5.困惑的状況


「意外と遠かったな」

 ヘリムの名義で差し出された領収書の消印は、ハロルたちが住む街……つまりは王都の隣にあった。隣街、と言ってもそこそこの距離がある。

 王都が広いのだ。リベルダら貴族が住むような都会もあれば、商人が行き交う商店街、そしてハロルが住む田舎町まである。街を出るまでに時間がかかる訳だ。そこから隣街の中心部まで向かうので、それなりの時間がかかった。

「でも馬車は早い方だろ。俺が歩いて学校行く時と同じくらいじゃないか?」

「それは……確かにそうだな」

 ハロルは生徒の中でも一番遠くから通っている。つまりとても遠い。ましてや徒歩なので、朝早くに家を出ることになる。そこに何故かリベルダがいたりもする。

「で、フィーは…………いた」

 リベルダは近くを止まった馬車から慌ただしく降りてくるフィーを見つけた。ドレスよりも余程短いワンピースを着ているはずだが、それでも裾を踏んでしまいそうな危うさにリベルダは歩み寄った。

「フィー、お手をどうぞ」

「わわっ、リベルダ様! ありがとうございます! あれっ、ごきげんようが先……?」

「どういたしまして。どちらでもいいぞ。あまり畏まるな?」

「は、はい…………」

 するとハロルが杖をつきながら、ゆっくり歩いて来た。

「フィー、おはよう」

「ハロル様も、おはようございます」

「様はやめてくれ……むず痒い」

「き、気をつけますっ」

 フィーは律儀にハロルさん、と何度も口ずさみ始めた。

 彼女を馬車の段差から降ろし切ったリベルダは、続いてハロルの手をギュッと握り、包み込んだ。

「ハロル! 置いて行ってすまない!」

「別にいいよ……助けに行かないお前の方が嫌だ」

「そうか……! ありがとう」

 リベルダは掴んだ手を更に引き上げ、口元まで持って行き、ハロルの指先に軽く触れた。

 驚いたハロルは手を強ばらせ、払い除けた。一々大袈裟なリベルダに思わずため息をつきながら、ふとフィーの眼前であることに気がついた。

「リーベ、とりあえず後、な」

「あぁ、そうだな」

 置いていかれたフィーはキョトンとした顔で二人を見つめていた。

「お二人は、仲がよろしいですよね」

 嫌味ったらしさは全く無いまま、純粋に口にした。

「そうだろう、そうだろう! やはりそう見えるか!」

 リベルダは意気揚々と応える。それにハロルはうんざりした表情になった後、フィーに向き直った。

「悪い。フィーの婚約者がどうなっているかも分からないのに……」

「いいえ! お二人を見ていると元気が出ます。そのままで、いてください」

 胸に手を合わせ、フィーはふんわりと笑った。普段ならば疑うことのない笑顔だが、こんな状況では無理して笑っているように思えてしまう。

 その不安を少しでも早く拭えるように、ハロルは声を切り替えた。

「……とにかくやるべきことをしよう」

「はいっ」


 結局、手分けして聞き込みとなった。協議の結果、ハロルとフィーは二人で、そしてリベルダのみ一人で向かう。ハロルもフィーも一人で行動させるのは如何なものかという話になった。かといって三人一緒に動くのも人数の利が生かせていないので、リベルダは泣く泣く受け入れた。

「フィー、行くぞ。エスコートはしてやれないが」

「大丈夫ですっ! 私こそ、誘導頑張りますね!」

「気負わないでくれ。肩だけ貸してくれれば良いよ」

 フィーはギュッとハロルの手を掴み、そのまま肩へと持っていった。

 少しだけ満足いかないような顔をしたリベルダは、何かあったらすぐに呼べ、と何度も念を押して別れた。




「お話していただき、ありがとうございました……」

「……なかなか厳しいな」

 数人から話を聞き一段落ついたところで、二人は揃ってため息をついた。予想通りと言えば予想通り。なかなかめぼしい情報は無い。強いてあげるなら、最近見かけない馬車が南に向かって走っていることだろうか。しかし、この街は王都のすぐ側ということもあり、交通量が多い。見知らぬ馬車など日常茶飯事である。

