花を手折る(2)

 悪魔としての力の使い方は、最初に軽くお兄様に習っただけで、あとは仲間の使い魔のみんなから、少しずつ聞いて覚えていった。もちろん、人を積極的に害するような魔法は使いたくなかったから、どちらかというと汎用性が高くて、人の役に立てられそうな魔法をたくさん学んだ。使い魔のみんなは、「ダイアナは元人間だからね、気持ちはわかるさ」と寛容だった。お兄様が使い魔のみんなに寛容なのが、移っているのかもしれない。

 そうして覚えた力とはまた別に、私には、悪魔としての特性が備わっている。そのひとつが、魅了だ。相手の気持ちを自分に向けて、縛り付けてしまう力。人間を誘惑するという仕事の性質上、なくてはならない特性なのはわかっている。

 でも、そんなの、ズルだ。

「誘惑の仕事を、お前に任せるつもりはない。安心しろ。そういう仕事は、別に専門がいるからな」

 そう、お兄様は言っていた。あくまで私の命を救ってくれただけで、本当の意味での仕事をさせる気はないのだという、その優しさが嬉しかった。でも、ちょっとした興味もあって、それ専門の使い魔仲間に、こっそり話を聞いたことがある。そのときに、魅了の力の意図的な使い方も、聞いたのだ。

 ターゲットと視線を合わせ、強く思うこと。

「何を?」

「相手への気持ちを、よ。今から相手とやりたいことでもいい。とにかく、強い思いを念じるの。それで、大概の人間はイチコロよ」

 とっても美人で色気のあるその使い魔は、面白そうにそう話してくれた。

 あの日。マツリカを誰にも奪われたくなくて、それならいっそと、それまでとは違うやり方であの体に触れたとき……、最後にマツリカが私に言ってくれたあの言葉は、私が無意識のうちに使った、魅了の力のせいだったのではないだろうか。自分がその力を発動したかどうかは、意識していなければわからない。

 最初にソファに押し倒したときの戸惑いと、最後のあの、積極的な態度とが、どうしてもうまく噛み合わないのだ。

『ダイアナ、……私もあなたが好きよ』

 あの声、あの表情。限りない慈愛と、本物の愛情が込められていたあれが、本心から出たものではなかったのだとしたら? 思い出すだけで体の奥が熱く、どうしようもなく疼くあの言葉が、マツリカのものではないのだとしたら?

 あれからマツリカは何事もなかったように服装や髪型を整え、朗らかに帰って行った。合意の上で始めた訳ではなかったあの行為を、咎めることもなく。彼女が帰ってから、私はしばらく、ソファに横たわって考えた。否、猛烈に自分を恥じた。

 あんなの、ただの暴力だ。本当なら、マツリカの気持ちを確かめてから、ううん、それ以前に自分の気持ちをまず伝えてから、ゆっくり時間をかけてやるべきことだった。お互いに愛情を抱いていることが前提で、なされるべき行為だった。それなのに、あんな風に無理矢理。嫌われても憎まれても、訴えられたとしても、おかしくはなかった。これまで彼女との間に築いてきた全てが失われても、おかしくはなかった。そうならなかったのはひとえに、マツリカのあの言葉のおかげだ。あの言葉に私は救われた。

 だから、なおのこと怖くなる。あの言葉が、彼女の本心ではなかったとしたら……。

 恐ろしくて、あれから一週間、私は家から出られないでいる。何せ、すぐ隣に、彼女が住んでいるのだ。不用意に顔を合わせたくない。そもそも、どんな顔で彼女の前に出ればいいのか。好きだという、あの言葉が真実なのか、それを知る術さえあれば。

 一週間が経っても彼女の匂いが染み込んでいるような気がするクッションにもたれてひとりで悶々としていると、チャイムが鳴った。無視したけれど、また鳴る。さらに無視をしても、まだ鳴り続ける。

 仕方なしにドアを開けると、そこに彼女が立っていた。

「マツリカ」

「あれから全然、学校にも来ないから、心配したのよ」

 言いながら、どんどんと中に入って来る。拒む暇も与えないその態度にたじたじとなりながら、私は彼女がさっさとお茶の準備をするのを見つめた。

「マツリカ……」

「ほら、お茶でも飲んで。ひどい顔してるわ。可愛いのに台無し」

 渡されたカップの中身に口をつけていると、ぼろぼろと涙がこぼれた。ああ、お茶に涙の味が混ざっちゃう。

「あらあら」

 マツリカは悠然と私からカップを受け取ってテーブルに置き、そのまま私を抱きしめた。

「泣かないで。私が知ってるダイアナは、いつだって元気で明るくて、太陽みたいなんだから」

「うっ……う、うええ……」

 マツリカはポンポンと私の背中を叩く。まるで母親のように。しばらくそうしているうちに少しだけ落ち着いて、私はようやく、その胸から離れた。

「ごめんなさい、マツリカ……」

「謝ることないわ。誰だって、辛いときがあるものよ」

「そうじゃなくて……」

 視線が泳ぐ。なんて言えばいいのかわからない。けれど、こうして心配して来てくれたのだ。しっかり話さなきゃいけない。

 意を決して、私は彼女の瞳を見た。

「私、ちょっとした、その……特殊能力っていうのか、超能力っていうのか、そういうのがあってね。だから、マツリカがこの間、私のことを好きと言ってくれたのは、その力のせいだったんじゃないかって、そう思って」

 なんと表現したらいいのかわからなくて詰まりながら、でもなんとか、聞きたかったことを口にできた。緊張して唾を飲み込んだ私の目の前で、マツリカはぷっと吹き出した。

「ふ、ふふふ……! なんだ、何かと思えば、そんなこと」

「そ、そんなことって何よ、こっちは真剣なのよ」

 お腹を抱えて面白そうに笑うその姿に、私は思わず声を上げる。マツリカはひとしきり笑い終えて、首を振った。

「あのね、ダイアナ。私があなたのことを好きなのは、本当の気持ちなのよ。それも、先週、急に好きになったという訳じゃない。最初に会ったとき、ううん、それより少し後ね、あなたが暫く学校を休んでから再び登校するようになった、あの頃から、ずっと好きだったのよ」

 それは、お兄様に命を救われて使い魔になって、お兄様と天使様のお陰で学校に通えるようになった、あの時期のことだ。私は言葉を失って、マツリカを見つめた。

「だからね、ダイアナ。先週、トムの話をしたのも、そろそろあなたからアプローチしてくれないかなと思ってのことだったのよ」

「な……」

 その言葉には、さすがに声が出た。

「え、それじゃあ」

「あなたが私を大好きなのはわかってたもの。だから、ね。でもまさか、あんなに情熱的なアプローチをしてくれるなんて思わなかったけれど」

 ちょっと頬を染めて、マツリカは目を逸らす。

「マツリカ……!」

 遠慮も罪悪感も自己嫌悪も消し飛んで、私はその体に飛びついた。一緒に、床に倒れ込む。

「マツリカ、私、今とっても幸せよ。ありがとう、本当にありがとう」

「私もよ。ふふ、同じ気持ちね」

 お互いの顔を見合わせながら、いつまでも笑いあう。幸福感でフラフラする、というお兄様の言葉が本当だったことを、私は実感していた。

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