6.抜本的対話

「痛っ……」

 ハロルは小部屋で目を覚ました。

 馬車に連れ込まれたところまでは覚えているが、それ以降の記憶が無い。後頭部が痛むので、殴られて気を失っていたのだろう。

「どうするかな……」

 杖が無くなっている。手足は自由で、縛られていなかった。コイツには何もできないと思われているのだろうか。とても癪だが、せっかくなので利用させてもらおうと立ち上がった。

 部屋には誰もいない。少し寒いと感じた。床が冷えていたからだろうか。それに天井から風を感じる。建付けが悪い……いや、古びている? カタカタと音が聞こえた。もしや此処は地下なのか。

 杖が無いので防御姿勢を取りながら、ゆっくりと進んだ。

 数歩進んだところで、何かにぶつかる。生物ではないと判断し、輪郭をなぞると梯子だと分かった。上に向かって伸びており、下の階であることが分かる。

「登ってみるか」

 此処にいたままでは埒が明かないだろう。動いてみなければ。梯子を軽く揺らすと、余裕で人が登れるほどの頑丈さがあった。

 足を掛け、一つひとつ踏みしめると、すぐに頂上に辿り着く。片手を離し天井を触ってみる。四角く線が入っており、おそらく開いて通れるようになっているが、動く気配は無い。さすがに鍵はかけられているらしい。無駄足だったと梯子を降りた。

 壁を伝って一周したが、何の変哲もない部屋であった。一つ、ベッドが置いてあるだけだ。ベッドがあるなら連れて来た時もそこに寝かせてくれればいいのに。床は硬くて嫌だった。

 やることがない。暇だった。体力回復のためにもベッドで横になるが、眠れる訳ではない。寝転がるだけだ。

「…………リーベ……」

 ぼんやりと、彼の名前を口にした。

 いつの間にか呼び慣れてしまった愛称に、懐かしさのようなものを覚える。そこまで時間は経っていないが、長く一緒に居すぎたからだろうか。

 あれだけ突き放したのに、つい今は助けに来てほしいなどと思ってしまう。

「最低だな、俺は」

 一人で冷静に思い返すと、あの時は熱くなりすぎたと反省した。しかし、正当な怒りだったとも思う。

 舞踏会の後、あれだけ大事そうに語っていた爵位を自分のせいで捨てさせるなど、絶対に嫌だった。大切な人に迷惑をかけるのはもう懲り懲りだ。

 師匠は……モルガンはどれだけ自分に時間を奪われたのだろう。いつも疲れた声で少ない時間でもハロルに会いに来る。仕事の内容は知らないが、ハロルのために動いていることは分かった。

 小さい頃、まだ物事の分別もつかない頃だ。暗い顔で仕事へ向かうモルガンに、行かないで、自分と遊んでと頼んだことがある。モルガンはそんなハロルの頭を撫でながら「ハロルのためだよ」と言われたことが、今も忘れられない。

 自分を大事にしてくれることは純粋に嬉しい。だが、ハロルは守られることよりも、一緒に居てくれることの方が余程嬉しかった。だがモルガンはハロルを危険に触れさせないよう、安全なところに置いて行ってしまう。彼はまた、一人で何処かに。

 リベルダにはそれを感じなかった。魔力も、見えないことも気にしない。ハロルが自分で得た強さを選んでくれた。それが何より嬉しくて、だから……。

 その先は言いたくなかった。

 きっと言ってしまえば戻れない。その反対の言葉だ、もう別れを切り出そう。リベルダの人生を狭めるくらいなら、自分が身を引こう。

 それでおしまいだ。




 情報量と疲労によりこんな状況でも眠れてしまいそうな時、ギィ、と扉が開くような音がした。その後カツカツと靴の音が響く。おそらく天井にあった蓋が開かれ、梯子から人が下りたのだろう。いきなりの登場に起き上がり身構える。