「困ったな……。リーベの方に何か動きがあれば良いが……駄目そうなら南に足を運ぼう」

「はい。あの、ハロルさ……ん」

 フィーは様、と言いかけた口を無理矢理閉じた。

「どうした?」

「わ、私、一人で調べることがすごく心細くて……でも、お二人が一緒に来てくださって、本当に嬉しかったです」

 ヨークト伯爵家はそこまで大きな家ではない。さらにヘリムは子爵家の出で、フィーが支える側である。二人でコツコツ真面目に手を携えながら、家を守ってきた。

 そんな中、急に片割れが消え、たった一人で彷徨うことになる。二人の両親も協力しようとはしているが、手を貸せないことも多い。結局はフィーだけで調査しているのだ。

 元々人見知りしやすいフィーが懸命に聞き込みや夜会に勤しみ、不安の中生きてきたことは想像に容易い。

「いいよ、そんなこと。俺たちが勝手に首突っ込んだだけだ」

 むしろ邪魔ならすぐ言えよー、とハロルは軽口を叩いた。

「ハロルさん……ありがとうございます」

「だからいいっ、って!?」

 ハロルはいきなりバランスを崩した……いいや、杖にぶつかってきたものがある。体幹は安定しているためハロルは立ったままだが、相手の方が倒れてしまったらしい。ドサッという音が聞こえた。

「わっ、悪い!」

「だ、大丈夫ですか!?」

「い、いたいよぉー!」

 子どもの泣く声が聞こえた。突然の大声にハロルは肩をビクッと上げた。

「子ども……!? ご、ごめんな! えっと、あの、どうしよ……」

 ハロルは珍しくパニックを起こしていた。子どもが苦手なのだ。ハロルはとびきりの末っ子気質、大人に甘やかされてきた。ましてや動きが不規則で予想がつかない子どもは、ハロルにとって未知だ。

