イベリス

 一世紀分の仕事が山積していたせいで、天使の新居を訪れるのが遅くなってしまった。本当はすぐにでも馳せ参じたかったのだが、こればかりは仕方ない。手土産の袋を下げて、俺はインターホンを押した。と同時に扉が開く。ちょっと見ぬ間に人間の技術は偉く進歩したものだと驚いていると、天使が顔を出した。

「そろそろ来るかと思っていた」

「さすがは天使サマ。大正解だ」

 久々に見ることのできた薔薇色の微笑みに幸福を感じながら、家に上がる。微かに漂う花の香りと、また別の甘い香りが鼻腔に届く。

「砂糖」

「あ、ああ……流石は悪魔だな、鼻がきく」

 苦笑いしながら、天使は対面式のキッチンを手で示した。俺は滅多に触ることのない、調理器具が並んでいる。卵と砂糖と色々な粉が、ボウルの中で混ぜ合わされているのが分かった。

「ケーキか」

「ああ。……いただきものへのお返しに、作ってみようかと思って」

 人間に少しでも近づけるように、と、こいつがいつも苦心しているのを、俺は知っている。だが、……。

「人間のことを羨む日が来るとは思わなかったな」

「え?」

 きょとんと俺を見上げる天使の、白い手の甲についていたクリームを舌で舐めとる。甘い。

「きゅ、急にやめてくれ……」

 赤い顔を隠すように背ける、その様子にささやかながら満足感を覚える。

「そんなところにクリームをつけている方が悪い」

「……何か怒ってるのか?」

「別に? 天使サマの手製のケーキを貰える奴に嫉妬しただけさ」

 俺の言葉に、青い瞳が見開かれる。次の瞬間、天使はふふっと吹き出した。

「何かと思えば。それは勘違いだよ、このケーキはお前へのお返しだ」

「は?」

「上手く作れるまでは伏せておこうと思っていたのにな」

 楽しげに笑う横顔に、一気に顔が熱くなる。俺は自分に嫉妬していた訳だ。

「それなら、早いところ上手く作ってくれ。手土産に、また良い紅茶を買って来たんだ」

「それは嬉しいな。ありがとう」

 お前が見ていてくれたら、上手く作れそうな気がするよ、と、天使は微笑んだ。

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