第89話 花串カステラ
王都はすっかり春らしくなっている。
あちらこちらで花が咲き乱れ、世界はパステル調に色づいていた。
ダンジョンに潜る冒険者の表情も、心なしか緩んでいるような気がする。
そろそろフジールの花見の季節が始まる。
ミシェルとの初デートはガシェル山でのフジール見物だった。
あれからもう一年も経つのか。
もちろん今年も二人でガシェル山へデートに行くつもりだぞ。
思い出のランチボックスに美味しいものをたくさん詰めて、遊びに行くのだ。
今日は花見にぴったりな新商品が入ったので大々的に売り出してみるか。
商品名:花串カステラ
説明 :花の模様の付いたカステラを串に刺したもの。
食べるとほんのり幸せな気分になれる。
串は固定ダメージ30の武器になる。投げる場合は必中率補正+75%
値段 :30リム(一本)
俺も前世で食べたことのあるお菓子だ。
一口大のカステラに砂糖がまぶしてあるので甘みが強く、お茶やコーヒーなどと一緒に食べるとより一層美味いと思う。
うろ覚えだが、たしか名古屋発祥の駄菓子だったはずだ。
花びらの模様が今の季節にぴったりの菓子である。
「いらっしゃい、いらっしゃい、新商品の花串カステラだよ。お茶うけに、お花見に、討伐にぴったりの花串カステラ。食べて幸せ、投げて必殺、危険な甘さの花串カステラだよ」
我ながらシュールな売り
慣れただけじゃなく、幸せでもある。
それというのもミシェルや気の合う友人が一緒だからだ。
そしてもう一人、幸せいっぱいの顔をした男が店へやってきた。
マルコである。
チーム・ハルカゼの他のメンバーもいつものようにやってきて商品を眺めている。
「おはようございます」
今朝のマルコはやけに晴れやかな顔をしている。
長かった冬が終わり、春の光を浴びたタンポポみたいだ。
「おはよう。その様子をみると……」
「はい。奥様はきのう無事に脱出できました」
ついに屋敷を抜け出して、マルコのアパートへ移ったか。
これからは、嬉恥ずかしの同棲生活が始まるわけだ。
「おめでとう。記念に花串カステラを買っていくか? 食べるとほんのり幸せになるんだぜ」
「いえ、食べなくても死にそうなくらい幸せなんで……」
のろけるねえ……。
「そ、それよりもあんず棒をください」
「この前、箱買いしたじゃないか」
「あれはもう食べてしまって……」
「食べるって、奥様は昨日部屋に来たばかりだろう?」
「それが、ティ……奥様に愛の言葉を伝える練習をした時に食べてしまいまして」
マルコらしいと言えばマルコらしいけど、シミュレーションで使い果たすなよ。
俺は奥の座敷からあんず棒を箱ごと出してきた。
「これで大丈夫そうか?」
「今朝は出がけにキスをしていただいたんです。だからたぶん……。ヤハギさん」
「どうした?」
「誰かが待っている部屋に帰るって幸せですね!」
花串カステラが必要ないのも仕方がないな。
でもこんな調子で大丈夫かな?
ダンジョンの中で浮かれていると命を落としかねないぞ。
老婆心ながらメルルに注意喚起をお願いしておくとしよう。
新商品の花串カステラをさっそく両手に持ったメルルに囁く。
「マルコはだいぶ浮ついているみたいだからサポートしてやってくれよ」
「わかってるって。今日は比較的に楽な狩場へ行くつもり。二、三日したらマルコも落ち着くんじゃない。そしたらまた通常営業ってことで」
なんだかんだで、メルルは頼りになるリーダーに成長したな。
それはそうか、あれから一年が――。
「ウガーッ! また10リム玉チョコが外れたぁっ! どうなってんのよ、これ!!」
うん、君は君のままでいてくれたまえ。
何もかもが順調に見える。
ミシェルはダンジョン最深部へ行っていて留守だったけど、帰ってきたら一緒に花見だ。
マルコも恋人との新生活を迎える。
メルル、ミラ、リガールたちチーム・ハルカゼも中堅冒険者として着実に成長している。
だけど、ちょっとだけ気にかかるニュースがその日の午後に入ってきた。
なんと幽閉中の前王妃ティッティーが、軟禁先のロンダス塔から逃げ出したというのだ。
捜索は続いているようだけど、ティッティーの姿は見つかっていないらしい。
ティッティーの身柄に賞金までかけられたというから驚きだ。
そういえばミシェルも呪いの魔女として1億リムの賞金がかけられていたな。
姉妹して賞金首になるだなんて、ある意味で似ているのか?