「……誰だ?」

「おや、さすがに気づかれるか。見えていないのに」

 わざとらしく大袈裟にハロルを煽った。神経を逆撫でる声は、中年の男性のものだ。聞き覚えはない。

「だから誰だと聞いている」

「忘れてしまったのかい? 残念だな……君の、父親だっていうのに」

「何…………!?」

 父親、その言葉は遠の昔に使わなくなっていた。居ないことが当たり前であり、存在しないものとすら思っていた。しかし、此処にはハロルの父親だと宣言する者が居る。騙っているだけか、不本意ながら真実なのか。

「信じられないか? 残念だな。もし君の目が見えていれば、私の顔で分かるのに」

 ハロルはその喋り方に虫酸が走った。嫌な予感がする、聞きたくない、すぐにこの場を離れたい。しかし、そう易々と逃がしてはくれないだろう。

 顔で分かる、つまりは似ているのだ。母のミラルは勝気な姉御のような雰囲気で、キリリと涼やかな目元をしている。それに対し、ハロルは丸い柔らかな瞳の童顔だ。父親を名乗る彼もまた、年齢不詳の若々しい顔立ちをしている。

「……興味無い。俺に父親は居ない」

「おぉ、かわいいハロル、そんなこと言わないでくれ。お前の半分は私だろう」

 男はハロルへと歩み寄り、腕を掴んだ。ハロルは掴まれたと頭で理解するよりも先に、反射で振り払う。

「触るなッ!」

「手厳しいな……まぁいいよ。今の内だけだ。どうせ抵抗できなくなる」

「……何の話だ?」

「ハロル、君が必要になったんだ」

 胸がざわめいた。妙に好意的な声に気分が悪くなる。今更必要などと言われたところで信じられる訳がない。そもそも物のように選ばれることも不快だった。

「魔力ばかり多くて人騒がせなお前が、やっと国のためになるんだ」

 舞台にでも立っているかのように手を広げ、大っぴらに語った。声が頭に響く。リベルダだって負けず劣らず煩いが、何故か不快には感じなかった。

「嬉しいだろう? 私も頑張ったんだ。愛する息子が社会に貢献できるように」

「頑張った……? 笑わせるな、母さんを置いて出て行ったくせに!」

 ハロルは怒りを爆発させた。それはハロルにとって初めてとも言える父親への怒りだった。自分が産まれてすぐに出て行き、二度と会いに来なかったような男、今の今まで本当にどうだって良かった。復讐しようとも思っていない。もう会わない、ただそう思っていたことが安心に繋がった。

 いざ前にしてしまうと、どうにもならない感情であった。自分を飲み込んでしまいそうな、大きな怒り。

「母さん…………あの女か。美人だったが、反抗的で面倒だったな。家族も煩くて鎮圧に時間がかかった……あぁでも、一人だけ便利な奴がいたよ。君のことが大好きな……モルガン、だったかな?」

「ッ! 師匠……!?」

「そうそう、それだ。彼は何でもしてくれた。君のためなら火の中水の中、実に使いやすい男だね。戦闘力も頭脳もある、優秀だ」

「な、なんで……」

「おっと、勘違いしないでくれ。最初に近づいて来たのは彼からだよ? きっと私を探していたんだね。そしてスパイとして潜入、内部分裂させるつもりだっただろう。でも私の方が上手だった」

 二重スパイのような形になり、皮肉にもモルガンがハロルの居場所は状況を逐次伝えることになった。そのことにモルガン自身が気づいていたかは分からないが、今日この場に居ないあたり、騙されていた可能性が高いだろう。

