第74話 魅惑の香り


 レプラスのお宝を見つけてから三日が経ったけど、今のところ俺の生活は特に変わりがなかった。

これと言って欲しいものも思い浮かばなかったのだ。

はっきり言って、俺は今の暮らしに満足している。


 美味しいものならミシェルが作ってくれるし、居住空間も悪くない。

束縛はちょっときついけど、二人の仲だってラブラブだ。


 そりゃあ前世の生活と比べれば不自由はあるさ。

この世界では新しいスマホが発売されることはないし、思い切って課金したいソシャゲもない。

読みたいラノベや漫画だってありゃしない。

でも俺は与えられた環境の中で最大限の幸せを満喫していると思う。


 駄菓子屋の資本は俺の魔力だから、設備投資に頭を悩ませることもないからね。

娯楽は少ないけど、本を買ったり、ミシェルの研究の手伝いなんかをしたりして過ごしている。

まあ、せっかく手に入れたあぶく銭だから、楽しく使ってしまおうとは考えている。


「なあ、二人はお宝の使い道を決めたのか?」


 今朝も店に来ていたメルルとミラにそっと訊ねてみた。


「私はさっそく新しい剣と鎧を発注したよ。昨日、武器屋に行ってきた」


 メルルは自分に投資することにしたようだ。


「すごいな、120万リムを全部使ったのか?」

「まさか。使ったのは12万リムだけだよ。あとは美味しいものを食べたり、遊びに行ったりして、他は全部貯金するんだ」


 装備にそれだけのお金を掛けられるのは中堅以上の冒険者だ。

メルルもいよいよいっぱしの戦士となった感じがする。


「ミラは?」

「私も新しいマジックローブを発注してきました。残りは実家に仕送りしたり、メルルと遊びに行ったりして、同じように貯金します」


 二人は堅実な使い方をしているんだなあ。


「ユウスケさんはどうするの?」

「俺か? 俺はまだなんにも……」


 メルルとミラはジロジロと遠慮のない視線を俺にぶつけてきた。


「な、なんだよ?」

「ユウスケさんも装備を揃えたら?」

「そうですよ。地図作りでダンジョンを回るんですから、もう少しまともな防具があった方がいいです」


 言われてみればその通りだ。

俺が普段身に着けている装備は道具屋で買った安物である。

リスクを減らすためにも、もう少しいいものを買った方がいいだろう。


「確かになあ……。よし、俺も防具を揃えるとするか」


 街へ行くならミシェルも誘ってみるとしよう。

一緒に新しいコートでもプレゼントしようかな? 

そんなことを考えていたら、鉄板で朝食を作ってくれていたミシェルに呼ばれた。


「ユウスケ、朝ごはんができたわよ」


 いそいそと近づくと、普段は焼きそばを焼いている鉄板の上に、キツネ色に焼けたパンケーキが並んでいるではないか。

横には添え物のソーセージと温野菜がジュージューと美味しそうな音を立てている。


「おお! 美味そう」

「美味しいかどうかは食べてみないとわからないけど……」


 ミシェルは照れくさそうに頬を染める。


「ミシェルの作ってくれたもので、今までハズレなんてなかったぞ。いただきます」


 さっそく席に着き、焼き立てのパンケーキを頬張る。

もっちりとしていて、そのくせ重くない。

何枚でも食べられてしまいそうな極上のパンケーキだった。


「すごく美味しいよ」

「そう? よかった。明日は研究を休むから、一緒に防具を買いに行きましょうね」


 料理をしながらも、俺とメルルたちとの会話にしっかり聞き耳を立てていたようだ。

先日の誤解は解いておいたけど、やっぱり気になってしまうのかな? 

メルルとミラとハーレムプレー? 

