第1章第050話 ごめんなさい

第1章第050話 ごめんなさい


・Side:アイリ・エマント


 ファルリード亭での試食会。まさかブライン様が来られるとは。まぁプリンにはそれくらいの価値があると思うわ。

 あと、同席されているあのご婦人。ブライン様の対応を見ていると、伯爵より地位が上にように思える。

 伯爵家より上の家格のご婦人。公爵家、辺境侯爵家…後は王家…まさかね。


 テーブルや椅子も高級品が持ち込まれ、給仕も派遣されてきた人が行なっている。私たちでは高貴な方の会食の差配なんて無理なので、むしろありがたいけど。

 …レイコちゃんが上座に座らされて、目を白黒させている。ウェイトレスのエプロン姿で。


 会食も、レイコちゃん以外は和やかという雰囲気で終わるか…とそのとき。

 ずいぶん薄汚れたが、市場の時のバッセンベルの貴族が、それ以上に汚い剣士を三人連れて店に入ってきた。


 待機していた護衛の人が対応しようとするが。店に対して責任感の強いモーラちゃんが、先に動いた。動いてしまった。


 「済みませんお客様。今は貸し切りでして…」


 モーラちゃんが吹っ飛んだ。バッセンベルの貴族が思いっきり足の裏で蹴飛ばしたのだ。

 頭から壁に突っ込む!…と思ったけど。モーラちゃんは瞬間くるっと回ってそれは辛うじて防ぐが<

背中から壁にぶつかった。


 モーラちゃんの肺から、ぐふっと息が抜ける声がする。

 私とミオンさんが駆け寄ろうとしたとき。


 ピキリ!


 いや、実際に音がしたわけでは無い。なんだろう?体の根幹のところで何かが急に熱を失った感覚。


 直感でレイコちゃんが中心地だと分る。

 そちらを向くと、表情を無くしたレイコちゃんがバッセンベルの貴族を見ている。


 レイコちゃんは、お前のせいだとか謝れと喚いている馬鹿貴族の前にしゃがむと、そのまま両手で突き飛ばした。馬鹿貴族は、店の入り口から通りまで吹っ飛んでいく。


 激高した剣士達がレイコちゃんに斬りかかるが。即、手足を砕かれて転がることになる。


 抱え起こしたモーラちゃんは、特に怪我もしていないようで、意識もしっかりしている。ミオンさんもホッとしている。


 通りで喚いている馬鹿貴族がレイコちゃんに斬りかかっていったが。


 ベリンッ! ゴキンッ! ベキンッ! ガッ!


 手足に顎を砕かれて気を失ったようだ。


 静かになった馬鹿貴族を見下ろしているレイコちゃん。周囲にあった緊張みたいな物がふと消える。




 こちらに振り返るレイコちゃん。ミオンさんに解放されているモーラちゃんを見て、駆け寄ってくる。


 「モーラちゃん、大丈夫?」


 「あ、レイコおねーちゃん。びっくりしたけどあれくらい大丈夫だよ」


 「上手いこと衝撃を躱したようだね。どこも怪我ないから安心し…」


 レイコちゃんの顔を見た私たちは絶句する。彼女は、その両眼から滂沱のごとく涙を流していた。


 「…ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」


 泣きながら、モーラちゃんの手を取る。


 「私がこの宿にこなかったら。私が市場であいつに関わらなかったら。こんなことにならなかったのに…」


 モーラちゃんに謝り続けるレイコちゃん。


 「そんな。お姉ちゃんのせいじゃなかいって」


 「そうだよ。悪いのは完全にあの馬鹿貴族だけなんだから。レイコちゃんが責任感じることなんて…」


 泣いているレイコちゃんを背中から抱きしめる。

 中身は二十五歳とか言っていたが。今は十歳の女の子と変わりないようにしか思えない。


 そんな私たちを、レッドちゃんがじっと見つめている。




・Side:セーバス・チャック


 リーテ奥様にも困った物です。

 レイコ様に直接お会いしたいと、わざわざ市井の宿屋での会食を望まれるとは。


 ランドゥーク商会、アイズン伯家、そして私の部下からも"手伝い"を派遣して準備します。信用していないわけではありませんが、奥様の口に入る物は精査しないわけには行きません。


