4.具体的存在

「パーティー? 俺が?」

 ハロルは自分を指さしながら、キョトンとした顔で言った。

「あぁ。学内で行われる模擬舞踏会だ」

 学内舞踏会は定期的に催される。学園内には元々ダンスホールが設けてあり、学生らの交流を行っている。学生と言えども大事な人脈である。爵位と魔法が十分に備わっている者はそれほどいないので、狭い世界だ。そのまま持ち上がりで同僚になる場合もある。なかなか侮れない行事だ。

 しかし、社交界デビューを済ませた者ばかりでどの生徒も慣れているので、特に焦る訳ではない。

「ハロルもこの学園の生徒なのだから、構わないだろう」

「そりゃそうだが……」

「ひいてはハロル、ダンスはできるか?」

「練習すればできると思う」

「なら決まりだ。俺と出よう」

「は!? お前と!?」

「他に誰がいる?」

 当然の如く言った。そもそもリベルダは当然の如く授業後に会いに来た。モルガンと会って以降、帰り道も現われ、送るようになった。カリレと三人で賑やかに帰っている。

 ちなみに今、カリレは現校舎に資料を届けに行っている。なので二人は岩に腰掛けて話していた。旧校舎前で話す際の定位置である。昔の生徒が使っていただろう平たい岩があるのだ。円形で、一周ぐるっと座れば六、七人程の大きさだろう。残念ながらそんな人数は来ないので、並んで駄弁っていることが多い。

「俺もお前も有名人なの! 色々とまずいだろ!?」

 ただでさえ最近は長く一緒にいるのにも関わらず、人の多いパーティーに出席してしまえば、堂々公表するようなものだ。目立つことは間違いない。

「何故だ? 見せびらかしてやればいい」

「見せび……! い、一応、学園から目立つなって言われてるんだよ。自分で言うのも何だが、危険なんだ」

「危険?」

「不確定要素が多すぎる。学園側が俺の扱いを面倒だと思ってるんだ。だから別の学校で働いてた俺の親戚のカリレおじさんを雇ったし、旧校舎を使ってる。名目上所属しているが、本当はいないことにしたいんだよ」

 身内で固め、内密に。学園側はとにかく隠したがった。管理下には置きたいが、面倒事は避ける。学園の名誉と他の生徒のためにもそれが最善だった。

 ハロルの方もあまり大っぴらにされるのは嫌だったのでそれを受け入れた。制約はあるにはあるが、近所の住民だけの世界には慣れていたので、特に不自由は感じなかった。

 もちろんその予定にリベルダはいない。彼のような絵に描いた有名人と関わるなんて想定はさらさら無いのだ。

「そう思わせたままで良いのか?」

「え」

「確証の無いものを受け入れるなど、らしくないぞ」

「それは、そうだが……。また家族に迷惑かけるのは嫌だ…………」

 ハロルが指す家族には、母のミラルや伯父のカリレはもちろん、モルガンや地域の人も含まれる。たくさん可愛がって、守ってくれた彼らを困らせるのはもう懲り懲りだった。

「ハロルは優しいな」

「…………当然のことを言ってるだけだ」

「いいや、優しい。ですよね、先生」

 リベルダの声の向かう方角が変わった。ハロルは驚いて小さく息を漏らした。

 彼が先生と呼び、ここに来る教師など、一人だけだろう。

「ハロル!」

 いつの間にか、カリレが帰って来ていた。

「いつから……」

「ついさっきだよ。それよりハロル、そんなこと気にしてたのか」

 カリレは考える素振りを見せる。しばらくした後、顔を上げた。

「確かに目立つとは思うが……行っても良いよ。俺が許可するし、そもそもお前が行きたいって言うなら俺の許可なんて要らないよ」

「でも、困るのは先生だろ、絶対学園から何か言われる」

 ハロルは珍しく自分から先生と呼んだ。教師としての立場のカリレを心配したのだ。

「いいんだよ。もう一人で何かを選ぶ歳だ。人の庇護下にある内にたくさん選択して、それで失敗したら大人が責任をとる。家族として当たり前だよ」

 ハロルはギュッと唇を引き結んだ。父親には捨てられてしまったが、今の家族はこれほどまでに暖かい。

「……というか、そんなに難しいこと考えてたのかよー! 俺の面子立たないだろ? 子どもなんだから甘えてくれよ、俺はわがまま大歓迎だ」

 先程までの真剣さとは打って変わって、おちゃらけた口調で言った。カリレはハロルの頭をガシガシと揺れるほど撫で、ニカッと笑う。血筋なのだろうか、ハロルと同じ幼い笑顔だ。