「ハロルは悪い子だね。君のせいで何人もの人が不幸になっている。君の母も、師匠も、私もだ」

 そう聞いた途端、変に怒りが収まった。脳で何かがぐるりと回り、倒れそうな感覚。ハロルは頭を支えると同時に耳を塞いだ。

 これはハロルを混乱させるための、ある種の洗脳だ。頭の何処かの冷静な箇所でそれを理解しながら、抑えられずにいる。

「ハロルのせいだ」

 いくら聴いても、その言葉が嫌だった。自分で何度も口にして、人から何度も悪意無く使われた。ハロルを縛る、呪いの言葉。

 塞ぎ切った耳は振動をよく受け取る。真っ暗闇で立ち止まっていたハロルに、近づいて来る足音。カツカツと煩い、自己主張の激しい音。

 男は話に夢中で気づいていないようだが、ハロルにはすぐ分かった。間違いない、これはリベルダの足音だ。

 途端、意識が切り替わった。言われるがままになっているなど、全く自分らしくない。

(何故黙り込んでいる、ハロル・ロイツェ。こんなんじゃリーベに笑われる。父親気取りの最低野郎に負けてたまるか)

「俺のせい……そうだな。たくさん迷惑をかけたよ。家族に謝らないと」

「あぁ…………でも気負わなくていい。これからは国のため、ひいては私たち家族のためにも働けるよ」

 凛と背筋を伸ばし、足を組んだ。監禁されているとは思えない態度である。

「私たち……? お前、自分が家族に入ってると思ったのか?」

「っ、何?」

 弾かれたように身を引いた。どうやら本気で自分が輪に入れると思っていたらしい。何言ってんだ、とつい声に出してしまいそうだった。ため息をついて言い放つ。先程とは違う、自信に満ち溢れた顔で。

「図々しい奴だな。残念ながら、お前は一度だってその中に入ったことはない」

 ハロルの声はよく通る。古びた天井くらいなら簡単に突き抜けられるほど、凛々しく、ハキハキと。

「というか、自己中野郎にはうんざりなんだ。俺の傍にもう居るんだよ。いちいち大袈裟で、滅茶苦茶な奴。でもお前の何万倍、性格が良い」

 ハロルは迷いなく上を向いた。そして叫ぶ。

「なぁリーベ! そこに居るんだろ!?」

「あぁ! 俺は此処だ、ハロル!」

 派手な音を立て、天井が壊される。爽やかな風が吹き抜けた。初めて彼の魔法を見た時と同じ、涼しい空気。そして水飛沫と同時にリベルダが降りて来る。

 綺麗に着地を決めて背筋を伸ばしたリベルダは、立ちすくんだ男に見向きもせず、物語の王子様のように跪いた。ハロルの手を取り囁く。

「遅れてすまない、愛しい人」

 気取り屋の王子は指先にキスを落とした。





 時を遡り、少し前。

 馬車を降りたリベルダは森の中の建物に辿り着いた。木に埋もれて周辺の街からは見えないので高さは無いが、横に長い大きな古びた建物であった。目立たないよう、かつ広々とした形状だ。

 モルガンは黙々と歩を進め、門番らしき人に声をかける……前に、目にも止まらぬ早さで背負い投げていた。見事な一本背負いだ。とてもハロルに似ている技だ。いや、ハロルがモルガンに似ているのだが。

「入ってくれ、手分けして探そう」

 モルガンは扉を開け、リベルダを促した。

 扉の先は玄関ホールになっており、左右と正面に一つずつ、計三つの扉があった。屋敷というより工場といった様子で、質素な内装だった。モルガンは右に向かったので、リベルダは入って正面をそのまま進んだ。

「なんだ、これ……?」

 リベルダは息を飲んだ。見てはいけないものを見たという感覚。生易しい気概では受け止めきれない、グロテスクとも取れる有様。

 飾り気のない扉を開いた先にあったのは、拘束された人々と、その前にとめどなく流れ込んでくる廃棄物だった。生臭さと衝撃的な光景に、リベルダは後ずさった。

 食卓のような長方形の台に、壁に備え付けられた穴から次々と廃棄物が流れ出ている。食べ残しやボロボロになった衣服、壊れたおもちゃなど、ありとあらゆる物が集まっていた。人々はそれを囲むように椅子に縛り付けられ、座らせられていた。肌には痛々しい傷が見えた。

