7.利己的解決

 気を失った男をよそに、ハロルは上を向いた。

「さて、上がるか」

「そうだな。……梯子は此処にあったのか」

 部屋の隅に掛かった梯子を見つけたリベルダはその方向へと歩いて行った。ハロルもやったように梯子を掴んで強度を確認し、足を掛けている。

「さっきは鍵がかかってたんだ。でも中から閉められそうにないから、今は開いてんだろ」

 ハロルの言った通り外鍵で、現在はすんなり開いた。男が降りて来た時に開けてそのままなのだろう。

「お、開いたぞ。ハロルも登って来い」

 ハロルも梯子に足を掛け、登った。やっとこの地下の冷たい部屋とおさらばだ。

「手を」

 上で待っていたリベルダに声をかけられる。引っ張り上げるつもりだろう。ハロルがヒラヒラと手を伸ばすと、予想以上の力で引かれた。

「う、わっ!」

 いきなり上げられたハロルはそのままリベルダに抱きとめられた。胴体をしっかり両腕で抱え、収められる。

「り、リーベ、どうした」

「悪かった。あの時は俺の考えが足りなかった」

 あの時、とは誘拐される前、リベルダの継承権について言い争った時のことだ。

 相当反省しているのか、腕の力が強くなる。ハロルは軽く痛みを感じた。

「俺も悪かったよ。落ち着きが無かった」

 だからあの時の話はもう終わり、そう言うようにリベルダの背中を摩った。

 数秒間黙っていたリベルダは急にハロルの肩を掴み、顔を合わせた。

「だが、ハロルは勘違いをしている」

「な、何が……?」

「爵位の話だ」

「……なら、継承順が変わることはないのか……?」

 ハロルは顔を輝かせたが、すぐにそれは打ち砕かれる。

「いいや。それはあるだろう」

「なっ……!」

「そこじゃない。多少評価が下がろうと、俺は十分継承権を得られる」

 裏切られたような気のハロルにリベルダは意地悪げに笑った。

「黒魔法による廃棄事業は俺が受け継ごう」

「は!?」

 ハロルは慌てふためいた。リベルダの腕に収まったまま胸元辺りのシャツを引っ張り、顔を近づけた。そんな彼を呑気に可愛いと思いながら、リベルダは頭を撫でた。

「もちろん犯罪にはしない。正当に手続きを行って機器を整え、これを仕事にする。新事業として打ち立てれば、成果は充分に上げられる。それこそ、継承権を得るほどのな」

 大きなビジネスを成功させれば、世間は放っておかない。リベルダが継承しないなど有り得ないという空気を作る。ハロルとの身分差が霞むほど輝かせてしまえば問題は無いと、そう言いたいのだ。

「フィーが今追いかけて来ているはずだ。警察への通報も済んでいるだろう。だが、これを警察任せにするとおそらく上層部とやらに揉み消される」

「それは…………そうだろうな。今までにも通報した親族は居ただろう」

「あぁ。だから、新聞社に向けて会見でも開こう。俺には貴族としての信頼もあるからな。大衆向けに発信していけば世の中に流れができる。黒魔法の正しい認知もだ」

 コードレの国民性が日和見主義なのは確かだが、正義感は強い。悪事をみすみす見逃すことはしない。生まれつき黒魔法が適正というだけで虐げられていると知れば、例え偽善や見せかけであっても何か動きがあるだろう。存在が知られ、議題に上がる。気づかれていなかったことが日の目を見ること自体が大切だ。