ありえないだろう。

俺はそんなにモテないぞ。

少なくとも浮気を楽しめるタイプじゃないのだ。


       ◆


 ティッティーは軟禁先で大人しく過ごしていた。

夫である元国王は未だに横柄おうへいであったが、彼女は人が変わったように穏やかになり、時には夫の無礼を《いさ》諫めるまでになっている。

使用人たちに対してさえ丁寧な態度で接するようになって、周囲を驚かせていた。

もちろん演技であるが……。


「おはよう」「ごちそうさま」「ありがとう」


 あいさつと感謝の言葉は人々の警戒心をわずかながらに下げてくれるものだ。

前国王が横暴であるほど、横にいるティッティーは善人に見えるという効果もある。


 やがて、使用人たちのティッティーに対する警戒は少しずつだが下がっていった。

しかもティッティーは自分を清楚な美女に見せる方法も知っている女であり、男の視線に対しても敏感である。

誰が自分に対して邪な欲望を抱いているか、本人がどんなに隠したつもりでもティッティーには手に取るようにわかっていた。


 ある日のこと、ティッティーが廊下を歩いていると、ちょうど下男が大きな荷物を運んでいるところに出くわした。

まだ若い下男は壁側に身を寄せて頭を下げる。

この下男はいつも自分のことを欲望のこもった眼で見ていることをティッティーは知っていた。


「貴方……」


 不意に声をかけられて下男は身をすくめた。

身分を剥奪されたとはいえ、相手は元王妃である。

普通は自分のような者に声などかけないものだ。

返事をしてよいものかと思案していると、ティッティーが優しい声をかけてきた。


「手から血が出ていますよ」


 季節は寒さが骨身に染みる厳冬である。

下男の手はしもやけでひび割れていたのだ。


「かわいそうに……」


 ティッティーは自分のハンカチを下男の手にかけてやった。


「さあ、血を拭いて。冷たい手をしているのね」

「……」


 手を握られた下男は身を固くしたまま声も出せないでいる。


「ティッティー様、余計なことはされないように」


 監視役の女騎士が制止したが、ティッティーは真剣な顔で哀願する。


「痛々し気で見ていられません。大丈夫ですよ、少し治癒魔法を使うだけですから」


 下男の傷口に当てられた手が淡い緑色に発光し、治癒魔法が展開された。

まさか手当をされるとは思わなかった下男は茫然とその様子を見守る。


「さあ、これでもう治りましたよ」


 にっこりとほほ笑むティッティーは聖女と見紛みまごうばかりであった。


「あ、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 はかなげにほほ笑むティッティーを見て、下男は魂を奪われてしまったかのようだ。


「貴方、お名前は?」

「マ、マルコです」

「素敵な名前ね。また何かあったら、私におっしゃい」


 優雅に立ち去るティッティーを見送るマルコの手に、彼女のハンカチが残された。

そこにはティッティーの香水の匂いが残っている。

抗いきれない魅力を感じて、マルコは他の人に気づかれないようにハンカチの匂いを吸い込んだ。

甘い香りとともに痺れるような快感が体中を駆け巡っていく。


 ハッと気づいて、マルコは顔を上げ、小さくなっていくティッティーの後姿を見つめた。

次はいつ会えるかわからない。

今のうちに少しでもティッティーの姿を目に焼き付けておきたいと考えたのだ。


 角を曲がる瞬間、ティッティーとマルコの視線がわずかに交錯する。

マルコはそれだけで天にも昇る心地になってしまった。



 角を曲がったティッティーは小さく微笑んだ。

脱出を成功させる第一段階が成功したからだ。

『緊縛の薔薇』を嗅いでしまったあの下男は、遠からず私に接触を求めてくるだろう。

高価な薬であったが、ポイズンリング(*数種類の薬品を忍ばせておくことができる指輪)に隠して肌身離さずいたことが、ここへきて功を奏したのだ。


(マルコとかいったわね。退屈そうな男だけど、少しくらいならいい思いをさせてあげるわ。ここから出るためですからね)


 ティッティーは試案を巡らし、今後の計画を詰めるのだった。

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