Heaven's door

 毎日、必ず前を通る家がある。小さくて簡素な作りの一軒家で、通りにはキッチンが面しているのだろう、朝晩には必ず、美味しそうな料理の匂いと水音、それに機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてくるのだ。それらが聞こえてくる窓には色とりどりの花々が飾られ、キッチンのさらに奥から子供の楽しげな笑い声も響いてくる。教会と家との往復路の、ちょうど真ん中ほどに当たるその家は、ひととき天使である私の胸をも温かくしてくれる場所だった。

 それが、今日は違った。

 朝、やけに静かだなと思った。晩に通ったとき、いつもなら夕陽を浴びている筈の花々が仕舞い込まれていた。キッチンの向こうから、すすり泣くような声がした。

 気になって足を止めたそのとき、がらりと窓が開いた。

「……神父様?」

 そう言って小首を傾げたのは、小さな女の子だった。まだ十歳にもならないのではないだろうか。おさげにした赤毛が、ちょうど落ちていく陽に当たって、暖炉の炎のようだ。

「こんばんは、お嬢さん」

「……こんばんは」

 ひょいと頭を下げて、それから女の子は窓を閉めなかった。じっと私から視線を逸らさない。そのまぶたが、赤く腫れているのが分かった。

「神父様、教えてほしいの」

 思い切ったように、女の子は口を開いた。私は目線を合わせて尋ねる。

「何かな?」

「天国はどこにあるの?」

 ハッとした。

 女の子の顔から目を離さないまま、家の中の様子を探る。……やっぱりだ。いつもいる母親の気配がない。ここにきてようやく気がついたが、女の子は黒いワンピースを着ていた。

 私は、空の一点を指した。スカーレットのすぐ上、一番星が瞬くラピスラズリの辺りだ。

「お嬢さん、よく見てごらん。昼と夜とが交わっている、あの辺り……あそこに、天の国へ続く扉があるんだ」

「……あ、あれ? あのお星様?」

「そう、あのお星様が道標だよ。死んだ人はあれを目指して上って行って、天の国へ迎え入れられるんだ。そして、そこで幸せに暮らすんだよ」

 女の子は大きな瞳で星を見つめた。その視線を逸らすことなく「教えてくれてありがとう、神父様」と言った。

 スカーレットが天球の底に沈んで行く。曖昧な青が、みるみるうちに夜の色に変じてゆく。その中で、天界の扉を示す星だけは、いつまでも絶えることなく輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る