「いずれ貴族も公共事業の一種として資金を提供してくれるだろう。むしろ非協力的な貴族は批判を受けるようになる」

「……そんなに上手く行くか……?」

「あくまで大筋だ。細かいことは適宜修正する。それくらいの柔軟さはあるさ」

 リベルダは子どもに言い聞かせるように伝えた。

「分かったか? この程度の差、簡単に埋められる」

 得意気な声が聞こえる。不安なんて何一つとして無い、澄み切った声色。

「安心しろ。俺はハロルが居れば強くなれるが……ハロルが居なくとも、勝手に強くなるぞ」

 その言葉にハロルは胸が高鳴った。初めて感じる明確なときめき。自分の恋人は、絶対にこの人だ。

「……ッ! 最高だ!」

 ハロルは前に進み、というよりも跳びながら、リベルダを抱きしめた。首の後ろに手を回し、背伸びをしながら引っ掛かる。以前抱き上げられた時くらい顔が近い。

「リーベ! あぁ、良い! 最高だよ!」

「は、ハロル?」

 リベルダを置いていきながら、一人笑っていた。リベルダは体幹が鍛えられているので良かったものの、一歩間違えれば穴の空いた床があるのでいきなり来られると危ない。

「ふふふ、本当に、お前は良いな、大好きだ」

「熱烈だな……」

 珍しく照れたリベルダは焦りを見せる。

「何言ってんだ、お前がいつもやってることだよ」

「そうか、そうだな……んん…………」

 いまいち納得したか分からないリベルダに対し、くしゃっと顔を綻ばせて、ハロルはしみじみ伝える。

「俺の理想の、恋人だ」

「…………あぁ、その通りだな。俺ほどの人間はなかなかいないぞ」

「まったくだよ」

 理想。それは大きく言えば、勝手に強くなる人だ。

 ハロルは自分のせいで人の時間を奪うことを恐れる。無関心……とまでは行かないが、自分を気にせず活動する人が望みだった。

 花でも舞っているような雰囲気で笑うハロルに流されそうになったが、一つ言い忘れたことがあった。

「勘違いはまだあるぞ」

「な、なんだよ」

 ハロルは抱きしめていた腕を緩め、少し離れて身構えた。

 それに対しリベルダはニヤリと笑い、ハロルのおでこをコツンと人差し指で突く。

「俺の原動力はいつだって俺自身だ。ハロルのためじゃない。俺がハロルと一緒に居るためだぞ? ハロルが嫌がっても止めないからな」

 ハロルはポカンと口を開けた。あぁ、自分はとんでもない人に捕まったと、今更実感した。俺様で堅物。誰にも手懐けられない自分勝手の自分本位。

「あはは! そうだな! リーベはそういうやつだよ!」

 初めてリベルダに対して底抜けに明るい、幼い笑顔を見せた。そうして自分の中で止められそうにない好きを、そのまま体現するように抱き着いた。




 安心したのか、周りの音が聞こえるようになると、部屋の外が騒がしくなったことに気がついた。先程リベルダが言っていた通り、フィーが呼んだ警察だろうか。

「行こうか、ハロル」

 リベルダはハロルの手を取り歩き出した。ハロルは特に抵抗することもなく着いて行く。

 部屋を出て玄関ロビーに戻ると、フィーの姿を見つけた。

「フィー!」

「リベルダ様、それにハロルさんも……! 良かった……」

「悪い、心配かけたな」

「いえ! 無事で何よりです!」

 愛らしい笑みでハロルを迎えた。そんなフィーに支えられながら立つ男が居る。いかにも誠実そうな青年だが、酷く疲れた顔をしていた。

「ところでフィー、その人は……」

「ヘリム様です」

 話を聞くと、正面の部屋に入ったフィーは真っ先にヘリムを見つけ、駆け寄った。始めは声をかけても全く反応が無かったが、フィーの顔を認識した途端目に光が戻ったという。

 他の黒魔法使いよりも日が浅かったこともあり、気がつくのも早かったようだ。

「フィー……このひと、だれ?」

 しかし、精神的な傷は大きかった。フィー、フィー、とただ一人婚約者の名前を呼び、簡単な言葉しか出て来なくなっていた。幼児のような精神状態になっているらしい。

「この二人は、わたくしのお友だちのリベルダ様とハロルさんです」

 フィーは優しく言葉を選びながら二人を指し示した。

「あっ、申し訳ありません! お友だちなんて失礼ですよね……?」

「それは構わないが…………大丈夫か?」

 友人など、ハロルもリベルダもとうに思っている。それよりも、フィーが大切そうに語っていた婚約者が幼児退行してしまったことの方が心配だった。

「大丈夫です! 二人でゆっくりお話して、家を盛り立てていきますわ。元より派手な家柄ではありませんもの」

 フィーは胸の前で小さな握りこぶしを作った。どうやらそれほど不安視しなくとも問題は無さそうだ。

 リベルダが初対面で見抜いたように、フィーは勇気のある強い人間だ。二人で手を取り合い、ひたむきに実績を積んでいくだろう。

 ちなみに、リベルダは廃棄事業の構想にフィーを入れていた。これほど真面目で信頼のおける人物はそう居ない。組織に欲しい人材であった。リベルダが経営を明確に打ち立てる際、フィーに連絡が来たのはまた別の話だ。