 出来た料理の毒味は、私自らします。…なるほど、この美味しさなら、教会へ奉納という話になるはずですね。宿の小さな給仕さんに見られました。私が驚いたのを見て、ドヤ顔しています。…味見じゃ無いですよ。




 会食が一通り終わったところで、監視をしていたバッセンベルの不埒者が襲撃してきました。

 …実は、こやつらが動いているのは察知済みではありましたが。奥様からもう少し泳がせておけとのご指示が。その罪状は既に固まっており、近いうちにバッセンベルに突き返すのは確定しておりましたが。今少しレイコ殿がどう対応するのか見てみたいということでしたが。

 これは私のミスでした。手練れの部下も配置していて、従業員の安全にも配慮していたつもりですが。先に宿屋の少女が動いてしまいした。

 少女の身体能力が想像以上で、前に出ることを止められませんでした。その少女が、不埒者に蹴り飛ばされます。想定外です。


 冷たく激怒。この後のレイコ殿の雰囲気には、この言葉がぴったりでしょう。何が起きているのかは分りませんが、私を含めて本当に冷たくなるのです。

 レイコ殿は、淡々と不埒者共を行動不能にしていきます。彼女なら、多分瞬時に殺すことも出来るのだと思いますが。しかし、これは慈悲というわけではないでしょう。剣士達は、あの怪我では二度と剣士として働くことは出来ないでしょうし。サッコについてはまともに生活が出来るのかすら妖しいです。…まぁそんな先までの心配をする必要は無いでしょうが。


 幸い、飛ばされた給仕の少女はほぼ無傷ではありましたが。責任を感じたレイコ殿が泣きじゃくっています。




 ブライン殿に指示されて、伯爵領の兵がまともに動けないバッセンベルの不埒物らを馬車に放り込んで引っ立てていきます。

 私とリーテ奥様も、レイコ殿への挨拶もそこそこに、宿に着けられた馬車で撤収です。


 「殿下、申し訳ありません。私の差配ミスです」


 「…いえ。あの者らを今少し泳がせるように指図したのは私です」


 あの素晴らしい試食の余韻は皆無です。


 「あの子の正義感とか行動力を少し見てみたい程度の心持ちだったのですが。泣かしてしまいましたね。悪いことをしました」


 飛ばされた少女の無事に安堵しつつも、自分が巻き込んでしまったと責任を感じているレイコ殿。あの姿を思い出すと、いたたまれなくなります。ただ、背後で我らがどう動いていたか、動かなかったのか、それらを明かすことも出来ません。


 「いずれ、謝罪と償いをする必要があるでしょうね」


 「…はい奥様」


 「ところで。あの瞬間に感じた寒気は、私の気のせいでしょうか?」


 「いえ。信じられないことですが、あのとき私のマナ術が解除されてました」


 私は、奥様の護衛として、また普段からの鍛錬として、常に身体強化術はかけております。


 「…外部から解除できる物なのですか?マナ術とは」


 「達人によるいわゆる殺気とか、そういう干渉が可能だという話はいくらかありますが。実際にマナ術を解除されたという経験は初めてです」


 「やはり、レイコ殿の能力ということですが。さすが赤竜神の巫女様…と言って良いのでしょうか?」


 「意識して使ったようには見えませんが。しかしこれでまたレイコ殿の価値が上がるのは確実かと」


 「…本人は望んでいないでしょうね。難儀なことです」


 馬車は、エイゼル市の貴族街にたどり着きました。私が馬車のドアを開けて紋章を見せると、すぐさま通行が許可されます。

 何はともあれ、まずは善後策の検討をしなくてはいけません。




・Side:アカイ・タカフミ


 試行番号01-674-02。

 レイコさん命名レッドさんからの連絡。量子干渉の痕跡を検知。深度マイナスコンマ七か。これくらいなら、私にも再現は出来る。

 ここを離れて二週間経っていないのに、思ったより早い。

 レイコさんには平穏な人生を送って欲しいとは願っているが。やはり生に苦悩は不可避なのか。


 …どうなるのが最善なのか、私にはもう判断できない。いや、逃げているだけだなこれは。

 まぁ逃げられるうちは逃げてもいいか。時間はいくらでもある。


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