新しい光(9)
「それにしても、こんな危険なこと……よく無事に終えられたよ。ハラハラした……」
俺の部屋でカップに口をつけながら、天使は大きく息をついた。背後の窓からはそろそろ朝日が差し込んでくる頃合いだが、街はまだ、夜の
「勝算があるから仕掛けた駆け引きだ。当たり前さ」
正面の椅子に座ると、天使はじっと俺を見た。
「彼に見つからないようにずっと隠していたダイアナちゃんを『わざと』素の姿で外出させて見つけさせ、自分の使い魔になったのだということをさりげなく教え……、お前の弱点である私を狙うであろうことまで予測して、不意をついて拘束する……全く、天使には考えもつかない罠だよ」
「お褒めの言葉と思っておこう」
天使は、ちょっと肩をすくめた。
「でも、まあ何にしても……このサインを手に入れられたのは大きい」
机の上に出現した書状はそれ自体が神々しく輝き、眼鏡の男のサインは黒く蠢き続けている。のたうつようなその動きは、男の魂がこの書状に束縛されている証拠だ。
「全て、ダイアナちゃんのため、だったんだろう」
天使が、書状を仕舞い込みながら言う。今度は俺が肩をすくめる番だった。
「全て、は言い過ぎさ。俺はよい雇い主だが、善意で動いているわけじゃないんだ……そんな目で見るなよ、本当だぜ。ダイアナの心が少しでも晴れれば、今後もよく働いてくれるだろう。それに、あの眼鏡が俺を疑わしく思っていることは分かっていたからな……下手な嘘を重ね続けるより、いっそ、こちらの有利になるように、ことを起こした方がいいと思ったのさ」
「まあ、お前がそう言うなら、そうなんだろう。いずれにせよ、これでダイアナちゃんが救われたのは、間違いない。……少々、酷だったけれどね……」
天使がそう言う理由も分かる。あのとき、眼鏡の男が嫌々サインをしたためたとき……、あの豪勢な図書館を模した空間に、ダイアナの泣き声が響いた。男はすぐに姿を消し、慌てて駆け寄った俺と天使の前で、ダイアナはしゃくり上げた。
「これで……パパママは、絶対に天国に行けるのね……。何も苦しまないで、天国で楽しく……」
う、うえ、と、安堵の涙を流し続けるその姿に、俺は余計なことを言いかけた。
「そうだ。だがダイアナ、お前はもう、……」
天使に袖を引っ張られて言葉を止めた俺を、純真な少女は涙をいっぱいに溜めた瞳で見上げ、首を振った。
「いいの」
目元を何度も拭いながら、ダイアナは言う。
「きっと……天国から、パパもママも見守っていてくれるから。私は行けないけれど……。それに、私には」
ダイアナは、俺の使い魔は……、そこで、笑顔を浮かべた。
「お兄様と、天使様がいる」
「しかしラブ、こんなことをして、お前はお前のご主人様から、何か咎めを受けやしないか」
天使の言葉に、我に返る。心配そうな眼差しに、笑って首を振って見せる。
「大丈夫さ。うちのご主人サマは何につけても丼勘定なんだ。二人分の魂なんて、俺がすぐに取り戻せることくらい、分かってらっしゃるさ。仕事だって、俺の方がよほど上手くこなせるしな。それに、ひとつの純真な魂が、永遠にこちら側にあるんだから」
天使の背後から、
「ダイアナの両親は、無事に天国へ?」
俺の問いかけに天使は頷き、俺と同じように、窓の外へ目を向けた。
「……これから、ダイアナちゃんはまた、新しい日々を過ごせるんだね」
「ああ。まだ、あいつには言ってないがな」
壁に備え付けられている黒い棚に、とある学校へ提出する書類が一式、揃えて置いてある。眼鏡がクラーク一家から手を引いた後、諸々の事実
『ダイアナ・エバ・クラークは両親が事故で死亡したため、同市に住む親戚に預けられた。心の療養のため半年ほど休学していたが、今年から復学する。』
「これから俺は、あいつの雇い主でもあり、親戚のお兄さんでもあるわけだ」
ふふ、と天使は微笑んだ。
「ダイアナちゃんも喜ぶよ。私が保証する」
「天使サマのお墨付きか。それは安心だ」
朝が来た。
俺にも天使にも、そして使い魔の少女にも、等しく新しく温かい、朝の光が昇った。
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