第1章第049話 馬鹿の襲撃

第1章第049話 馬鹿の襲撃


・Side:ブライン・エイゼル・アイズン


 件の料理レシピ自体はすでに、前回の料理の時に同席していた騎士から聞いているので、屋敷でも再現可能だが。王妃ローザリンテ様がレイコ殿に直接会いたいと仰っているので、ファルリード亭に共に向かうことになった。

 ローザリンテ様が出向かわれなくても、レイコ殿の方を伯爵邸に呼ばれては?と聞いたのだが。セーバス殿が、


 「レイコ殿が乗り気になられるかは、微妙かと思われます」


 と否定された。王妃が会いたいと言うだけで、気後れするだろうと。

 一番彼女が落ち着くであろうファルリード亭に、ローザリンテ様が王妃だと言うことは伏せて、こちらから出向くことになった。

 父上は会議で王都にいるため、ローザリンテ様のお相手は急遽私が対応することになったが。少し胃が痛い。


 宿屋に着いたところで、出迎えにならんだ従業員の中にあの黒髪の少女もいたが。…あれは給仕の服じゃ無いのか?

 そう言えば、今回の訪問でレイコ殿に同席して欲しい旨は連絡していなかった。

 にしても、赤竜神の巫女様が宿屋で給仕をしているとは… なだめすかして、なんとかレイコ殿に上座に座ってもらえた。対外的にも、ここではあなたが最上位なのです。…逆に言えば、屋敷に呼ばなくて良かった気もする。今でさえこの有様だ、相当に嫌がられることになっただろう事は、想像できる。




 会食は恙なく進んだ。

 あまり見ない調理法の魚と、鳥の卵を使ったソース。卵を食べることはままあるが、ソースにするという発想はなかったな。

 衣の歯ごたえと、白身魚の柔らかさと旨み、そして卵を使ったソースのコク。うん、美味い。

 これらの品だけではコースたり得ないが。うん、晩餐を彩るメインの一品には十分なり得るだろう。


 さらに出てきたプリンというデザート。これも卵が使われているとか。

 堅さの全くないなめらかな舌触り。底にあるほろ苦いソースとの相性もぴったりだ。これは素晴らしい。ジャック会頭と護衛騎士が慌てて奉納を上申してくるだけのものはある。

 リーテ様もお気に召されたようだ。正教国に金が流れるのは遺憾ではあるが、これはあの国ででも抑えておく必要があるだろう。


 大きなスプーンを器用に使いながら菓子を食べている小竜様を、リーテ様が微笑みながら眺めている。会食は無事に終わりそうだ。




 ガラガラガラ。

 店の前に安い馬車が止る音がする。警備は店の外にはいないのか?


 柄の悪い剣士が三人ほど入ろうとしてる。真ん中のはサッコ・ジムールじゃないか。髭もあたらずにすすけた服で、ずいぶん見窄らしくなっているが。


 「レイコとやらはどこだ!」


 店に入るなり、大声で叫ぶ。


 「バッセンベルの貴族であるサッコ・ジムールが直々に来たのだ。さっさと出てこい!」


 派遣されてきた部下が止めようと動こうとしたとき、この店の給仕の少女が先に止めに入る。


 「済みませんお客様。今は貸し切りでして…」


 あろうことか、サッコがその少女を蹴飛ばした!


 その瞬間、体に寒気が走る。


 貴族には、マナ術が使える者が多い。私も多少の強化術が使えるし、護身のために常に軽くかけてあるものだが。少女が飛ばされたとたんにそれらの術の効果が消し飛んで丸裸にされたかのようだ。


 蹴飛ばされた少女は、飛ばされながらもくるっと回る。なるほどあの耳は、山の民の血縁か。彼らは身体能力が高いことで有名だ。壁には背中からそれなりの勢いでぶつかったが、頭から突っ込むことは防げたようだ。多分大事には成らないだろう。彼女の母親とおぼしき女性が駆け寄って介抱している。


 しかし… この寒気の正体がレイコ殿から発せられていることは、直感で分る。あの馬鹿が入ってきたときに、とっさにリーテ様を庇える位置に着いたセーバス殿も、私と同様にマナ術が切れたのだろう、表情がこわばっている。

 マナ術の師範が話していた殺気とは、こういうもののことか?