「ハロルが行きたいなら行って来い、な?」

「そ、そうだな、まだ行くとは決まってない」

 照れ隠しで先走り、行くと返事をしまいそうだったが、まだリベルダの用件が伝わり切っていない。聞かなければならないことが様々ある。

「リーベ、どうして俺を誘ったんだ?」

「パートナーはお前が良いと思って」

「そういうのじゃなくて」

「そういうのだ。俺のパートナーと呼ばれるものならハロルが良い」

「あー、この、コイツ話通じねぇのかよ……じゃあ、出席する理由は? 強制参加でもないだろ」

 学内舞踏会は自由参加だ。出なくても問題は無い。しかし、情報網もなかなか有益だ。ごくたまにいるとてつもない人嫌いや実力のみで生計が立てられる家系、職種以外はほぼ全員参加である。

「少し気になる話を耳にした。そうだな……お前にも関わる話だろう」

「……どんな?」

「黒魔法の話だ。噂はもちろん信じていないが、火のないところに煙は立たないからな。多少なりとも根拠があるのだろう。その情報収集だ」

「へぇ、それは確かに行く価値がある」

「待て、アルダムくん」

 カリレが話を遮った。

「俺もモルガンから聞いた。おそらく同じ噂だ。まだ分からないことが多いが、危険な状態らしい。さっきああ言った手前、パーティーの参加は止めないが……あまり首は突っ込むな」

「おい、俺だけ状況が分かってない。どんな内容なんだ?」

 リベルダとカリレは一度目を合わせて、気まずそうな顔をした後、リベルダが口を開いた。

「黒魔法の悪用……そして人身売買だ」




「流石はハロルだ。筋が良い」

 ゆるり、くるりと身体を回しながら、二人は踊る。丈の長い制服のコートが翻った。

 黒魔法の話は現時点では情報不足で埒が明かないので、やめになった。二人の情報を擦り合わせたものの、やはり同じ内容しか出回っていない。結局はこれから調べていくしかないのだ。

