第90話 美味しく食べて、強くなる!


 暖かくなったせいかいつもより早く目覚めた。

ミシェルは留守で家にいてもやることは少ない。

だったらさっさと仕事にとりかかろうとダンジョンへ行くと、入り口でミラと一緒になった。


「おはようございます、ユウスケさん。ミシェルさんは一緒じゃないんですか?」


 出会ってから一年が経ち、ミラは少しだけ雰囲気が大人びてきたような気がする。


「おはよう。ミシェルはまだダンジョン最深部だよ。帰ってくるのは三日後くらいかな」


 二人で並んでのんびりと階段を下りる。

かつては入り口付近でも怯えていたというのに、俺もすっかりダンジョンに慣れたもんだ。

もちろんモンスターカードと八連ピストルの用意は忘れていないぞ。

いつ敵が現れてもいいように準備は万端だ。



 ヤハギ温泉に到着すると、さっそく店を開いた。


「ミラも寄っていくだろう? 中に入ってよ、お茶くらいご馳走するから」


 一度閉店すると自動的にきれいになるので朝の掃除は必要ない。

コンロに火をかけて棚のチェックをしていると、またもや新商品が増えていた。


 商品名:バスコ

 説明 :一口大のクリームサンドビスケット。

     食べると体が強くなり、防御力が20倍になる。

     効果時間は10分。

 値段 :30リム


 懐かしいな、前世の世界でもよく食べていたお菓子だぞ。

たしか九十年以上売れ続けている超ロングセラー商品だ。

酵母が入ったビスケットで、発売当時は画期的な商品だったらしい。

クリームにはイチゴ味や抹茶味なんかもあったはずだけど、こちらの世界ではプレーンタイプだけのようだ。


「ほら、新商品だよ。一緒に味見をしてみようぜ」


 バスコは二個入りなのでミラと分けることにした。

ちょうどよいお茶請けだ。


「サクサクして美味しいですね」

「これで防御力も高くなるんだから、売れ筋商品になるだろうな。どれ、ちょっと実験してみようか。ミラ、俺の頬を叩いてみてくれ」


 どれくらい防御力が上がるかを試してみたい。

だけど、ミラは驚いて首を横に振った。


「そんなことできませんよ」

「いいから、いいから。これは実験なんだから」

「じゃあ逆に訊きますけど、ユウスケさんは私の頬をぶつことができますか?」

「え……」


 ミラのかわいいほっぺにビンタ……? 

いくらバスコを食べているからといって、そんなことできるわけがない。


「そうだな、ビンタはハードルが高すぎる。だったらしっぺにしようぜ」

「しっぺ?」

「そう、指二本で手首を打ち付けるやつ」


 罰ゲームでよくやるあれだ。

これなら罪悪感も少なくて済むだろう。


「でも……」

「これは実験なんだ。頼む、思いっきり俺を叩いてくれ!」


 傍から見たらドMだな……。

いや、そんな性癖はないんだけどね。


「俺だってぶたれるのは好きじゃない。だけど、駄菓子の発展のために必要なことなんだ」

「わかりました。ユウスケさんがそこまでおっしゃるのなら……」


 ミラが人差し指に中指を添えて振りかぶった。

そして勢いよく振り下ろす。


 ペチッ!


 小気味のよい音が店に響いた。

たおやかな少女とはいえ、ミラはいっぱしの冒険者だ。

それなりに腕力もある。

本来なら骨身にこたえる痛さだったはずだ。


「どうですか? 痛くないですか?」


 心配そうに訊いてくるミラに俺は笑顔を向けた。


「ぜんぜん痛くない! これはすごいかも。見てみろよ、あざだってついていないぜ」

「本当に? じゃあ私にもやってみてください」

「え、ミラをかい?」


 さすがにそれは……。


「私だって試してみたいです。お願いします。私のことも思いっきりぶってください」


 そんな上目遣いで見るなよ。

S心がくすぐられちゃうだろう……。

いや、そんな性癖もないんだけどね。


「わ、わかった。あくまでもこれは実験だからな」

「はい。お願いします」


 ベチッ!


 けっこう思いっきり叩いたけどミラは平気な顔をしていた。

あれくらいの勢いでたたけば叩いた俺の指も痛くなるというのに、こちらもまったくもって平気だった。

バスコ、恐るべし!


「すごいです! ぜんぜん痛くないですね。これ、もしかしたら刃物でも傷つかないかもしれませんよ」


 怪しい目をしてミラがこちらを見つめた。


「ま、待て。そこまで実験する勇気はないぞ」


 さすがにナイフで試す気にはなれない。


「え~、軽く先端で刺すだけですから……」


 微笑みながらミラが自分のナイフを抜いた。

もしかして、顔に似合わずドSですか!?