 できる限り呼吸を抑えながら近づいてみると、気を失ったような状態で魔法を使う人々が、虚ろな目で廃棄物を見つめ、次の瞬間には消していた。つまり、黒魔法である。

 勝手に入って来たリベルダに見向きもしていない。試しに首を此方を向かせてみたが、恐ろしいものを見たような顔をして、すぐに顔を戻してしまう。

 魔法を使うのは魔力も体力も奪われる。この国では生まれつきの魔力量に応じて労働時間と量が定められており、度を超えた使用も禁止されている。これは明らかな不正労働だ。労働とも言えるか怪しい。これでは奴隷のようではないか。

 一体いつからこんなところで働かされていたのだろう。身なりは決して綺麗とは言えず、体も傷付きやせ細っている。人間らしい生活が送れていないことは一目瞭然だ。

(誘拐を目論んだ者は、ハロルもこんな風に扱うつもりだったのか……?)

 そう思った途端、かつてないほどの怒りが込み上げた。

 すぐに踵を返し、玄関ホールを通って左の扉へ入った。何故だか分からないが、あの部屋にハロルは居ない気がした。

 開くと廊下が続いており、扉がいくつも並んでいた。試しに手前の扉を開けてみると、ベッドや棚、机と椅子などが置いてある宿屋のような簡素な部屋だった。一部屋ずつ調べれば何処かに居るだろうか……と考えていた時、かすかな喋り声が聞こえた。

 まだ言葉が鮮明に聞こえるほどではないが、方角くらいは分かる。声の方へと進み、一つの扉に当たった。迷わず開けるが、そこに望みの人物は居ない。

 部屋を一周歩く。床がミシミシと音を立てた。

「お前、自分が家族に入ってると思ったのか?」

「ハロル……!」

 間違えるはずがない。誰より愛おしい、ハロルの声だ。しかし困ったことに、本人の姿は見当たらない。声の方向からして真下だろうが、階段などは見当たらなかった。自分のすぐ近くに居るというのに、触れられないことがもどかしい。

「図々しい奴だな。残念ながら、お前は一度だってその中に入ったことはない」

 ハロルの声を聞きながら、下に繋がる何かを探して足を踏み出した。

 ギィと、床の音がした。建物に入った時からその古さが気になっていた。先程の正面の部屋はそうでもなかったので、此処だけ長く修繕が行われていないのだろう。

 もしや、壊せるだろうか。

 そう思ったリベルダは早かった。パレットをすぐさま取り出し、想像力を働かせる。

 頭を捻るが、なかなか下りて来ない。初めて来た建物の、見たこともない地下を想像しなくてはならないからだ。明るいのか、暗いのか。この部屋と同じような個室なのか、壁の無い広い部屋なのか。検討もつかない。

「というか、自己中野郎にはうんざりなんだ。俺の傍にもう居るんだよ。いちいち大袈裟で、滅茶苦茶な奴」

 リベルダははたと気がついた。

 この下で唯一確定している、リベルダが求めて止まない人物。それはたった一人。

「でもお前の何万倍、性格が良い」

 リベルダは武者震いにも似た笑顔をした。

(考えろ、考えろ! あの姿を思い出せ! 俺の真下にはハロルが居る、それだけで充分だ)

「なぁリーベ! そこに居るんだろ!?」

「あぁ! 俺は此処だ、ハロル!」

 天井は青魔法の水圧により、バキバキと大きく壊れた。足が浮く、落下する。幸い下には何も無かったようで、安定した着地ができた。

 顔を上げると、ベッドに座ったハロルが目に入る。直ちに立ち上がり、歩み寄る。ハロルの顔を見た途端、怒りが何処かへ吹き飛んだ。案外元気そうだったからだろうか。足を組んで寛いだ姿勢に堪らず笑った。