 なので、とにかくできることからやろうとダンスの練習が始まった。リードは経験者のリベルダになり、ハロルはそれに合わせてサポートをする。

「これ、合ってんの?」

「あぁ。とても踊りやすい。本当に初心者なのか?」

「そりゃどうも」

 パーティーで流れるような音楽はゆったりとしていてそこまで機敏さは要求されないが、遊んでみたくなったのか、リベルダはテンポを早めた。

「うおっ」

「ハロルは身体が柔らかいな」

 ハロルはリベルダの誘導により、背中を大きく反らして上を向かされた。背中をを支えるリベルダはハロルの顔を覗き込み、満足そうな顔をする。

「それは……たぶん師匠のせいだよ。身体のありとあらゆるところを柔らかくさせられた」

 幸せそうに踊っていたリベルダがムッとした。他の……しかもあのいけ好かない彼の名前を出すのはいただけない。

 ハロルを起き上がらせると、そのまま勢いをつけてぐるりと回り顔を近づけた。

「俺以外考えるな、踊っている相手に集中しろ」

 声は低く耳元に届く。リベルダはなかなかに良い声をしている。それも彼の人気の一つであるし、そこから繰り出される自信に溢れた言葉も魅力だ。

 しかしハロルは慣れている。そもそも自分からその話を振ったのだから、ハロルが怒られる筋合いはない。

「お前が言ったんだろ……」

「それでもだ。俺は今ハロルのことしか考えていない」

「へ」

「ハロルの首筋が綺麗だとか、手が小さくて可愛いだとか、そんなことばかり考えているぞ」

 慣れている、はずなのだが。

 今までは一度もときめいたことがないが、最近不意に響くことがある。顔が熱くて仕方ない時が、ある。

 顔を赤くしたハロルを見て、リベルダは満悦して続ける。

「お、ハロルはこういう言葉がお望みか」

「なっ、違う!」

「お前だけだ、ハロル。愛しているよ」

 わざと吐息混じりに耳元で囁くと、ガッと顔を遠ざけられた。本来ならば身体も離れたいのだろうが、ダンスの練習のためそれはできない。

「最っ悪! なんなのお前!」

「照れるな、これからたくさん言うのだから……あぁ、もちろん照れた顔も可愛いが?」

「そういう話じゃ! ない!」

 振り払おうと腕を振るが、全く離れる気配はない。

 そもそもハロルは筋力がないのだ。力の入れ方や入れる場所が的確なので十分強いが、筋力勝負だと簡単に負けてしまう。身体だけであればひ弱な部類だ。

「ハロルは指が細くて美しいな。ずっと握っていたくなる」

「ずっとはやめろ! 休憩! 離せ!」

「休憩か? じゃあ手は繋いでいよう」

「なんなんだよー!」

 片手は離され自由になったが、もう片方の手はしっかりと握られている。体格差も相当なので、ハロルの手は簡単にリベルダのそれに収まった。

 ちなみに、ハロルには知ったことの無い話だが、リベルダは輝かしい笑顔でハロルを見ている。とにかく楽しい、という顔だ。からかっている自覚も、少し嫌がられている自覚もあるにはあるのだが、ハロルなら自由になった片手だけでリベルダから逃れることもできるはずだ。なのにそれをしないあたり、本気で離れたい訳ではないだろう。

 それに、ハロルを見ている限り、身体的接触が好きなようでもあった。家族と近い距離で過ごしてきたことが原因なのか、手を繋ぐことにも触れられることにも抵抗が無い。何より頭を撫でられることが好きそうに見えた。

 リベルダもあの短い髪を撫で回したいと何度か思ったが、それはなんとなくできないままでいた。




 その後も何日か練習を重ね、ハロルはみるみる上達していった。元々しなやかさや体幹が優れていたこともあり、大会に出られるのでは、とすら思うレベルだ。

 そしていよいよ、本番の日が来た。リベルダに攫われたハロルは屋敷に連れて行かれ、突如衣装を合わせられる。そして使用人の力により手早く整えられたと思えば、すぐさま会場へと連れ去られる。目まぐるしい速さで全てが終わり、同時に別室にてリベルダも準備をしていたため、話す暇も無かった。

 やっと落ち着いて顔を合わせた二人は、学園前の馬車渋滞に巻き込まれている。一応舞踏会と名の付くもなので、この日限りは馬車で来なければならない。馬車のランクを見て判断できることも多いので、それの練習を兼ねている。

 普段の登校は毎日こんな馬車渋滞に遭っていては面倒だと馬車を使わない者と、貴族としての矜恃を守りたい見栄っ張りや、単純に距離が遠いため馬車を使う者が半々くらいで、今日ほど混むこともない。

「で、この衣装どうしたんだ」

「注文した」

「は?」

「特注だ。サイズは合っているか」

「……ぴったりだよ…………」

 どうしてぴったりなのか、という言葉を飲み込んだ。

 ハロルが纏っているのは濃紺のイブニングコートだ。ネクタイとポケットチーフは派手になりすぎない黄色で、リベルダがハロルをイメージして選んだ色だった。彼とは程遠い光の色でありながら、彼の素直さは間違いなく黄色だろう。また、目隠しに金の刺繍が入っていることも鑑みた結果だ。

 濃紺はリベルダの髪の色な訳で、明らかに二人の色を合わせてあるが、ハロルには気づかれるはずもない。

 リベルダもハロルと色を揃えたスーツを着ていて、パートナーであることは一目瞭然だった。ここまで統一させるあたり、まるで婚約者のようだが、学内で収まるものなので良しとした。

「ならプレゼントだ」

「えっ、要らない」

「これからも俺の隣に並ぶんだ、持っておけ」

「えぇ……」

 困った顔で置き場所の心配をし始めた。並び立つことに疑問は無いらしい。

 それに気がついたリベルダが、上がる口角を抑えながら言った。やっと会場に入れるらしい。

「ほら、行くぞ」

 ハロルは微妙な顔をしながら立ち上がった。そしてリベルダに手を取られる。

 今日、杖を持ってきていない……というか、持ってきたはずなのだが、服を着せられた際に置いて行くことになった。リベルダの「完璧にエスコートしてやる」という言葉の元、常にハロルを隣に据える予定だ。ハロルは拒絶したが、リベルダはもちろん聞き入れず、しかも「カリレからハロルを頼まれているから」という魔法の言葉を使い、受け入れさせた。


「とにかく、情報収集からだな」

 会場に入った二人は辺りを見回し、空気を掴む。

 雰囲気というものは、案外馬鹿にできない。何か大きな事件の後は空気が張り詰め、明るい時勢の際はほんの小さな種でも色めきたつ。娯楽と情報に飢えた紳士淑女はとことん場に敏感だ。

 今は後者だろう。まして、小さな種……いやハロルがリベルダと参加する、という大きな種があるので、会場はその話題で持ち切りだった。先程からチラチラと耳に入っている。

「俺居ない方が良くないか……?」

 まだ確証の少ない黒魔法のことよりも、学園の王子的存在の天才が盲目の魔力大量保持者をエスコートしているという方が余程ビッグニュースだ。二人の関係は何なのか、そもそもハロルはこの学園の生徒だったのかと、疑問は尽きない。

「何故だ」

「いや……なんか俺の話ばっかになってるし」

「好都合だろう。ハロルが居れば黒魔法の話も出る。俺一人が突然話題に挙げるよりも自然だ」

「……そうか……?」

 言いくるめられたような気はするが、とりあえず置いておいた。

「ごきげんよう。リベルダ様」

 しばらくすると、令嬢のグループが歩いて来た。集団の力は偉大だ。一人では想像もできなかったことを可能にする。

「そちらの方はまさか……」

「あぁ、お察しの通り、ハロル・ロイツェだよ」

 リベルダの声に会場がざわめいた。疑念が確信に変わったのだ。

「まぁ! こちらの生徒でしたの?」

「そういうことになるな」

「どうしてリベルダ様と……?」

 一方的に質問攻めをするなど決して褒められたことではないが、聞づらいことを代表して言いに来た形なのか、誰も咎める人はいなかった。とにかくこの会場の皆が、二人に興味津々だ。

「たまたま関わることがあって、意気投合したんだ」

 あながち嘘は言っていない。ぼかして伝えることにしたようだ。

「お二人はお友だち……ですの?」

「…………さぁ?」

 含みを持たせたリベルダの足をハロルは渾身の力で踏んだ。さらに事がややこしくなる気がするので、今のこの求愛関係の話はしないでほしい。

 リベルダは痛みを堪えながら、変わらない笑みをしていた。

 すると、足元など気にしていない令嬢たちがヒソヒソと話し出す。

「リベルダ様、こう言っては失礼ですが……」

 失礼だと分かっているなら止めてもらいたいところだが、次に来る言葉など容易に想像がつく。どうやら正義の味方気取りらしい。未知の存在はいつだって、悪役になってしまうのだ。

「この方と関わるのは危険です。良くない噂もありますし……リベルダ様の名に傷が付いてしまいますわ」

 ハロルはピクリと眉を動かした。会場に入ってからずっと、香水の匂いとキンキンした人の声に酔いかけていたが、それが強まった。気分が悪い。

 それに気づかないリベルダは続ける。

「……どうしてそう思う?」

「何が起こるか分かりませんもの! 黒魔法は特に危険ですわ!」

 分からないは、恐怖。人は知らないことを恐れる。仕組みを知れば案外簡単なものも、触れなければ理解の及ばない凶器になる。

「それならば問題無い」

 しかしながら、そんなことはリベルダに通用しない。この二人の関係は、そもそもそういうところから始まったのだ。未知の領域上等、箱の中身は躊躇せず掴む。

「ハロルのことは、隅々まで分かるからな」

「はぁ!?」

 今まで黙って聞いていたハロルが思わず声を上げた。が、しかし、リベルダの人差し指で口を塞がれる。

「待っていろ」

 この会場の誰もが見たことの無い、だがハロルは向けられ慣れた優しい笑顔で言った。あまりにも甘い、柔らかい声色だ。

 リベルダはすぐに顔を切り替えて令嬢らを見る。

「で、他に疑問はあるか? 一応、心配してくれたのだろう?」

 いちおう、と強調しながら言った。先程の顔との温度差は計り知れない。美しい顔は、凍ると恐ろしく冷たい。

「い、いいえ……何も…………」

 最初の威勢は何処へやら。令嬢の集団は言い淀みながら、パタパタと走り去って行った。

 足音を聞いたハロルはすぐさま脇腹に一発入れる。

「いっ……」

 今日は珍しいリベルダが見れると、周囲の人々は思っていた。彼が痛がっているところなど見たことが無い。

 脇腹を抑えたリベルダは、不敵に笑う。

「照れているのか?」

「違う! 適当言うな!」

「はは、すまない」

 怒りを露わにするハロルに、流石のリベルダも謝った。

「社交界なんてこんなものだ。少し大袈裟なくらいがちょうど良いだろう」

「だからって……!」

「何もせずとも噂は大きくなるものだ」

「その元を大きくしてどうすんだ……」

 呆れたのか、ハロルは脱力してしまった。

 と、同時に先程までの気分の悪さが消えていたことに気がついた。声を出したのが良かったのか、怒りでかき消されたのか。まるで魔法でも使ったように、治ってしまった。

「あっ、あの!」

 ふと、後ろから鈴のような可愛らしい声がした。振り向くと、その声の似合う小柄な女性が立っている。銀の長髪は彼女の動きに合わせてふわりと揺れる。

「黒魔法のこと、何かご存知でしょうか!?」

 彼女は首を痛めそうになりながら、背の高いリベルダを見つめた。そしてハッと気が付き、淑女らしくドレスの裾を摘んだ。淡いミントグリーンのドレスだ。

「あぁ、いけない! わたくし、ヨークト伯爵家長女のフィーと申します!」

 伯爵家と聞いて驚いた。なんともらしくない容貌の少女である。この落ち着きのなさで家長は務まるのか。

 まだ年端もいかない少女が一人というのも不思議だ。家族や婚約者と共に来るのが一般的だろう。学内舞踏会は基本的に学内の者しか入れないが、パートナーであれば同行できる。なのにどうして彼女しかいないのか。

「わたくしの婚約者様……あっ、えぇと、黒魔法が得意なのですが、その彼が行方不明なんです!」

 震えながらも勇気を振り絞って言った。その言葉に二人は息を呑む。

「リーベ」

「……あぁ、お待ちかねの情報だ」




 メインホールでは人が多すぎるため、バルコニーに出た。一対一だとよからぬ噂も立つが、三人なので大丈夫だろう。

「それで、えぇと」

 ハロルは珍しく言葉に詰まった。フィーを何と呼ぶべきか迷ったのだ。貴族社会の呼び方など知らない。

 ちなみにリベルダも侯爵家であり、本来は迷うべきところなのだが、彼のことは容赦なく呼び捨てにした。

「フィーで良いですよ。わたくし、お二人の一つ下の学年ですから」

「なら遠慮なく。知ってるとは思うが……俺はハロル・ロイツェだ。よろしくな、フィー」

「む、確かに名乗らないのは失礼だな。リベルダ・アルダムだ」

「は、はい! ご丁寧にありがとうございます」

 小さい体をさらに小さくしながら言った。

「さっきの話……順番に詳しく教えてくれ」

「分かりました」

 フィーはこくりと頷いた。

 彼女が語ったのはこうだ。彼女の婚約者、子爵家長子、ヘリム・ケイルの行方が知れないらしい。ひと月程前に仕事が入ったのでしばらく会えない、という手紙を受け取って以降、音信不通になっている。しばらくと言われている手前、一ヶ月でもおかしくはないのだが、違和感がいくつかあるという。

 普段は大体の行先を教えてくれるが、今回は突然のことで、何も言われていないこと。長期の仕事の際は必ず定期的に手紙をくれたが、全く無いこと。

 もしフィーに書きたくなかったとしても、家族には書くだろう。だが、何処にも彼の現状を知る人はいない。

 子爵家にヘリムの名義でお金が入り続けているのも不思議だ。家にお金を送る時は、同時に手紙も付けるようにしていた。それも無いのだ。

 筆まめで誠実なヘリムに限ってこれはおかしいと、本当に心配そうな顔をしてフィーは伝えた。

「……証拠が弱いな」

 ハロルは正直に言った。それも仕方のない話だ。ヘリムには会ったこともなければ、フィーも今さっき会ったばかりで、信用に値するかは微妙なところである。フィーの純新無垢な姿を無理に疑ってかかろうとは思っていないが、情報提供という点では難しいところがある。

「そうですよね……」

「でも、それならどうして黒魔法のことを聞いたんだ?」

「最後に会った時に言っていたんです、『黒魔法を社会のために使える仕事だ』って」

「黒魔法を使った仕事……?」

「えぇ。『人から怖がられてばかりの魔法だけど、やっと役に立てる』と、喜んでいて……」

 黒魔法は研究もあまりされておらず、使える者も少ない。未知数の力だ。しかもそれが物を消す力ともなれば、恐れるのも無理はない。

 適正が黒だった者は幼少期の内に親から矯正を受け、黒以外の魔法を学ぶことが多い。左利きの人が右利きにされるようなものだろう。もちろん生まれたまま、という家庭もある。ヘリムは後者だ。

 ハロルは訝しみながら言った。

「それは怪しいな……」

「フィーは黒魔法の噂を聞いたことがあるか?」

 リベルダが聞いた。

「それはその……人身売買の話でしょうか……?」

「そうだ。やはり知っているか」

 今現在、黒魔法について調べれば付随して出てくる事柄なのだろう。フィーもリベルダたちと同じ情報を持っていた。

 しかし、当事者ともなれば、不安は募るだろう。フィーの顔色はどんどん悪くなっていた。

「ヘリム様……」

 ドレスのスカート部分をギュッと握った。他人から言われると堪えることもあるだろう。

 すると、俯いたフィーの顎をリベルダが持ち上げた。

「下を向くな」

 婚約者にもう二度と会えないかもしれないフィーにとっては酷な言葉だが、それでもリベルダは続ける。

「下には何も無い。前だけ向いていろ。フィーの気概は悪くない」

 フィーは人のことをよく見ているのだろう。分かりやすい説明と緻密な情報は、少ないながらも明確であった。

「気に入ったぞ。君の勇気は敬意に値する」

 気弱な態度ではあったが、本日の主役と言っても過言ではない二人に話しかけ、相談できるのは相当な行動力だろう。婚約者への愛のなせる技だ。彼女はそこまで弱い人間ではないと、本能的に理解した。

 リベルダは驚いた顔のフィーを離しながら、ハロルの方へ向いた。

「協力しよう。なぁ、ハロル?」

「良いけど……フィー、構わないか? 俺ら、隠密行動には向かないが」

「そっ、そんな! 協力していただけるなんて! 本当にありがとうございます、とっても心強いです!」

 キラキラと瞳を輝かせたフィーは、早速予定を考え始めた。ヘリムからの領収書の消印に書いてある地名付近に足を運ぶつもりだったらしい。二人もその手助けをすることになった。聞き込みや周辺調査だ。地道だが、やらないよりマシだろう。

 その後はトントン拍子で話が進み、予定が組まれていった。行先の決まらなかった漠然とした話が具体化されている。それがどういった方向へと続くのかは、まだ分からない。




 フィーと話し込んだため、気づけばパーティーも終盤の時間になっていた。フィーは馬車の帰宅渋滞に巻き込まれる前に帰ると、会場を後にした。

 二人はというと、練習したダンスを披露しない手は無いと、ダンスフロアへ向かった。

 丁度曲が切り替わるタイミングのようで、上手く入り込めそうだ。

「そういえば、結局うやむやになっていたな……」

 リベルダは右手を差し出した後にふと気づき、空いた左手でハロルの手を掴み、自らの右手に軽く乗せた。

「俺と踊っていただけますか? ハニー…………いやハロルはチェリーパイだな」

 ただ甘いだけの蜂蜜や砂糖より、酸味のある香ばしいチェリーパイの方が、ハロルに合っている。そう思ったリベルダは微笑みながらそう言った。

 怒られる可能性も考えていたが、ハロルは解けた表情をしていた。

「はは、なんだそれ」

 半分呆れ、半分楽しそうな顔で笑った。

「そっちの方がしっくりくる」

「そうかよ。……俺で良ければ喜んで、ダーリン」

 ハロルは手を握り返した。

 パーティーで流れる華やかな音楽に合わせ、緩やかに歩みを進める。せっかく来たならば、端よりも真ん中で堂々と踊ってみせるのが二人らしい。人々の視線を一身に受けながら、しっかりと構えた。

「見せつけてやろう、ハロル」

「まぁ、ここまで来たらな」

 踏み出す足は、ピタリと揃った。




「っあー! 楽しかった!」

 案の定込み合った馬車に辟易し、馬車だけ別で帰らせた二人はどちらからともなく旧校舎に向かっていた。杖も無いので手を引いて、笑って話をしながらだ。

 時間もあまり無いので二曲で止めたが、それでも会場を沸かせるには十分だった。その短い時間は二人にとって尊い時間で、周囲にとっては驚愕と歓喜をもたらした。

「音がよく聴こえた、全部こっちに向いてたぜ? すごい……!」

「あぁ、全員こちらを見て口を開けていたぞ」

「だからか……! 全部、俺ら二人のものだ」

 忙しなく歩くハロルは子どものようにはしゃいでいた。それを長い脚で軽々追いつくリベルダも、心做しか頬が赤い。ダンスと歓声で火照った身体が治まらないのだ。

「……ハロルは可愛いな」

「ま、またかよ…………あ」

「どうした? ハロル」

「いや、座ろう、とりあえず」

 気づけばいつもの旧校舎前の開けた場所に辿り着いていた。座る、というのは平たい岩のことだろう。そこまでエスコートすると、ハロルは感謝の言葉を述べ、腰を下ろした。リベルダもそれに続く。

 すると、ハロルは不思議な言葉を口にした。

「フィーも、可愛かったよな?」

「何故そんな話に」

「俺より小さかったし……穏やかそうだし?」

 柔和そうな笑みはハロルにも伝わっていたらしい。だがしかし、リベルダにはそれをハロルが気にする理由が甚だ分からなかった。そう言うと、ハロルからまた疑問が出た。

「そ、それでも俺が可愛いのか?」

「あぁ。もちろん、ハロルが一番可愛い」

「ほぉー…………」

 含みを持たせたハロルは口を閉ざした。何も言うつもりはないらしい。

「じゃあ、俺の何処が好きなんだ……って、なんか恥ずかしいこと聞いてんな……」

 ハロルは頭を搔いた。

「ハロルの好きなところか……いくらでもあるな。だが強いて言うなら……在り来りだが優しいところだな」

「優しい……? 俺が?」

 可愛いと言われた時よりもピンと来ていない顔をした。

 ハロルは他人から優しいと言われたことはほぼ無い。性格が良いとは手放しに言えない人間である。身内から言われたことはあるが、どれもしっくりこなかった。リベルダからもそうだ。

「俺の感覚では少なくとも、だな。俺と琴線が似ている、善悪の区別が近いんだ。だから居心地が良い」

 予想外の理知的な理由に感心した。一目惚れだのなんだの言った割に、お互いに同じようなところを好ましく思っていたらしい。それが色恋沙汰にまで踏み込めるかは置いておいて、だが。

 それに少し嬉しくなったハロルは、気づかれないようにあえて素っ気なく返事をした。

「そうか」

「境遇は全く違うが、不思議と話が弾む」

「…………貴族にはもっと嫌な奴しかいないと思ってたよ」

「それも無理はないな。この国は何百年も平和だから、争いに飢えてるんだ。でも大きなことをする勇気は無いから、自分より身分の低い人を貶める。……決して人を犠牲にしていい理由にはならないが」

 リベルダは冷えた声を出した。

「その通りだ。にしても、なんでリーベはそう考えられるんだ? 裕福な暮らししてるなら気づかないだろ」

 幼い頃から貴族としての教育を受けたならば、ごく一部ではあるが、平民を虐げるのも当然と思う者もいるのだ。

 それでもリベルダは完全な実力主義。そして貴族らしからぬ言動も多い。

「あぁ……両親と兄のせいかな……」

「兄?」

「歳の近い兄がいるんだ。一つしか変わらないから双子みたいに育てられてな。顔も能力もそっくりで、しかも両親は爵位継承権をどちらにするかはっきりさせない。俺と兄をとにかく競わせて、自らの手で自分は秀でていると証明してほしいと……」

「す、すごい親御さんだな」

「まったくだな……しかし、尊敬できる両親だ」

「まぁ、リーベの両親って感じだな」

 二人とも軽い口調で話をする。あまり重苦しい雰囲気にならなかったのは、偏に二人の呼吸が合っているからだ。それくらい、長い時間を共にしてしまったらしい。

「俺としても有難い。年齢だけで決められては勝ち目が無かった。挑戦する権利を得たんだ。それと同じだろう?」

「同じ……あぁ、確かに」

 職業選択の自由も謳われているが、実際は機会を得られない人も多い。それは貴族にも平民にも起こり得る。長閑な田舎生活を望む貴族も、豪勢な社交界を望む平民も居るのだ。

 リベルダの場合は継承権だった、というだけだ。

「ハロルもそうじゃないのか?」

「えっ、俺?」

「ハロルはもっと、色々なことをしたいのだろう?」

 それを聞いたハロルは、ポカンと口を開けた。検討外れだったからではない。図星だからだ。

 どれだけ望んでも魔力は無くならない。目が見えないことよりも、そちらが嫌だった。この膨大な魔力が無ければ、どれだけ自分は……いいや、自分の周りの人は楽だったろうか。自分はどうしてこんなに人に手をかけさせてしまうのか。