ちなみにティッティーにかけられた賞金は100万リムなので、ミシェルの方がスケールはずっと上である。
ただ、ティッティーの賞金は生死を問わずという特記事項が書かれているそうだ。
贅沢の限りを尽くし、国家財政を傾けさせた罪があるから禁固刑は仕方がないとは思う。
だけど、殺されるというのは少し可哀そうな気がした。
ミシェルの妹でもあるからね……。
いったいどうなるのだろう?
そのときは、そんな傍観者のような気持でいたのだけど、その後俺はこの事件の当事者となってしまう。
まさかティッティーが俺を恨んでいたとは知らなかった。
俺はただ「黙れ、ブス」って言っただけなのにな。
口は災いの元ってやつだ。
◆
マルコのアパートへ脱出して四日が過ぎた。
捜索隊が街を嗅ぎまわっているので、その間ティッティーは一歩も外へ出ていない。
だが、ここはそれなりに快適だった。
掃除、洗濯、料理の全てはマルコがやってくれるのでティッティーは何もする必要がなかった。
しいて言えばできないふりをしつつ、反省と感謝の色を顔に浮かべるだけでよいのだ。
「ごめんなさい、マルコ。私って本当にダメね。料理も洗濯もしたことがないから……」
「いいのです、ティッティー様。そんなことは私がしますから!」
「少しずつ覚えるわ……マルコのために」
「ティッティー様」
これで家事をやる必要はなくなった。
世間が落ち着いたらここを出ていくつもりだから、当面はこれで何とかなるだろうとティッティーは考えている。
だが、狭いアパートに一人でいるのは退屈だった。
マルコが気を利かせて駄菓子屋でおもちゃを買ってきてくれたが、いつまでも退屈を紛らわせられるものではない。
退屈しのぎにティッティーはベッドのシーツを少しだけ伸ばした。
くしゃくしゃに乱れたそれは、昨夜の行為の痕跡である。
ぼんやりとシーツを伸ばしながら、ティッティーは昨日のことを思い返した。
あんずの匂いをさせたマルコが、愛の言葉をささやきながらティッティーに迫った。
ティッティーはそれを受け入れた。
おそらく拒むこともできただろう。
拒めばマルコは素直に従ったと思う。
それによってマルコが自分を裏切ることもないはずだった。
マルコはティッティーに無償の愛を捧げられる男であり、ティッティーはそれを見抜いている。
だが、どうしてかは自分でもわかりかねているが、ティッティーはマルコを受け入れたのだ。
(なんでかわからないけど、ムラムラしちゃったのよね……)
必死のマルコを見ていたら、ティッティーもしたくなってしまったというのが本音だった。
ひょっとしたら、そういう愛もあるかもしれないのだが、当のティッティーも気づいていない。
そして、これはかなりの驚きだったのだが、マルコとの行為はかつてないほどの快楽をティッティーにもたらした。
幸か不幸か、体の相性は最高の二人だったのだ。
ティッティーは自分の乱れっぷりを思い出して、枕に顔を埋めた。
「マルコのくせに……」
しばらくじっとしていたティッティーだったが、やおら起き上がるとキッチンへ向かった。
料理をするのはまっぴらだったが、帰ってきたマルコにお茶くらいは飲ませてやろうと、その準備をしに行ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます