年かかるかは分からないが、それぞれの世代でその時の為政者が階段をコツコツとと詰んでいく必要がある。その価値はあるのだろう。

 多分貴族にはあまり興味を持たれない施政だろうな。こちらも広く市井から人材を募るべきだろう。

 コッパー男爵の提言書には、その学院をユルガルム領に作ることが書かれている。マナ術、いやマナ技術か、ユルガルム領が今は最先端だ。次点でマルタリクとエルセニム国か。

 王都は確かにネイルコード国の中心ではあるが。中心に全てを集める必要は無い。すでに経済の中心はエイゼル市に移りつつあるしな。都市ごとに機能を分けるのは理に適っている。

 ユルガルム領に隣接するのは、ダーコラ国とエルセニム国だが。接していると言っても地図上の話で、間にあるのは未踏の山地と森林地帯だ。北からの魔獣対策でネイルコード国には重要な地だが、事実上孤立していると言っても良い。研究機関を置くには理想的だろう。



 隣では、リーテも報告書に目を通している。彼女は、私が見落としたようなことをよく拾ってくれるのだ。


 「学院とは、すぐこういう新商品が出てくる…という成果が期待できるわけではないが。将来、赤竜神の高みに近づくためには必要な研鑽だそうだ。話がでかくなってきたな」


 太陽にかかるあの一筋の線、あれは赤竜神の作られたマナ工場だそうだ。しかも太陽は、この世界の百倍もでかいらしい。…世界の百倍のでかいものが、伸ばした手の先の1ダカム硬貨と同じくらいの大きさに見える。…どれだけ遠くにあるのと言うのだ? しかもその太陽を一周する様な輪をあそこまで行って建造する…どのような知識の果てにそのようなことが可能になるのか、想像もできない。


 「こうなると、やはりレイコ殿をネイルコード国に首脳陣として迎えたくなりませんか? その見識は多いに役に立つことでしょう」


 孫らの世話を見つつ、王太子妃のファーレルが尋ねる。次期王妃としてリーテにいろいろ鍛えられている。


 「ないな」「ないわね」


 私とリ-テが同時に答える。ファーレルがびっくりした顔をする。


 「レイコちゃんは…まぁ優しすぎるのよ」


 正教国での報告は一通り受けている。理性を失った元エルセニム人の魔人と、同じく魔人になりかけた首謀者のサラダーン元祭司長との戦い、結果これらは死亡。その際にマーリア姫も危うく命を落すところだったとか。


 状況を聞くに、死に至らしめたのは仕方ないとしか思えないし。為政者の立場からすれば、救えない人間と救いがたい人間、切り捨てるに躊躇すべきではないだろう。それらのために、他の者が死ぬようなことがあってはならない。

 ただ。レイコ殿はそういう人の死とは無縁の世界から来た。聞くに、病死と事故死以外はほぼ無く、人が殺されようなものなら"ニュース"とかやらで大騒ぎになるような国だったそうだ。

 レイコ殿の中身は25歳だそうだが。正教国の騒動での心痛は察するに余りある。


 「昔のアイズン伯爵と同じね。絶対、その優しさが原因で舵取りを失敗するわ」


 「ファーレルは知っておるか? バッセンベルのサッコ・ジムールのことは」


 「はい。レイコ殿がエイゼル市に来たばかりの頃に問題を起こした…男爵家の次男でしたっけ」


 「うむ。まぁサッコ自身はあちこち骨を折られて再起不能にされた上にバッセンベルで処刑されたが。あれの妻子が連座してしまってな。それを知ったレイコ殿が"面子にこだわる貴族とかって嫌い"と叫んだそうじゃ。奴隷制度にも敏感に反応しておったしの。身分差というものは、基本的に嫌悪の対象なのだろう」



 「…でも、アイズン伯爵にはずいぶん懐いておられるような」


 「まぁ能力のある者は相応の地位に居るのは構わないのだろうが。そうでないものに地位を与える仕組みは、本心では毛嫌いしておるのだろうな」


 身分が能力に合っていれば良いが。身分にこだわるだけの無能は見ていられない。


 「義父様も有能だと認められている…ってことですね」


 …そう思いたいところだな。油断は出来ないが。


 「カステラード様から伺いましたが、レイコ殿が民主主義というものについて語っていたとか。カステラード様は無理だろうと仰ってましたけど」


 「わしも同感だな。ただ、その民主主義とやらが可能となる社会作りと人の育成、それがレイコ殿の目指すところではないだろうか。もしエイゼル市で市の代表を選ぶ選挙とやらが実施されれば、まずアイズン伯爵が選ばれるだろう。そういう見識を民に備えさせる、それが当面の目標というところだな」


 民の教育が進めば税が増える。アイズン伯爵がいつも言っていたな。民の施政への関与が増えるのなら、施政に関わる権利というものも出てくるのだろう。


 「ただし。その民主主義とやらで生まれた為政者にしても、それで上手く行くかどうかは結局は当人の資質の問題であるし。為政者というのは、極論すれば大のために小を切り捨てる決断をする者のことだ。そこは民主主義でも変わるまい」


 選ぶ側が、自分が切り捨てられる側になる可能性を微塵でも理解していれば良いがな。そうで無ければ、選ぶ側も無責任だ。


 「しかし、レイコ殿ならその小を救うために奔走することになるだろう。そして、救えなかった小のために心を痛め続けるのだ。そのような者が為政に関わると心が壊れるぞ」


 もちろん、その小ができるだけ少なくなるように、またその小を掬い上げるための施策を考えないわけでは無い。それでも優先順位を付けなければ行けないことはあるし、予算に限りがある以上出来ることにも限界はあるのだ。完全に全てをとは行かない。