 今まで生きてきた中で、挑戦したいことはいくらでもあった。だが、人の手を煩わせることを避けた。何をするにも、他人より時間がかかるからだ。

 考えても考えても、全て仕方の無いことで、気づけば考えることをやめていた。それでもリベルダは簡単に、軽い口調のまま、言ってのけた。

「は……あぁ…………」

 ハロルは変に息が漏れた。返事をしながら頷き、下を向いた勢いで蹲ってしまう。

 リベルダはそんな彼を覗き込む。

「ハロル? 大丈夫か?」

「……す…………」

「す?」

「…………すきだ………………」

「え」

「っあぁ! もう!」

 心配なので背中を摩ろうと手を伸ばしていたリベルダだが、それは叶わないままハロルが立ち上がる。そして逃げるように弁明を叫んだ。

「絶対、絶対!! 好きにならないつもりだったのに! 最悪だ!」

「は、ハロル……?」

「なんでお前はっ……こんなに……うわぁぁー!」

「とりあえず落ち着いてくれ、ハロル」

「落ち着いてられるか!? リーベを好きだって気づいたのに!?」

 褒められているとしか思えない言葉ばかりだが、ハロルは留まることなく続ける。

「リーベのこと考えないようにしてたのに! 忘れたくても飽きずに毎日来るし、好きなところは増えるし!」

 ハロルは子どもが駄々をこねるように騒いでいた。面白くなってきたリベルダは口元で軽く笑いながらハロルを見つめていた。

「なら問題ないだろう」

 リベルダも立ち上がり、ハロルを諌めるため、そして素直な喜びに従順に背中から抱きしめた。

「大あり、だ……よ…………」

 優しく包み込まれてしまったハロルは、段々と縮こまり大人しくなる。

 リベルダはハロルの耳元で囁いた。

「例えば?」

「き……貴族となんて良いことないだろ……」

「俺とハロルなら大丈夫だ。常識などいくらでも跳ね返せる」

「俺は……目が見えない」

「今更それに何の心配がある? 出会ってからこれまで、ずっとそうだ。そんなハロルを好きになったんだぞ?」

「だっ、大体お前みたいな…………」

「俺みたいな?」

「お前みたいな、鬱陶しくて、話通じなくて、面倒なやつ、嫌いだ……」

「そ、そうか…………」

 抱きしめていた腕が弱まった。そしてリベルダは捨てられた子犬のような瞳をする。その瞳はハロルには分からないが、声色で伝わっているようだ。

 上手く言葉が出ない自分にも、分かってくれないリベルダにもむしゃくしゃしながら、ハロルは懸命に言葉を紡いだ。

 緩くなった腕を利用して、ハロルは振り向き正面からリベルダの胴体に抱きついた。

「で、でもっ! いつも堂々として、いっぱい俺の話を聞いてくれるリーベは、好き、だ……」

 ハロルは顔を真っ赤にしながら、それが見えないようにリベルダの胸に埋めた。リベルダの厚みのある胸板は、緊張と安心が共に襲ってくるものだった。

「ハロル……!」

 パァッと顔を輝かせ、リベルダは抱きしめる腕を強め、そのまま持ち上げた。

「うわっ!?」

「ハロル! 本当だな!?」

 軽々とハロルを抱えたリベルダは、喜びを体現するように回った。ハロルは完全に足が浮いていて、冷や汗をかいていた。

「リーベ! 下ろしてくれ、危ないから!」

 足裏からの感覚も大切な情報なので、足が地面に着いていないことは不安を煽った。抱きしめた時のまま持ち上げられたのでバランスが悪く、どこに力を入れて良いかも分からない。腕ごと抱き締められており、抵抗もできなかった。

「ならばこうしよう」

 一度足が地面に触れたかと思いきや、腕をリベルダの首元に移動させられ、またふわりと浮かんだ。背中と膝裏でしっかりと抱えられる。所謂お姫様抱っこ、というやつだ。

「なっ、これも違うだろ!?」

「離れたくないんだ。少しだけ、良いだろう?」

「良くなっ……」

 嫌い、という言葉をそのまま受け取ってしまうくらいに馬鹿正直なリベルダに、良くないと言えばすぐさま下ろしてくれるだろう。ハロルはそれを望んでいるはずなのだが、僅かに寂しく感じた。

「…………少しだけ、な」

 ハロルはしがみつく腕をギュッと強め、リベルダに身を預けた。うるさく鳴っていた胸はいつの間にか落ち着いた。

「今日はありがとう、リーベ」

「……? どうした」

「舞踏会で人に酔いそうだったんだ。どこまでお前が意識してやったかは知らないが……でも助かった。リーベのおかげだ。…………かっこよかった」

 ハロルは小さく付け足した。

「おっ…………」

 俺をどうするつもりだ、リベルダはそんなことが口から出そうになった。今日のハロルは心臓に悪すぎる。ハロルの言葉の一つひとつにどうにかなってしまいそうだった。

 リベルダは困ったものだと心の中でため息をついた。

「落とすかもしれない……」

「はぁ!? なら下ろせ! というかお前がやり始めたんだからちゃんと責任持てよ!」

 足をバタバタさせながら震える腕でリベルダにしがみつくハロルは、やはりリベルダの琴線に触れた。彼から頼られているという感覚が心地好い。

「なら責任を取って結婚しようか」

「けっ……!?」

 ハロルは絶句した。そしてみるみる顔が赤くなる。一度だって考えたこともない、いきなりすぎる提案に焦った。初めて恋人になれと言われた時もそうだ。話はいつも通じていない。そんな人からの愛を受け入れてしまった後悔と、それにも勝る幸福にハロルは戸惑っていた。

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