第1章第039話 バッセンベルの貴族

第1章第039話 バッセンベルの貴族


・Side:ツキシマ・レイコ


 結構広いこの市場は、だいたい売り物で区分されているそうで。どこに何が売っているというのは、簡単に看板が出ています。次の目標の食品関係は向こうですね。

 さて、どんな食材が売っているのか?と、わくわくしながら食品関係の区画へ向かって歩いていると。


 「そんな値段では無茶です!」


 「バッセンベル侯爵の寄子貴族であるこのサッコ・ジムールが直々に取引してやろうと言うのだ。光栄に思って値引きするのは当然だろう!」


 似合わないカイゼル髭を生やした小太りのおっさんが、香辛料らしき物産を扱っている小店の店主と揉めていた。


 「私共も、リラック商会から仕入れてここで商売してるのでございます。その値段では仕入れ値以下でございます」


 「ふん、またリラック商会か、いまいましい。港の商店にも行ったが、一見お断りなど抜かしよって。この街の奴らはバッセンベル貴族を馬鹿にするのか? お主もバッセンベルと縁ができれば、またいくらでも儲けることができようぞ!」


 「見ての通り、私共はこの市場で商売するのが精一杯でございます。他領との商売をと言われても…」


 「いいから、その値段でバッセンベル領に納めるが良い。納期も値段もまからんぞ!」


 「大店でもない弊店では、その量も値段も無理でございます!」


 「貴族のためにそこをなんとかするのが、平民の役目であろうがっ! 私に逆らうのか?」


 おっさんが、持っていた杖で店主を殴りつけた。


 「お父さん!」


 見ていた娘さんが、店主に駆け寄る。


 「ふん。この男の娘か? まぁ悪くないか、商品と一緒にその娘も納めよ。良いな!」


 「行くわけないでしょ! この街ではそんな無体、貴族でも許されていないわよ!」


 「ふん。多少栄えた程度の田舎で生意気な!」


 今度は、その娘さんを杖で叩こうとしている!


 私は、店主が叩かれた時点で、これ以上の無体はさせるかと近づいていたので、とっさに娘さんを庇った。

 振り下ろされた柄を受け止める。


 「なんだ、この小娘は」


 「アイズン伯爵は立派なのに。この国にもこんな程度の低い貴族がいるのね…」


 「程度が低いだと!」


 「商売の金勘定もできない。交渉の仕方も知らない。女は物扱い。その行動のどこに為政者たる貴族の資質があると?」


 「バッセンベルの貴族を馬鹿にするのか!?」


 「馬鹿にされているのはあんた自身だって分らないの? 首の後ろに瘤が出来ていない?」


 魔獣は首の後ろのマナの瘤で凶暴化すると聞いていたので、例えとして出したのだが。たまたまこの事は、実際に侮辱語として成立しているのだと、後で聞きました。


 「ええい!無礼者! 護衛!いいから切り捨てろ!」


 「良いんですかい?旦那。ここはバッゼンベルじゃないんですぜ。ごまかすのに苦労しますよ」


 「構わん!わしはバッゼンベルの貴族だぞ!」


 しかたないなという雰囲気で、前に出る護衛。


 私の前に立つと、にやっと笑って、剣を抜くやいなや私を袈裟斬りにした。


 「「キャーーーっ!」」


 「「レイコちゃん!」」


 アイリさんとエカテリンさんだけではなく、見ていた人が悲鳴を上げる。




 私の体は、マナで出来ている。剣より頑丈です。強度は人のそれの比ではなく、普通の人が出来るような斬撃では傷も付かない。

 ただ、私の体重は人並み。袈裟斬りと言っても、肩を鉄の棒で殴られたのと同じなので、そのまま吹っ飛び向いの店に突っ込んでしまいました。


 「…なんだこのガキ。半身が飛ぶかと思ったのに、鉄のゴルゲットでも着けていたのか?」


 刃こぼれした剣を確認しつつ、訝しげな護衛の剣士ですが。


 「あーびっくりした」


 私は、崩れた商材から、首をクキクキしながら、何もなかったかのように起き上がります。

 あぁ…せっかく買った服が肩の処からざっくりと…良くもやったな!。


 無事に起き上がってくる私を見て驚く剣士。


 「てめぇ…どんなズルしやがった」


 「え?何もしていないですよ。腕が悪かったんじゃないですか? こんな子供に傷一つ付けられないなんて」


 「くそ!馬鹿にするな!」


 今度は、上段から頭めがけて剣を振り下ろしてくる。

 私はそれを手のひらで受け止め、そのまま刀身を握る。


 「なっ?!」


 普通なら私の指が飛ぶだろうには構わず、剣を抜こうと刀身を動かすけど。私の体が揺れるだけです。

 私は、刀身を握っている反対の手をその剣士の手首に伸ばし…


 ゴキン!