「すみません! お怪我はありませんか!?」

 大人の女性の声がした。

「俺は大丈夫です、けど、この子の方が」

「大丈夫ですよ、ハロルさん。この子も怪我はありません」

 ハキハキと答えたのはフィーだった。慌てるハロルを置いて、子どもの怪我を先に確認していたらしい。転んだ方を診るのは正しい選択だろう。

「先生、ですか?」

 その女性は何人も子どもを引き連れていた。台車に乗っている子が三人、そして自分で歩いている子も三人だ。その内の一人がぶつかった男の子である。

「はい。この近くの幼稚園の者で……。ご迷惑をおかけしました」

「いいえ! 本当に、大丈夫なので」

 ハロルはそう言いながら、子どもから少し遠ざかった。触れれば簡単に折れてしまいそうで怖いのだ。

「ほら、ちゃんと謝りなさい!」

「……お兄ちゃん、なんで目、かくしてるの?」

 子どもの表情や興味はコロコロ変わる。先程まで泣いていたはずだが、今はハロルの目に興味があるらしい。

「こら! 本当にすみません!」

「いや、それは別に、いいんですけど……」

 ハロルはどう説明すべきか逡巡していた。おそらく自分が彼にとって初めての目が見えない人になるだろう。何と言えば上手く伝わるか、不安になっていた。

「は、ハロルさん……?」

 助け舟を出そうとしたのか、フィーが声をかけてきた。彼女は子どもが得意で、好きだ。貴族としての務めである慈善活動も貧しい子どもたちへの支援を中心としている。

「ありがとう、でも、自分で言うから」

 ハロルは少し焦りながら、言葉を絞り出していた。

「あのな、俺は目が見えないんだ」

 立っていたハロルはしゃがみ、先程空けたばかりの距離を自ら縮めた。

「見えないの……?」

「あぁ。産まれた時からずっとな」

「まほうは? つかえるの?」

「えっと…………」

 自分は黒魔法が使えるかもしれない、しかもそれが暴発する可能性があって恐れられている、だなんて言えるはずもなかった。

 ハロルほどではなくとも、魔力を持つ盲目の人などいくらでもいるだろう。もし彼がそういった人に出会った時、迷わず手を差し伸べられるような……。

「つらくない?」

「えっ」

 無垢な子どもの声に驚いた。

「ママもパパも、まほうでおせんたくもおりょうりしてるよ」

「心配して、くれてるのか?」

「うん」

 ハロルは一時、ポカンと口を開けたが、すぐに正気を取り戻した。そしてニカッと笑った。

「心配には及ばないぞ! 俺は洗濯も料理もできる」

「そうなの!?」

「あぁ。母さんに教わりながら、たくさん練習してできるようになったんだ。反復すれば、何だってできる」

「はんぷく?」

「あっ、えぇと、何回も同じことをするんだ」

「……お兄ちゃん、がんばったんだね」

 ハロルは突然手に触れた柔らかい感触に驚いた。

 子どもがハロルの杖を持っていない方の手を握ったのだ。子どもに頑張りを認められ、手を握られることに恥じらいはあったが、それでも喜ばしい気持ちが湧いた。

「でもな、どうしてもできないこともあるんだ」

「はんぷく、しても?」

「そうだ。どうにもならないこと……例えば魔法とか……色のことは分からないからな」

 触れさえすれば、分かることはある。しかし、色や明暗はどうしても分からない。平面上で起きていることには入れない。

 目の前にある、逐次変わる子どもの表情は分からない。だが、今優しく触れている、柔らかくて温かい手のひらは確かに分かる。

「だから、困ってそうな人がいたら、今みたいに手を取ってほしい。そうしたら、嬉しい人がたくさんいるからな」

「お兄ちゃんも、嬉しい?」

「あぁ、すごく」

 できるだけ彼と目が合うように、首を前に伸ばして言った。

「わかった!」

「よしっ、良い子だ!」

 ハロルは割れ物を扱うようにそっと、しかし確実に手を握り返した。

「もう……ごめんなさいは?」

 先生の諭すような声に子どもは背筋を伸ばした。

「ぶつかってごめんなさい! あと、ありがと」

「いいよ。こちらこそありがとう」

 とびきりの笑顔で頷いた。不得手だった子どもに良い経験をさせてもらってしまった。黒魔法のことは何も変わっていないのにも関わらず、来た価値があったと感じてしまう。

「お兄ちゃん、お姉ちゃんもバイバイ!」

「本当にすみませんでした」

 先生は最後までペコペコと腰を折りながら、今度はしっかり男の子と手を繋いで歩いて行った。

 彼らの背中を見送った二人はというと、

「フィー! あれで正解だったか!?」

「はいっ! 大正解です」

 ハロルが声を震わせながら、フィーに確認をしていた。

 フィーは胸の前で手を合わせ、ニッコリ笑った。

「良かった……。あー怖かった……」

「怖いのですか?」

「だ、だって! あんなに小さいんだぞ!? 力加減を間違えたら壊しそうだ……」

 ハロルはしゃがんだまま自分の膝に顔を埋めた。恐れを帯びた声だったが、次第に柔らかくなっていった。

「でも、優しかった」

「えぇ。そうですね」

「俺のこと知らない世代も出てきてるんだもんな」

「最近は先天魔法主義の人も増えてますからね」

「先天……? なんだそれ」

 顔を上げ、首を傾げたハロルはフィーに尋ねた。

「産まれた際の適正魔法を伸ばそうとする考えの人たちです。なので、黒魔法のままで育てる方も昔よりは増えていると……ハロルさん?」

 ハロルは話を聞く間、悩ましい顔をしていた。

「フィー、まだ前に子どもたちはいるよな」

「え、えぇ」

 もちろんハロルも足音で分かっているのだが、念の為フィーに確認した後、立ち上がった。その勢いで走り出し、彼らに追いついた。

「先生!」

「はいっ!」

 先生と呼ばれたその人は、驚き振り向いた。

「先生のクラス、何人だ!?」

「さ、三十人くらいですが……」

「その中で黒魔法が適正の人は?」

「この三人です」

 ぶつかってきた子どもも含め、自分の足で歩く三人は黒魔法が得意だったらしい。先生は手で指し示した。しかしハロルは人数だけ聞いて満足したらしく、早々と切り上げた。

「分かった。ありがとう……ございます!」

 思わず外れてしまった敬語を無理に取って付け、来た道を戻った。ハロルは敬語も苦手だ。片言のようになってしまう。

「は、ハロルさん! どうしました?」

「フィー、歴史は得意か?」

「えっと、人並みに……?」

 何の質問なのか分からないフィーは曖昧に答えた。ハロルは気にせずに続ける。

「歴代の王に黒魔法使いのやつはいたか?」

「それは…………いません」

「だよな?」

 歴史が長ったらしくて面倒だと思っているハロルでも薄ら覚えていた。六千年もの歴史、そして多くの記録がありながら、黒魔法が適正で王になった者は誰一人としていない。

「やっぱりだ、おかしい」

「おかしい?」

「三十人中三人だぞ。確かに割合としては少ないが、それでもいる。まして、この国は無駄に長い歴史があるんだ。黒魔法で才能を開花させて、王に登り詰めた人が過去にいたっておかしくはない」

 思い返してみれば、フィーのクラスにも黒魔法が得意な者は何人かいる。決して多くはないが、どの学年になっても数人は黒が適正だ。

「もっと極端に少ないのかと思っていたが、案外いるじゃないか。なのに、どうして……」

「あれっ、でも…………」

 フィーは何かに気がついたが、すぐに口を閉ざした。そして口元に手を寄せ悩み始めた。

「何だ? 少しでも気になることがあるなら言ってくれ」

 ハロルが声をかけると、フィーはおずおずと聞いた。

「お、大人で、黒魔法を使う方、お知り合いにいますか?」

「…………いない」

「やっぱり! 私が知る有名人や先生、親戚にも黒魔法使いはいないんです」

 目を見開き驚愕するフィーはハロルを見やった。ハロルも同じような顔をしながら呟いた。

「子どもにはいて、大人はいない……?」

「そうなりますね……」

「フィーの婚約者……ヘリムは何歳だ?」

「二ヶ月前が誕生日で、二十歳になられて……!」

 フィーは言いながら口を抑えた。

 へリムが仕事に出たのは一か月前。そこから導き出される結論は実に分かりやすい。

「ならそこだ。タイムリミットは二十歳……二十歳以上の黒魔法使いが、消えている」

 自分で言っておきながら、ハロルは背筋が凍った。




 あまりにも大きな事物にしばらく呆然としていると、騒がしく分かりやすい足音が響いた。リベルダだ。

「ハロル、フィー!」

「り、リーベ」

「二人とも、顔色が悪いぞ。もしや……何かあったのか」

「あ、あぁ……来た甲斐があった」

 とにかく情報を交換し、擦り合わせるため、口を開いた。が、

「あの方、リベルダ・アルダム様かしら?」

 甲高い声に遮られた。その声はこちらのことなどお構い無しに騒ぐ。数人の女性らがジロジロと不躾な視線を寄越してくる。身なりは貴族らしいが、リベルダには覚えがないのでこの地の下級貴族だろう。

「まぁ! しかも隣はハロル・ロイツェではありませんの? やっぱりあの噂は本当でしたのね」

「パーティーで大っぴらに連れ歩いたんでしょう?」

「えぇ。言いふらしているようなものですわ。せっかくリベルダ様はお兄様よりも優秀でいらっしゃるのに……まさかお相手が平民だなんて……」

「由緒正しい家系に平民を入れるんですもの。継承順を下げないとアルダム家の品格に関わりますわ」

 普段は気にもならない、軽々言い返せる噂が、ハロルの頭に重くのしかかった。今日はハロルの知らない話ばかり聞かされ、その情報量にグラグラしている。

「おい……何の話だ?」

「む、ハロル、気になるのか?」

 リベルダは何でも無いことのようにとぼけた顔をした。その態度にハロルは思わず声を荒らげる。

「気になるも何も、お前の話だろ! 継承順が下がる、しかも俺のせいで……!?」

「どうした? この程度の噂、いつもなら軽く流すだろう」

「それとこれとは話が違う!」

 ハロルは噛み付きそうな勢いで怒りを顕にした。

 この国は身分差のある婚姻も可能だ。しかし、それに伴う対応は自己責任である。特に爵位継承に関しては、影響を大きく受ける。身分による差別の激しいこの国では、家を潰すことになりかねない。それを留意して婚姻に臨まなければならない。

 継承順は爵位を持つ家長を中心にその家の者が話し合いで決めるので、対応は各家庭によりけりだが、他に兄弟がいる場合はそちらが大いに優位になる。

 貴族界では常識……いや、空気感で分かっていたことだが、平民のハロルに分かるはずもない。初耳なのだ。

「何でお前はそんなに平気そうなんだよ……?」

「別に構わない。ハロルと一緒になるためなら、爵位くらい捨てられる」

「ッ! どうして、そんなことが言えるんだ!」

 当たり前のように言うリベルダの言葉に、ハロルは杖を打ち鳴らした。そして折ってしまいそうな力で握り込む。

 その姿にリベルダは焦った。

「どうしたはこちらのセリフだ。ハロル、落ち着いてくれ」

 今まで何度も怒られたことはあったが、それとは比べものにならないほどの怒りだ。ハロルがここまでイライラしていることに、全く心当たりが無かった。

「……ハロルが、爵位の無い俺を必要としないのか?」

 リベルダは不意に、そう声を出していた。口にした自分にも驚き、そして妙に合点した。

 リベルダの爵位が無くなることでハロルが困ることなど、それしかないだろう。上流階級とのコネクション、経済的安定。リベルダは貴族社会で、そういう目で見られ続けてきた。