 「どこかの村長程度ならともかく。国政に関わるのは難しいだろう。…そんな重責ののし掛かる地位に私は孫のカルタストを着けねばならん。それをこなせるように育てねばならん。まったく王族というのは度しがたいものだ」


 「ダーコラ国と正教国の件についても、レイコちゃんを深入りさせすぎました。しかしそのおかげで、ネイルコード国にとっての直近の問題はほぼ片づいたと言っても良いでしょう。レイコちゃんには、それによって得られるだろう安寧の時代を享受して欲しいと思ってます。…無理強いすると、多分逃げますよ?あの子」


 「…そうですね。承知いたしました」


 「ファーレル。私や陛下より、アインコールや貴方の方が長くレイコ殿と付き合うことになるでしょう。まぁレイコ殿は直接戦闘以外なら頼まれて断ることは少ないと思いますが、喜んでやっているかどうかは常に考えて接しなさい」


 「はい、義母様」


 「リーテはアインコールの報告はもう読んでおろう。正教国でマーリア姫について起きたこと、いかが思う?」


 「小竜神様がレイコ殿の父親ということでしょうか? それとも周囲のマナを支配できる能力でしょうか? マーリアちゃんを助けたという小竜神様の御技も刮目すべき物がありますが、あれはどうも体内マナが濃くないと使えないようですね」


 「小竜神様が父君ご本人というのとはちょっと違うようだな。レイコ殿の父君のものまね…だそうだ。正直、どう区別して良いのか分らんがな。レイコ殿が飼っているただのペットではなかったということだが、まぁこれも周知は出来んだろ」


 「義父様、小竜様をペットだと思っていたのですか?」


 「…もちろん冗談だ。」


 正直言うと。小竜神様が超常的な生き物だというのは理解するが、そこまで崇高なのかと言われるとあまりぴんとこないのだ。

 まぁ、子供に人気の小動物というイメージがなかなか拭えんな。ただ、アイズン伯爵もリーテもいろいろ助けられていると聞く。知力も能力もレイコ殿に劣らないそうだ。


 「赤竜教の象徴以外に使い道が無い…と言えば言葉は悪いですけど。これであの子の価値は恐ろしく上がりましたが、レイコ殿が一緒にいなければ意味が無いのも事実。まぁ今まで通りにしておくのがよろしいかと。それよりはマナの支配する力ですね」


 「マナを爆発させられる事はマナ術の範囲で知られてはいた。出来る者は歴史上数えるほどだし自爆に近い技らしいがな。ただ、レイコ・バスターの様な使い方がマナに出来るとなると、研究する輩は増えるだろうが。仮にそういう兵器が出来たとしても、レイコ殿の前では無力になるということだな。逆に言えば、レイコ殿はこの世界にあるマナを自在に兵器として扱うことも出来る…とも言える」


 広域マナ支配か…

 このクーラーに、ユルガルム領とマルタリクで研究の始まった蒸気機関もだが、マナは今後さらに重要な資源となるだろう。


 レイコ殿の世界では、石油という地下から出てくる油や石炭が原動力だったそうだ。油の方は石油と言ったか。ただ、これらが自然に出来るまでは数億年かかるそうだ。まぁこの年月だけでも想像の埒外だが。赤竜神がこの大地に降臨してから三千万年、その"短い"時間では、我らが使う分を用意できなかった補填がマナだとか、もとは毒に覆われていたこの世界を浄化するためにマナを使ったとか、レイコ殿が話した内容はこちらにも伝わってきてはいるが。これもまたでかすぎる話だ。


 まぁこのへんの話は、コッパー男爵の方が詳しいか。

 ともかく、マナが人間の社会を支える物質となるのは変わらない。その制御をレイコ殿が握っていると言うことは、世界の命運がレイコ殿の手の内に収まっているということになる。


 「…彼女一人で世界をどうとでも出来る状態になっているということに、どれだけの人間が気がつくやら…だな」


 「それだけで危険視する人間は出るでしょうね。だからといって何が出来るとも思いませんが」


 「そうだな。…問題になるとしたら、ずっと先の話だろうな…」


 「魔人についてはどうだ?」


 「残された資料を大まかに読むに、マナの保有量が多い者が飢餓状態になるとマナで体が生きようとしてマナに乗っ取られる…という解釈をしてましたけど」


 「まぁ飢餓状態だけで魔人になるのなら、バッセンベル領なんかはとっくに魔人に支配されているな。聖女リシャーフも同様の処置を受けて多少は覚醒しているようだが」


 「成功と失敗、個人差があると言えばそれまでですが。どのみちあのような研究を進めるわけには行かないでしょう」


 「ユルガルム領の北から魔獣が来るのは、北の地という極限環境が理由にあるのか? ただ、あの魔獣のマナの量を考えると、それだけのマナを摂取できる場所、環境、そういったものが北の果てにあるのかもしれんな」


 「…あの未踏の地を探索できるのは、まだずっと先の話でしょうね」




 ともあれ。レイコ殿が来てからと言うのも、めまぐるしく変化している。国内の産業もだが、近隣諸国のリスクも大きく減った。

 今後、レイコ殿に露骨な接触を試みる輩はほぼいないだろうが。積極的な現状維持、彼女にとって住み心地の良い状況を保持することに注力する。今はそれで良いだろう。


 「おじいさまっ! レイコ様はお城には来られないのでしょうか? 年史の宴以来、お会いできていないのですが」


 孫のクリステーナが問いかける。確かに最近ご無沙汰じゃの。

 わざわざ呼び出すのも申し訳ないが、一度アイズン伯爵と共に城に招待してみようか。いろいろ礼も言いたいしの。


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