 関節を握りつぶした。


 「グギャァァァー」


 堪らず剣を離し、剣士が絶叫する。


 剣士は手首まで覆う手袋をしていたので、何が起きているのかは周囲からは分かり辛いが。まぁ二度と剣は持たないでしょう。

 この剣士、最初に斬りかかってきた時、愉悦の笑みを浮かべていた。ああいう無体をするのは初めてではないようだし、これを最後にするつもりもないだろう。ここで剣士生命を刈り取った方が世の中のためになる。


 「貴様!なにをした!バッゼンベルの貴族に対するこの狼藉、どなるか分っているのか?」


 「どうなるのか教えていただけますか?」


 おっさんの後ろに、護衛らしき騎士を何人も連れた貴族然とした男性が立っていた。


 「サッコ・ジムール殿。貴殿との交易は先日お断りしたはずですが。リラック商会でも門前払いされたとか。それでこんな大衆向けの市場で管を巻くなんて、バッゼンベルのは暇なんですね。


 「! ブライン・アイズン殿!」


 「レイコちゃん、大丈夫っ?!」


 アイリさんが駆け寄ってきて。切られたとこがどうなっているか確認しようとする。


 「…あれ?傷一つない?」


 「アイリさん、私が"何"だか知ってるでしょ? あの程度で怪我なんかしないよ」


 「それはそうだけど!びっくりして当たり前じゃないもう!」


 と怒られて抱きつかれました。むぎゅ。


 「無理な条件で売買強要に人身売買に殺人未遂。エイゼル市の法を無視しての乱暴狼藉、バッゼンベル辺境侯爵には正式に抗議させていただきます」


 「お待ちください! 私は平民に良い商売を持ちかけただけでございます! 抗議は何卒ご勘弁を!」


 「…馬鹿にするなよ、この似非貴族が…」


 小声で吐き捨てるように呟きます。相当怒っているようですね。


 「な…なんと?」


 「原価割れで商品を売れ? 娘も売るから寄越せ? それがバッセンベルでは良い商売なのですか? その辺は抗議をする前に改めて精査させていただきます。衛兵!サッコ殿を貴族宿舎にお送りしろ」


 おっさんは、お送りと言うより、引っ立てられていった。

 手首を砕かれた剣士は、そこまで重傷だと思われていないようで。手当もされずにそのまま引っ立てられていく。


 アイリさんが耳打ちする。


 「アイゼン伯爵の御嫡男よ」


 「ブライン・エイゼル・アイズンと申します。レイコ殿」


 三十くらいのキリッとした男性が、私に軽く会釈する。目のあたりに伯爵の雰囲気はあるけど、ずっと物腰柔らかそうな紳士だ。


 「ブライン様。ツキシマ・レイコと申します。」


 カテーシーなんて知らないので。普通にお辞儀します。

 向こうは私を"殿"にしてくれたけど。さすがにこちらからは"様"を付けておくべきでしょう。小市民ですので。


 「レイコ殿のことは、父から伺っております。ようこそエイゼルへ…と言いたいところですが。いきなりみっともないところをお見せして申し訳ない。たまたま視察に来てみれば、あの体たらくで…」


 「いえ。バッゼンベルの評判はいろいろ聞いてますから。お気になさらず」


 苦笑しながら応える。やっぱ碌でもないなバッゼンベルとやらは。

 と。レッドさんを抱っこしたエカテリンさんが側にやって来た。


 「すまんレイコちゃん。私、何も出来なかった」


 レッドさんも護衛対象だからね。とっさに動けなかったらしい。


 「私は大丈夫ですから。あ、ブライン様。この子がレッドさんです」


 レッドさんをエカテリンさんから受け取って、ブライン様に紹介する。


 「クー」


 と、レッドさんもブライン様に挨拶する。


 「これはこれは…本当にドラゴンなんですね」


 この騒ぎで周囲には人だかりが出来ていたが。その視線が一揆にレッドさんに集まった。


 「えっ?本物か?」


 「赤い犬なんて見たこと無いぞ。それにあの角」


 「あの女の子だって、絶対斬られたって。なんで無事なんだ?」


 まぁ目立つわよね。どうしよう?と思っていたら。


 「この子と彼女のお供は、我が父バッシュ・エイゼル・アイズン伯爵の賓客である! 無闇な接触や流言は控えるよう、ここにいる者達に申しつける!」


 と、声高らかにブライン様が宣言しました。

 領主の名前による宣言が出たことで、集まっていた人たちは、ピンっと直立不動になります。

 まぁ、レッドさんのことが全く噂にならないって事はないでしょうが。これでちょっかい出してくる人は減る…かな?


 「ブライン様、お気遣いありがとうございます」


 「はは。まぁあの馬鹿の調査も早めにしておきたいので。懇意にするのはまた次の機会に取っておきましょう。それでは失礼いたします」


 ブライン様は、店主親娘に事情聴取や、他に被害者がいないかの聞き取りを騎士達に指示していきます。




 …実は、ああいう暴力を振るう経験は初めてです。


 まぁ喧嘩でひっぱたいたくらいの経験はありますが。地球では…というより日本では、人を殴った経験がある人の方が少ないのでは?というくらい暴力沙汰は希ですからね。


 骨を砕いた感触がまだ手に残っています。

 利き腕の手首を砕かれては、もう剣術ではやっていけないでしょう。でも、私に斬りつけたとき、笑ってましたからね。そういう人間にはふさわしい末路とは言えますが。


 剣で斬りつけられたということで、まだドキドキしています。この体は剣でケガすることは無いようですが。人の殺意を真正面から受けて、心がまだ戸惑っています。

 …うーん、アドレナリンが出てますね。正確には、アドレナリンが出ている状態をシミュレートしている…のでしょうが。

 日本なら過剰防衛? いや、剣で切っているからねあの人。


 切られたことのお返しとはいえ、罪悪感が全く出てこないことに、なんかちょっとモヤっとします。

 殺し合い? 殺してないけど。こんなもんなのかな? 誰も私を責めないけど、あれで良かったのかな?




 店主親娘がこちらにやってきました。


 「先ほどは、助けていただき、ありがとうございました。レイコ…様?」


 「私自身は庶民なので。様はやめてください」


 またこのやり取り。


 「レイコちゃんでいいわよね?」


 「レイコちゃんでいいんじゃね?」


 …それがベストですが。自分からちゃん付けにしてくれとは、ちょっと言い辛い。


 「…それでは、レイコさんで」


 それでいいです。はい。


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