 部屋にもう一人居ることは分かったが、それよりも先にハロルに触れたかった。跪き、下からハロルの顔を覗き込む。

 白くて細い、そして硬い手を取った。ダンスの際は可愛いと言ったが、誰よりも格好良いとも思っている。多くのものを大切に握ってきた手だ。敬意を込めて指先にキスをした。

「遅れてすまない、愛しい人」

 勝気な女王は満足気に笑った。




「お、お前、リベルダ・アルダム……!?」

 呆気に取られていた男がやっと声を出した。ハロルはリベルダの手を支えに立ち上がる。

「リーベのことを知っているのか」

「当たり前だっ! そもそも、ハロルがコイツと知り合ったりしたから、私の計画が……!」

「その計画というのが……正面の部屋のことか?」

 男は一度ピクリと眉を上げ、諦めたように息を吐いた。

「あぁ…………もう見られたなら仕方ないな」

「正面……?」

 ハロルは不思議そうに聞いた。それに対しリベルダは口角を下げた。

「……俺も信じ難いことなんだが……黒魔法で大量の廃棄物を消していたんだ」

「ど、どういうことだ」

「おそらく、周辺地域のゴミが全て此処に集められている。……あの山の中には俺たちが出した物も、含まれているだろう。それを無茶な労働で消させている」

 リベルダは俯いた。

 あまりにも規模が大きすぎる話である。ハロルが居ないことの方が気掛かりで一度は離れたが、改めて思い返して震撼した。

「へぇ、物分りが良いな。流石は侯爵家のお坊ちゃんだ」

 今までハロルと話していた口調は作っていたものなのだろう。男は刺々しく話すようになった。

「この機能は社会基盤、インフラなんだ。誰もが気づかない内に使っている。狭い地域の話じゃない、この国の全域に此処と同じような施設があるぞ」

 ハロルは聞きながら必死に頭を回した。ギリギリ理解はできている、辻褄も合っている。非人道的な行為ではあるが、目を逸らしがちな公共事業を請け負っていると言えば聞こえは良いだろう。

「リーベ、そこに居た人は何歳くらいだった」

「年齢……? 皆やせ細っていたが……」

「あぁ、質問を間違えた。子どもは居たか?」

「いや、居なかった」

「やはりか」

 口に手を当てて考えながら、ハロルは納得したように呟いた。

 男は口を開いた。

「素晴らしい、ハロルはそこまで気がついたのか」

「……優秀な友人のおかげだ。二十歳を越えた黒魔法使いを誘拐……いや、無かったことにしているんだろう」

 それを聞いたリベルダは目を見開き、すぐに神妙な面持ちになる。

「そうだよ。ハロルもその予定だった……が、リベルダ・アルダム、お前のせいで全てが台無しだ」

「俺か?」

 考え込んでいたリベルダはいきなり自分の名前が出てきたことに驚いた。

「せっかくハロルを忘れた人が増えたのに……! こんな目立つ奴と関わったら、また目立ってしまう! しかもパーティーに連れて行くなんて…………」

 学内舞踏会に二人で出席したことは、予想外のところにも影響を及ぼしたらしい。男はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。

 黒魔法をできる限り目立たないように、意識の外に置くよう仕向けることがこの事業の要点だった。汚い物から目を逸らし、触れないようにしてしまう。そうすれば上辺の社会だけは成り立つのだ。

「ハロルは最高級品なんだ……! 過去に有名だったことが玉に瑕だが……魔力量は完璧だ! なのに、また人の目に晒されては価値が下がってしまう!」

 男は何かに噛み付くように声を荒らげた。

 ゴミ処理のために選ばれる人の条件は三つだ。黒魔法が適正であること。二十歳以上であること。有名でないこと。これらが揃っていると対象になる。それに加え、魔力量が多い者は高価に取引される。

 また、誘拐は特殊なケースだ。相当魔力量が多い場合など、特別に目をつけられている人のみである。ヘリムのように、仕事と言われ呼び出されることが常だ。ハロルはそれだけ貴重だということだろう。

「予定を早めて攫う羽目になった……最悪だ。ハロルのせいだぞ、ハロルが良い子にしていればこんなことは…………」

 男はまた呪いの言葉を吐いた。

 ハロルは自分のズボンを握った。父親だとは思っていないにしろ、どうしてもこの言葉には弱い。

 おかしいことだとは分かっている。頭がもっと冷静な時であれば、迷わず違うと言えたはずだ。

 だが当事者だからこそ共感できることがある。黒魔法の偏見。イメージさえすれば物を消せるという明確な恐怖は人々を遠ざける。そんなずっと畏怖されていた力が役に立つ仕事があると言われれば、食い付いてしまう気持ちも分かる。適材適所、というものなのではないか。

