新しい光(8)
戸惑って引いたわたしの体に、何かが巻き付いた……いや、これはリングだ。天使が自分より力の弱い悪魔に対して使う、拘束用の黄金のリングが、わたしの腕と胴を同時に締め付けていた。その聖なる輝きがジリジリと皮膚を灼き、混乱する思考に鞭を打つ。
「な……っ」
「ふん」
今の今まで、わたしの前に屈服していた男が、悠然と立ち上がった。その顔には、すでに先ほどまでの怒りや焦り、緊張というものは微塵も残っていない。いや、そんなものは、もしかすると。
「お前、……いつから……っ」
「最初からさ」
「そ、それじゃあ……」
勢いよく振り返ると、椅子に身を預けていたはずの天使の姿はなく……代わりに、金髪碧眼の少女が立っていた。
「ダイアナ・エバ・クラーク……!」
「ダイアナちゃんには、私に変身してもらっていたんだよ」
小娘の隣に、本物の天使がいた。先ほどまでわたしの手の中にいたものと寸分
「く、そ……! お前ら、騙したな……」
「よくその口でそんなことを言えたもんだ」
黒髪の男が、立っていられずに床に倒れ込んだわたしを見下ろしている。冷たい瞳の輝きは、怒りに燃えていたときよりも、背筋を凍らせる力を持っていた。
「さて。さっきまで大層、楽しそうに笑っていたが……今の気分はどうだ。そのリングの味は?」
「この野郎……」
「はは、上品ぶる力もなくなったか」
楽しくもなさそうに笑い、男はその革靴で、わたしの顎を上向かせた。屈辱に、体が震える。
「これで立場がはっきりしたな。ああ、お前の言う通り、俺はお前の仕事を邪魔し、ダイアナを使い魔にした。そして今、お前は天使に拘束され、手も足も出ない」
リングによる痛みなどは、問題ではなかった。問題は、湧き上がる、赤く黒い感情だ。どこに吐き出しようもない、溶岩のような塊だ。はらわたが煮え繰り返る、という使い古された慣用句が、これほど的確な言葉だったとは。
「ダイアナ・エバ・クラークという人間の少女は、もういない。さあ、誓ってもらおうか。もう、ダイアナをしつこく追いかけ回すのはやめる、とな」
少しの間、言葉が出てこなかった。頭の中には先ほどまでの自分の優勢と相手の劣勢の映像が何度も繰り返され、灼け
「……わかりましたよ。もう、その小娘のことは諦めます」
「これは契約だからな。違反はできん」
「わかっています。……もういいでしょう。早くこれを解いてくれませんか」
男は革靴を
「いいや、まだだ」
困惑するわたしの体を立たせて壁に押し付けるようにした男の隣に、天使が立つ。無闇に近づかれると、その清浄さに意識がぐらつく。天使は空中から、一枚の紙を取り出した。天界のものであることが分かる紙は青白く輝き、わたしの目を射る。
「この書状に、サインを」
天使の声は、その表情同様に硬い。天使と悪魔に共通の、最も古く格式高い文字で綴られた、短い文章を目で追う。ダイアナ・エバ・クラークの両親の名前が記され、その下部には。
「二人の魂を、天界に引き渡す、だと……?」
声が枯れた。悪い冗談のような文章に、吐き気すら催した。
悪魔としての仕事の成果であり、何者にも譲れない「獲得した魂」を、こともあろうに天界に……天国に引き渡せなどと。
「これにサインしなければ、お前の身柄はこのまま大天使に引き渡す」
天使の口から、恐ろしい言葉が放たれた。
「聞けばお前は、相当、
普段は天界から人界の諸事を監視し、天使を統括しているという大天使を、見たことのある悪魔は本当に少ない。なぜなら、その姿を目にしたとき、その悪魔は消滅するのが普通だからだ。消滅。寿命などない悪魔にとって、最も恐れるべき言葉。
わたしにはもう、何の選択肢も残されてはいないのだ。
一時的に解放された指で、書面にサインをする。途端に、リングは解けた。
「さ、これで自由だ。また何か、おかしなことをしてみろ。……こんなものでは、済まさないからな」
男が耳元で囁き、その甘い吐息が肺に沈む。今更になって明確に襲ってきた痛みと絶望とに、わたしはもう、何も言えなかった。
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