「大丈夫、痛くしませんから」

「い、いや、それは……」

「これも駄菓子の発展のためです」


 ミラはナイフを逆手に持って顔の高さまで持ち上げた。


「クッ……」


 俺は観念して歯を食いしばる。


「えいっ」


 かわいい掛け声でナイフは振り下ろされたが、切っ先が向けられたのはミラの手の甲だった。


「うわっ! だ、大丈夫かミラ?」

「あはは、ユウスケさんを刺したりしませんよ。それよりもすごいですね。力は込めていませんでしたが、皮膚がナイフをはじき返しました。本当に防御力が上がっています」

「あー、ビックリした。でも、これなら冒険者たちの役に立ってくれそうだな」

「はい、みんな買ってくれると思いますよ。私にも三つください」

「毎度ありぃ!」


 実験に付き合ってくれたミラには、特別に三個の値段で四個のバスコを渡しておいた。


       ◆


 その日の仕事を終えたマルコが帰ってくると、ティッティーは喜んで彼を迎え入れた。

退屈していたのである。


「はいこれ、今日の稼ぎとお土産です」


 モンスターを狩って得たお金と魔結晶のすべてを、マルコはティッティーに差し出した。

将来のために私がお金の管理をする、と言い出したティッティーの言葉を真に受けてのことである。

まるで二人が夫婦のようだという幻想をマルコは見ている。


 ティッティーにしてみれば、いつでも逃げ出せるように現金は手元に置いておきたかっただけだ。

すでにマルコからは40万リムを超える現金を預かっている。

楽にとはいかないが、一人ならば国外逃亡だって可能だろう。


 ティッティーはさっと現金の額を数えて満足した。

今日の稼ぎは2万4千リム以上ある。

中堅冒険者としてもかなり上位の者でなければこうはいかない。


「お疲れさまでした。体を拭いてあげるからシャツを脱いで」


 マルコの家に風呂はない。

ティッティーはこうやってわずかな時間を奉仕に充ててマルコの歓心を買っているのだ。

ただし、炊事洗濯などの家事労働は一切しない。

そこらへんがずるい女である。


 シャツを脱ぎながらマルコはお土産の袋を開けるようにティッティーを促した。


「今日は何を買ってきてくれたのかしら?」


 ティッティーはさも嬉しそうな様子をみせて袋を開けた。


「それはバスコっていうビスケットなんです。食べると異様に防御力が上がるんですよ。もし追手に見つかったときはそれを食べて、俺が戦います」


 ティッティーはむき出しになったマルコの背中に後ろから頬を寄せた。


「あ、汗をかいていますから……」

「あら、そんなのぜんぜん気にならないわ」


 傷だらけの肩にキスをしながらティッティーは囁く。


「ありがとう、マルコ」

「ティッティー様のためなら俺は何だってしますよ……」


 マルコの決意を聞いてティッティーの胸はほんのわずかにだけ高鳴った。

肌を重ねて以来、少しずつではあるが離れがたい気持ちになっている。

いざとなればマルコを捨てる覚悟はあるが、悲しみに暮れるマルコをあざ笑うようなことはもうできなくなっていた。

以前だったら確実にそうであっただろうに……。


(もしかしたら涙の一つも見せてしまうかもしれないわね)


 他人事のようではあったが、そんな気持ちにさえなっていた。


「ねえ、このお菓子も例の駄菓子屋さんで買ってきたの?」


 しんみりとした気分が嫌でティッティーは話題を変えた。


「そうです。これもヤハギさんのところで買ってきたんですよ」

「本当に不思議なお菓子がそろっているのね」

「不思議なのはお菓子だけじゃないんです。店主のヤハギさんも浮世離れした人で」

「またヤハギさんの話? なんだか嫉妬してしまうわ」

「あはは、ご冗談を。ヤハギさんにはちゃんとした恋人がいますからね。それもあのミシェルさんなんですから」


 驚いたティッティーはマルコの背中から離れた。


「ミシェルって、あの、魔女ミシェルのことなの?」

「そうですよ。あれ、話しませんでしたっけ?」

「ええ、初耳だわ……」


 魔女ミシェルと前王妃のティッティーが姉妹であることはあまり知られていない。

懸賞首であるミシェルと王妃が姉妹であるなんて外聞が悪かったからだ。

だからマルコもティッティーがミシェルの妹であることを知らなかった。


(だったら、そのヤハギというのがあの男ね。私のことをブスと言ったあいつが……)


「なんだか私もその駄菓子屋さんに興味が出てきたわ」

「でも、ティッティー様がヤハギさんに会うわけには……」

「わかっているわ。大丈夫、私はここで大人しくしているから」


 ティッティーの手がマルコのパンツのボタンを外した。

妖しい手つきに翻弄されて、マルコの頭は真っ白になっていく。


(ちょうど退屈していたところだわ。明日はその駄菓子屋とやらを探ってみるとするか……)


 水に浸したタオルでマルコの体を拭きながらティッティーは静かに微笑んでいた。

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