「ふざけたことを言うな」

 リベルダは握り込んだハロルの手を開かせ、温めるように繋いだ。絡まった思考が解ける。呼吸が少しだけしやすくなった。

「さっきから聞いていれば適当な言葉ばかり並べて……恥ずかしくないのか?」

「ッ!」

「歴とした犯罪じゃないか。虚妄で黒魔法使いをたらしこんで、洗脳して、悪用した。きっちり法に書いてあるだろう。労働時間は決められている。それは黒魔法使いだって例外ではない」

 理路整然に説いた。あまりに清々しい言い方は男の神経を逆撫でた。

「そんなもの、綺麗事だ! 世の中には触れちゃいけないことがあるんだよ!」

「いけない? そんなこと誰が決めた」

「あぁ……お前たちは知らないよな…………コードレだよ。法律とやらを作った国家だ」

 二人とも、これだけ重大なものがある割に警備が簡易ではないかと薄々思っていた。法的機関が放っておかないだろうと。しかし、国が認識しているならば合点がいく。表向きは関与していない風を装うが、実際は裏金が動いているのだろう。

「ハロルが学園に内密に通うことになったのも、この施設を作ったのも、全て国家権力だ。のうのうと暮らしている国民だけが、このことを知らない」

 勝ち誇ったような笑顔を見せた。後ろに国が付いていることが余程自信なのだろう。だからこそ大胆不敵な誘拐も行えた。

「親族に怪しまれないよう給料として振り込んでいる金も、国からの普及だ」

 子息が急に居なくなれば、親族が騒ぎ立てるのも当然だろう。それを金で黙らせてきた訳だ。

「知っているのはごく一部だがな。王族や警察の上層部くらいか」

 今まで情報が漏れずにいたのは、コードレからのバックアップ……隠蔽と金銭支給の賜物だ。それだけのことをしてまで仕組みを守りたいらしい。

「…………」

 リベルダは繋いでいない方の手を顎に当てた。

「やっとお前も必要な事業だと気づいたか?」

「いや……やはり擁護できるものではないなと思って」

 ケロッと応えた。いとも簡単に言うリベルダの姿は、ハロルに光を与えてくれる。

「国が味方だからといって、良いとは限らないだろう。悪い習慣なら覆さなければ」

「生意気な餓鬼だな…………まだ子どもだ。事の重大さが分からないだろう」

「侮るな。あなたよりは分かっているつもりだが」

「いいや、分かっていない! 必要な犠牲なんだ!」

 男は狂信的に叫んだ。

「コードレの人間は全員馬鹿なんだよ! 長いものに巻かれて、権力に擦り寄って生きている! 日和見主義の奴らのために、汚い部分を請け負ってやってるんだ!」

 自分はあくまで正当な理由で黒魔法使いを扱っていると、そう言いたいらしい。

「……リベルダ・アルダム、ハロルを置いて此処を出ろ。そしてこのことを誰にも言うな」

 一呼吸した後、打って変わって落ち着いた様子で交渉を持ちかけてきた。悪事を暴露したこの状況でよくも言えると、ある種感心した。

「そんな条件、呑むと思うか?」

「あぁ。何せ、ハロルは私の息子だぞ? 家族と共にいる方が良いに決まってる」

 予想外の言葉にリベルダは繋いだ手の先の人物を見やった。もし彼がハロルの親類であるならば、話は変わってくる。

「それは本当なのか? ハロル」

「俺には判断しかねる。が、俺は認めていない」

 男が言うには顔がそっくりという話だが、ハロルには目隠しがあり、今リベルダが見比べても分からない。

 何よりリベルダはハロルの言葉を信じた。ハロルが認めていないと言うのであれば、そこを探るのは無粋だろう。

 男の交渉を呑む必要が本当に無くなったので、心置き無く拘束して警察に突き出せる。そう思いパレットを取り出そうとした時、ハロルが口を開いた。

「それはそうと……」