 言われたハロルは唖然と口を開けた後、泣きそうな声で叫んだ。

「最悪だ! お前、俺をそんなやつだと思ってたのか!?」

「じゃあ、どうして」

「お前の努力を、俺が無駄にして良い理由があるのか!? 継承権だって、評価だって、全部リーベが手に入れたものだ! それを俺のせいで……」

 悲愴な顔で苦しそうに言った。力を込めすぎたのか、手が震えている。

「まただ、また俺のせいで、俺は…………」

 ハロルはふっと力が抜けたように、クラクラと後ずさった。

 その時、背後から男が歩いて来た。不安定に歩くハロルとぶつかるかと思ったが、そうはならない。そのまま通り過ぎる……ように見えた。

 目立たないということは、いつも通りにすること。下手に息を潜めるのではなく、堂々と歩くこと。リベルダはハロルにそう教わったことを思い出す。

 だがリベルダ思い出すよりも先に、その男がハロルを抱える方が早かった。

「ハロル!」

「なっ、誰だ! んぐっ……」

 ハロルは抱えられたまま口を塞がれ、物凄い速さで止めてあった馬車へと連れて行かれる。リベルダも迷わず追うが、それより早くその男はハロルを馬車へ投げ込んだ。その男も乗り込み、すぐさま馬車が動き出す。それは訓練された完璧な連携であった。

 リベルダはそれに負けず劣らず振り返り、驚いて突っ立ってしまったフィーを呼んだ。

「フィー! 警察を……とにかく大人を呼んでくれ!」

「はいっ! ですがリベルダ様は?」

「俺はあの馬車を追う!」

 リベルダは瞬く間に走り去った。




 とにかくがむしゃらに走ったは良いものの、やはり馬車に人の足が追い付くことはない。南の方へ向かっていることは分かったが、何度か角を曲がり、振り切られてしまった。

 とりあえずフィーと合流すべきか、地道にこの辺りを探してみるか、一人で悩みながら大股で歩いていた。

 すると、意外な人物と顔を合わせる。此方に気づいたその人は、走ってやって来た。

「あなたは……」

「っ! 君、ハロルは! ハロルを知らないか!?」

 ガッと肩を掴まれた。その人物はモルガン・カーグ、ハロルの師匠である。

 誘拐を目の前で見たリベルダはまだしも、何故モルガンがここまで慌てているのだろうか。先程起きた事件の情報がすぐに流れたとは思えない。そもそも、どうしてモルガンがこの街にいるのか。

 だがそれよりも今は、ハロルがいない、という共通の目的があった。

「ハロルは……誘拐されました」

「まさか、もう……!?」

「もう? 何の話ですか」

「あっ、いいや、違う……それより、ハロルの居場所の目星は?」

 明らかにモルガンは何かを隠した風だが、後回しになっていく。

「おそらく南に……」

「……そうか。そこなら、僕が分かるよ」

「分かる……?」

「あぁ。後で全て話すよ。だから今は…………」

 前に会った時とは大違いだ。大人の余裕か、腹黒な性格か、どちらにせよ軽々とリベルダをあしらうモルガンの姿は無かった。モルガンはしおらしく、俯きがちに目を伏せる。

「…………分かりました。後で、ハロルも交えて話してください」

 モルガンは重々しく頷いた。


 辻馬車に乗り、モルガンは適宜道順を教える。何処かの森に入ったところで、「このまま真っ直ぐ」と言った。

「モルガンさん」

 返事が無い。馬車に乗ってからというもの、モルガンは必要最低限の会話しかしていない。それ以外は黙り込んで、不安を募らせていた。

 リベルダはこの調子では話にならないと、思考に耽ることにした。

 ハロルが言っていた「俺のせいで」、「また」という言葉。過去に何かあったことは明白だろう。ハロルは誰かに迷惑をかけたのだろうか。まず過去なのか……? 今現在も継続している可能性も…………。

 そう思って気がついた。ハロルは「ハロルのため」という言葉に反応している。リベルダが口にするよりも以前に、そう言った人がいる。モルガン・カーグ、その人だ。

「……ハロルがうわ言みたいに言っていました。『俺のせいで』って。それは、あなたにも原因があるんじゃないですか?」

 鋭く切り込んで見ると、その視線の先に俯いたモルガンがいる。指先がカタカタと震えているように見えたが、馬車が揺れているからということにしておいた。

 普段ならいけすかない調子で返すだろうが、何一つ応じることなく、顔を青くしていた。

 そんなモルガンの姿に加害意識を持たされたリベルダは、やりにくそうに言った。

「今回は……俺の不注意が原因ですから、俺には何も言う資格はありませんが」

 森の中なので、木ばかりで代わり映えのしない窓の外を見つめ、馬車が停まるのを待った。

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