第92話 ティッティーの訪問


 お茶を淹れて、セシリアさんの要件を聞くことにした。


「それで、俺にお願いとはいったい何でしょう?」

「いえいえ、難しいことじゃないんです」


 丸メガネと髭で変装しているけど、セシリアさんの声は女性そのものだ。

座敷が狭いせいでうっすらと香水の匂も漂ってくる。

なにもやましいことはないのだが、人妻と二人きりでいると思うと、なんだか後ろめたい気持ちがしてきた。

座敷の引き戸は開けたままにしておこう……。


「実は、ヤハギさんが冒険者たちに無償で地図を配っているとお聞きしまして」

「ああ、ダンジョンの地図のことですか」

「そうなんです。私にも地下一階の地図を分けていただけたらと思いまして」


 そういうことなら話は早い。

さっそく、棚から地図を一枚取り出してセシリアさんに手渡した。


「どうぞお持ちください。でも、どうしてセシリアさんが地図を?」


 まさか、内職代わりに冒険者を始めるっていうんじゃないだろうな?


「それは……、マルコには内緒にしておいてもらえますか?」


 そう断って、セシリアさんは事情を教えてくれた。


「あまり知られてはいないのですが、ダンジョン地下一階の奥地にエルシダ苔という植物が生えています。私はそれが欲しいのです」

「エルシダ苔とは聞かない名前ですね。お薬の材料とかですか?」

「その通りですわ。エルシダ苔は強化薬の材料になるんですの。マルコはいつも頑張り過ぎてしまうので心配なんです。少しでもあの人の力になれればと思って……」


 つまり、強化薬を作ってマルコに飲ませてあげたいということか。

健気なものだ。


「それを聞いたらマルコも喜ぶでしょうね」

「あ、マルコには黙っていてくださいね。驚かせたいので」


 ふむふむ、サプライズプレゼントというわけだな。


「わかりました。でも、セシリアさんお一人で大丈夫ですか? 迷宮は危険なところですよ」


 地下二階にあるヤハギ温泉まで来たのだから多少の心得はあるのだろう。

だけど、一人で迷宮探索なんてできるのか? 

もともとは上流階級の奥様だ。


「実戦の経験はゼロですが、攻撃魔法を一つだけ使えます。地下一階なら何とかなるかと思うのですが……」


 セシリアさんは不安そうな顔をしている。

それでも、マルコのために頑張りたいのだろう。

しかしセシリアさんを一人で行かせて大丈夫だろうか? 

ここへ来るときはモンスターに出会わなかったみたいだけど、長い時間を探索に充てるのならそうはいかない。

攻撃魔法が使えたとしても、魔力が切れたら戦いは難しくなる。


「よかったら、自分もついていきましょうか?」

「ヤハギさんが?」

「地図を作っていたから地下一階は詳しいんですよ」

「でも、お仕事があるでしょう? ご迷惑はかけられませんわ」

「なーに、忙しいのは朝と夕方だけなんです。今から出かけて、夕方に戻ってくれば問題ないですよ」


 そう言うと、セシリアさんは笑顔になった。


「ありがとうございます。本当のことを言うと、やっぱり一人では不安だったのです」

「それじゃあ、ちゃっちゃと出かけますか」

「あ、その前に一つだけ」

「どうしました?」

「こちらで日光写真というのが買えますよね? あれば売っていただきたいのですが」


 日光写真は今いちばん人気の商品だ。

けれども、今日はたまたま在庫が三個ある。


「そういえば先日、マルコがひとつ買っていきましたね」

「ええ、二人で記念写真を撮りましたわ。腕の良い絵師が書く細密画よりも本物に近くてびっくりしてしまいました。でも、あれでいいことを思いついてしまって…」


 セシリアさんは怪しげな笑みを漏らしている。

二人で写真を撮って、互いに持ちあうことにでもするのかな? 

ミシェルは俺の写真を常に百枚くらい持ち歩いているらしい。

まるでカードコレクションみたいだ。

恥ずかしいから止めてくれって言ったんだけど、聞く耳を持たないのだ。

「誰にも見せないから」とか言って、いまだに肌身離さず持っている。

特に考えることもなく俺は在庫のすべてをセシリアさんに売ってしまった。


       ◆


 ヤハギがついてくると聞いて、ティッティーは心の中でほくそ笑んでいた。

頼りなげな女を演じれば、この手の男はきっと力を貸すと読んだのだが、その予想は的中だったのだ。


(ちょろい男。まあ、そういうのは嫌いじゃないけどね)


「どうしたんですか、セシリアさん? ニコニコして」

「だって、マルコにはこんな素敵な友人がいるのですもの。私も嬉しくなってしまいましたわ。これからもよろしくお願いしますね」


 褒められて矢作祐介は照れくさそうにはにかんでいた。

むろん、ティッティーの心の内を知る由もない。


 ティッティーの準備はすでに仕上がっている。

早朝から地下一階へ出向き、人が滅多に来ない小部屋にいろいろと荷物を運びこんであるのだ。

ミシェルほどではないにしても、ティッティーだって魔法使いとしては優秀である。地下一階くらいなら一人で平気だった。


(うふふ、ミシェル。この国を去る前に貴女を失意のどん底へ落としてやるわ。私から王妃という地位を奪った報いを受けなさい)


「それでは行きましょう」


 店を消したヤハギが声をかけてくる。

姉とこの男は間もなく破滅の道をたどる、そう考えただけでセシリアは身悶えしそうになった。

嗜虐的な性癖が満たされて、思わず震えがくるほどだ。


 八連ピストルとモンスターカードを手にして、矢作祐介はティッティーの前を歩いている。


(あんたが悪いのよ、私のことをブスだなんて言ったから。絶対に許さない)


 ティッティーは矢作の背中を見ながら、赤い舌でくちびるを舐めた。

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