 ハロルは繋いだ手を離し、腕を組んだ。代わりにリベルダの胴に身を寄せ、もたれ掛かった。そして気楽に爆弾を放った。

「言っておくと、俺は本当に魔法使えないぞ?」

「え」「は」

 男とリベルダの声が揃った。

「散々学校で習っただろ? 色彩造形魔法は視覚重視だ。一度見た物を現物として生み出す。多少は想像で応用も効く。黒魔法は少し特殊だが、それも結局は『無い』状況を見てから想像して、再生してるだけなんだ。イメージは脳で行うことだから俺でもできると思われたのかもしれないが、『想像』の工程より『見る』工程の方が重要なんだよ」

 ペラペラと詰まることなくハロルは説明をした。男は少しばかりパニックになっている。今だけはリベルダも男に同情した。

「俺だって一応やってみようとはしたよ。あんだけ人から言われたらな。身近にあった果物を手から無くそうとしたが、できなかった。俺がその果物を正確に捉えることは不可能だし、何も持っていない手を捉えることもそうだ」

 ハロルはその時のことを思い出しているのか、手を開いたり閉じたりしている。そして呆れた顔をした。

「周りにも新聞社にもそうやって言ったんだがな、いつ覚醒するか分からないからとか、使い方を知らないからだとか、とにかく取り合ってくれなかったんだよ。段々面倒になって言うのやめてた」

 学園に通っていることもそうだ。使い方さえ理論的に学べば可能性はあるかもしれないと思い、一応は試したものの、全く効果は無かった。

 そもそも、この国の人々は魔法が使えることが当たり前になりすぎて基礎の教育が行われていない。食事や排泄といった生理的欲求と同等の事象と認識されていたため、取り上げられていないのだ。むしろハロルが経験の中で見出した『見る』工程が重要という言葉の方が、教科書よりも画期的だろう。

「なら俺に言えば良かっただろう!? 俺は信じたぞ!」

 リベルダに肩を掴まれる。そして大真面目に、真っ直ぐハロルを見て言った。

 ハロルは何秒か動きを止めた後、吹き出した。そういう話じゃないと口から出るより先に、笑いが勝った。

「確かに! リーベは信じてくれただろうな! 本当だ!」

「どうして言ってくれなかったんだ!」

「忘れてた。言うタイミングも無かったし」

 ハロルはケタケタ笑いながら、リベルダを宥めた。

「……ほんとに……」

 二人の世界に入ってしまったのを横目に、男は音がしそうなほど歯を食いしばった。

「本当に役立たずじゃないか! 魔力ばかり多くて魔法は使えない!? 存在価値の無いゴミじゃないか!」

 青筋を立てた男は一番の大声で噛み付いた。床が割れてしまいそうな勢いで歩み、ハロルに掴みかかろうとする。

「色彩造形〝青〟!」

 持ち前の反射神経でパレットを即座に取り出し、男の顔周りに水を張った。呼吸が厳しくなった男は溺れた声を上げる。

「お、おい、流石に殺すなよ?」

「問題無い。加減はできる」

 ハロルに散々暴言を吐いたことは許せないが、犯罪者になる訳にはいかないので程々で止めるつもりだった。正当防衛程度に済ませておきたい。

「……待てリーベ、俺にやらせろ」

 少し考えたハロルは何かを思いつき、悪い顔をした。

 リベルダは咄嗟に魔法を解き、パレットをしまった。息ができるようになった男は大きくむせ返る。

「何を……するッ……」

 ハロルは声のする方へと向かった。肩を回し、首を捻る。自信に満ち溢れた顔をしながら、一言聞いた。

「あぁ……場所だけ確認しても良いか?」

 男の身体に触れ、力強く掴んだ。見事な一本背負いだ。見たことのある、美しい型だった。

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