 レイコ殿が席を立って、無表情にサッコの方に歩いて行く。

 菓子を食べていた小竜も、感情のない目でレイコとサッコの方を見ている。




 一見は静かだが。レイコ殿が冷たく怒り狂っているのが分る。


 「ぎゃははは。こいつが目当てのガキですかい?サッコの旦那」


 「お? 奥に金持ちっぽいやつらも揃ってるな。そいつらの持っている金目の物、頂戴しても良いんだよな?」


 「ああ。ここにある物は全部慰謝料として貰っていくぞ」


 馬鹿共か。ここにいる方がどなたなのか知るわけもないだろうが。レイコ殿の殺気すら分らないとは、貴族とはやはり名ばかりか。


 レイコ殿がサッコの前に立つ。その雰囲気に気圧されることもなくサッコが喚く。


 「貴様の!貴様のせいでわしの計画が頓挫したのだ! 貴様がアイゼンの客だというのなら、貴様を連れてってアイゼンに謝罪させてやる!」


 どうしてレイコ殿のせいになるのかさっぱり分らないが。血走った目を見るに正気にも思えない。


 「ふん。恐ろしくて声も出ないか。きさまもダーコラに売ってやる! さぁそこでわしに謝れ!這いつくばって謝罪しろ!」


 レイコ殿が、無表情のまま膝をつき、両手を床に付ける。まさかこんなやつに謝罪するのか?と思ったとき。


 ドコン!


 宿が揺れるかのような大きな音がしたと思ったら、サッコが宿の入り口から通りに吹き飛んでいた。

 レイコ殿は、しゃがんだ姿勢から掌底でサッコを突き飛ばしたのだ。


 レイコ殿の足元では、床板がめくれている。瞬間的なとんでもない力で床板が割れたのだ。


 「この野郎!なにしやがる!」


 奴が連れてきた剣士が、剣を抜く。質が悪い剣だが、防具も無い人間を斬り殺すには十分だろう。

 中央市場の時と同じだ。袈裟斬りにしようとレイコ殿に剣を振り下ろす。

 だが、レイコ殿は初手から剣を手で受け止め…なんとその剣を、握り砕いた。

 柄とかでは無く、刀身の部分をである。訓練用の木剣でも、たたき折るならともかく握りつぶすなんてことが出来る奴はいない。


 驚いた剣士がひるんだところを、その膝に彼女が蹴りを入れる。剣士の膝が逆に曲がった。


 「があああぁぁぁ! 俺の足がぁぁぁ!」


 「よくもやったなこの野郎!」


 別の剣士が斬りかかるが。これもまた左手で剣を受け止め、右手で相手の手首を掴み…市場で見たあれと同じく、ゴキンという鈍い音と共に握りつぶした。


 「ひゃぁぁぁぁ腕がぁぁぁ!」


 砕けた手首をおさえて転げ回る剣士。


 三人目がこれらをみて逃げだそうとするが。レイコ殿の横を抜けようとしたその時に、足引っかけられる。

 転んだ剣士の足首をレイコ殿が思いっきり踏みつけた。


 バキン!


 「ぐがががぁぁ!」


 あっという間に、剣士三人が戦闘不能になる。


 レイコ殿は、この間無表情であるが。それだけに鬼気迫るものを感じる。そして宿の入り口方向を見ると、そちらに歩き出す。

 とりあえず、護衛達に剣士の捕縛を命じて、私も宿屋の入り口に向かうと。

 丁度、よろめきながらサッコが立ち上がるところだった。腰に履いていた剣を抜く。


 「貴様っ! キサマっ! きさまっ! バッセンベルの貴族をどこまで愚弄する!」


 激高して、剣を彼女の胸に刺そうと突き出すが、レイコ殿はそれを手のひらで受け止める。碌に剣の鍛錬もしていないのだろう精悍さのカケラもない突きではあるが、普通なら手を貫通して胸まで突き刺さるだろう。


 「貴様は何なんだ!何故這いつくばらない!この小娘が!」


 レイコ殿は無表情で刀身を掴み、ぐっと引っ張る。体勢を崩したサッコが、右脚を踏み出したところで、その膝にレイコ殿が蹴りを入れる。


 ベリンッ!


 足の腱がちぎれる音が響き、先ほどの剣士と同じく膝があり得ない方向に曲がる。

 さらに、剣と共に引き寄せられて前に出した右手首を掴む。これも同じように握りつぶす。


 ゴキンッ!


 「ぎゃぁぁぁぁ!」


 溜まらず悲鳴をかげて転がるサッコ。曲がった膝と砕けた手首を庇おうとするが、激痛で触ることも出来ないようだ。

 投げ出された左足首めがけて、レイコ殿が足を落す。


 ベキンッ!


 「ぐぉぉぉぉっ!」


 こうなっては仰向けに悶絶するしか無い。


 最後にレイコ殿は。転がってるサッコの顎をつま先で蹴り抜いた。


 ガッ!


 顎を砕かれたサッコの顔が、変な風に歪む。さすがにこれで気絶したのか静かになる。

 レイコ殿は、その脇に立ち尽くしている。先ほどまで周囲を包んでいた寒気が、いつの間にか霧散していたが。静かになったレイコ殿の背中が冷たく見える。


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