第2話 婚約者

「有希、再来週に婚約者の幸二くんがくるから、身の回りのもの準備しておきなさい。すぐ行けるように。式はお前が卒業する来年の春だからな」


 新聞から目を離さない父が、株価を見るのと同じ調子で語る。

今年45歳の父、香川篤宏は祖父の経営するそこそこ大きな会社の部長さん。

外では細マッチョでキリッとしたスーツのよく似合うイケおじだが、家では子煩悩なヘタレパパ。

 

 婚約者の話は十代の頃から承知して納得している。

私と彼が幼い頃からの親同士の約束で、お互い年頃になっても恋人がいなければ結婚させましょうって。でもまだ半分冗談だと思ってた。

せめてそういう大事なことは目を見て言って欲しいのですが。

ん、父の目に涙?やっぱり嫌なのかしら?


「ねえ父さん、私まだ22よ?本当にお嫁に行っちゃっていいの?」

だから今回のお話は無かったことに、と続けようとしたことに父からの無情な待ったが入った。


「でも幸二くんすっかりその気で、有希のためにマンション買ったらしいぞ」

「そんなにお金持ちなら婚約者なんていわずに選り取り見取りじゃないの?」

 うちもお金がないわけじゃないけど、持ってるのは親で私はまだ大学生。

たとえ就職しても、すぐにマンションが買えるほど稼げるとは思わない。

 卒業してすぐに結婚するよりは、それまで数ヶ月同棲してみてどうしても合わなかったら今回の話はなかったことにするという。

 同棲というより新婚ごっこと思えばいいのよと母には言われ、こっそりと、その間はキスも禁止って言ってあるからねと囁かれた。


「幸二さん、私より3歳上だっけ」

 子供の頃何回か会ったことはある。でも母の入院やそれに伴う引っ越しなんかで疎遠になってしまっていた。

 だが私の知らないところで父同士は親密な付き合いが続いていたらしい。ところで25歳で買えるくらいのマンションってどのくらいの広さなんだろう?

私の荷物全部入るのかしら。


「有希の写真を定期的にメールで送っててな。彼、お前に夢中らしいんだ」

といきなりの衝撃的な言葉。


「えぇ?何で娘の写真を勝手に送るかしら?それなら彼の写真だって送ってくれてもいいじゃない。一応幼なじみだし、見たいなぁ」


 一体どんな写真を送っていたのかしら、変顔しているのとかがないと良いんだけど。うちの家族は写真を撮るのも撮られるのも好きだから、送ろうと思ったらかなりの枚数があったはず。

 今の時代はいちいちプリントしなくていいから楽だよなと父は笑っていたけど、あまり多いと向こうにも迷惑だと思うわ。


「幸二くんの写真なら持ってるじゃないか。だから父さんは渡す必要がないなと思って」


抗議する私に一応すまなそうな顔をする父。そんなのポーズだって分かってるんだから。

それに大人になってからの写真なんてないのに、何を言ってるのかしら。

 あ、こっち向いた。


「幸せになれるよ。有希と幸二くんなら」


 慈愛に溢れた父の顔。これは本当に私を思ってのことらしい。

まぁ、知らない人相手じゃないし。子供の頃遊んでくれた神戸幸二ことコウちゃんは、爽やかで優しくていいお兄さんだったし。実は、私の淡い初恋の相手だったりするし。


「花嫁修行の成果が出せるように頑張るわ」


 それから私はたっぷり一週間かけて自室のクローゼットと格闘し、花嫁修行のチェックをしなおしながらその時を迎えた。

 持っていくのは服と大学の教科書、ノート文具などの小物。ノートパソコン、タブレット、スマホ。それに忘れちゃいけない相模みなとのアルバム5枚。

 今一番好きなシンガーソングライター。元々フニフニ動画でボカロPだった中の人がメジャーデビューしたらイケメンイケボだった。

 切なくて疾走感溢れる歌声に夢中になって雑誌にちょっとでも載ってたら切り抜きをファイルしちゃうほど好きになった。テレビになかなか出ないレア感もいい。いけない、ぼーっとしていたら時間がすぎていく。

 荷物で膨らんだ衣装ケースをじっと見る。衣装ケース5個か、中々上手に纏まったわ。

家具なんかは部屋を見て2人で決めるようにと言われている。彼の元からある家具に合わせて揃えるのも良いかな。


 いよいよ明日婚約者がやってくる。私は夕飯の後、家族に挨拶をした。


「父さん、母さん、真由、智、明日私はこの家を出るけど、上手くいかなかったらすぐ戻ってくるかも。そしたら何も聞かないで暖かく迎えてね」


てへっ、と言いながら軽ーく言う。

でもちょっとだけ本音入り。不安なんですよ、これでも。


「姉さんの部屋俺欲しい!8畳エアコン付き!」

「じゃあ私姉さんの漫画コレクション!大事にするから!」


 妹の真由は高校3年、茶髪ショートの可愛いかっこいい系女子。受験生なのに漫画なんて読んでる暇あるのかな?

 智は高校1年サッカーに夢中の黙ってればイケメン、話すと騒がしい系。

 私の部屋は別にいいかー。持っていかない私物は屋根裏の物置に置いておけばいいし。

 両親は2人の勢いに押されて呆れてる。

母は苦笑い。父はそんな母を見てほっとしてる。

 しんみりにならない、いい子達です。


そして弟妹揃って私に全力で帰ってくるなと言っている。姉邪魔?ぐすん。


「2人ともオッケーよ。智は部屋綺麗に使ってね。家具いらないのはどうするか母さんに聞いてね。真由は本棚ごとどうぞー。でも大学受験大丈夫?」

「大丈夫。それより姉さんこそしばらく同棲して卒業してから籍入れるんでしょ?就職活動平気?」


真由が心配そうな顔。

母が食後のコーヒーをみんなに配る。私もお茶菓子を出すお手伝い。


「就職先には結婚予定ありで内定もらってるもの。仕事も結婚式場のブライダルコーディネートだからちょうどいいかなって」


 友達には卒業して籍を入れたら招待状を渡すついでに知らせようと思ってる。先に教えると面倒になりそうなのが何人かいるから。

 ああ、でも親友には教えておこう。

 お風呂から上がって自室のベッドに横になる。

この部屋でこうして寝るのも最後かぁ。人妻、うん、なかなかエッチい響きでいいわね。

くだらないことを考えつつ、お気に入りの曲をかける。


「コウちゃんが一緒に音楽聴いてくれる人ならいいなぁ」


そんなことを思いながらいつものようにぐっすり眠れました。

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