「そういえばリベルダ様が警察に連絡されましたの?」

「何の話だ……? 俺はしていないが」

 がむしゃらに馬車を追いかけ、その後すぐにモルガンと会ったので、暇は無かった。

「わたくしが此処に着いたのはついさっきです。それより先に……」

 警察署に向かったフィーだったが、もう同事件の通報を受け、動き出していると言われたらしい。警察の馬車に先導を受けながら此処まで来たという。誘拐の目撃者よりも早く通報した人が居る訳だ。

「師匠だ」

 ハロルが一番に口を開いた。此処に居るとは知らないはずだが、確信を持って言った。

「何故ハロルがそれを……」

「聞いたんだ。師匠がアイツに使われてたって」

 アイツ、つまりあの父親を騙った男のことだろう。リベルダも薄々そんな話だろうとは思っていたが、ハロルが妙に落ち着いているのが気になった。

「師匠は何処に居る?」

「右の部屋に入った以降は見ていない。今は……ッ!」

 リベルダはハロルの手を引いたまま走り出した。玄関扉付近でで警察に連れられるモルガンが見えたのだ。ハロルに何も言わず静かに去ろうとするモルガンに苛立ちを覚え、彼の腕を掴んだ。

「言いましたよね? ハロルとちゃんと話してくださいって」

「僕に話すことなんて…………」

「またハロルに悲しい思いをさせるつもりですか」

 モルガンは黙り込んだ。

 あの男もモルガンも、リベルダの真っ直ぐさが嫌いだった。かつて憧れていたヒーローのような、歪みの無い心で語りかけてくる。それを自分の穢れた心と対比させ、憎たらしく思ってしまう。突き刺さる正論が痛くて仕方がないのだ。

「リーベ、いいよ。後は俺が話すから」

「ハロル…………」

 リベルダは身を引き、不思議そうな顔をした警察に小声で説明を始めた。

 否が応でも顔を突き合わせることになったモルガンは唇を引き結んだ。彼から話してはくれなさそうなので、ハロルは先手を取った。

「師匠は、俺が盲目だから優しくしてくれたの?」

「……! そんな訳ないだろう!!」

 モルガンならば絶対に否定すると信じて質問をした。返答に満足したハロルはにんまり笑う。

「やっぱり」

「っ…………うん、ごめんね。ハロル」

 ハロルに気を使われたと分かり、恥ずかしくなったモルガンは降参したように謝った。

「それ、何に謝ってる?」

「……彼に加担してたことについて」

「そんなの、気にしないよ」

 ハロルはまだ子どもだ。モルガンの仕事内容なんて、今も昔もどうでもよかった。

「師匠、今までありがとう」

 いきなり感謝の言葉を述べたハロルは、驚くモルガンを気にせず、腕を広げる。

「俺のために、いっぱい頑張ってくれたんだろ?」

 モルガンは目を見開いた。その瞳は水気を帯び、澄んでいる。そしてハロルの身体を抱きしめた。

「ハロル、ハロルっ……ごめんね……」

「だから謝るなよぉー」

 小さく丸まったモルガンの背中を擦る。いつもハロルの方から抱き着いていた彼が、腕に収まっている。ずっとこうやってモルガンから抱きしめてほしかったのだと、そう思った。

「大好きな君を苦しめた彼が、許せなくて……! 君はそんなこと望んでないって、分かっていたのに…………」

「うん」

「ハロルが人々に追われている時、あんな奴だけが呑気に暮らしているのが、憎くて……」

「うん」

「僕がもっと上手く立ち回れればよかったのに……」

「あー、それは違うかなぁ」

 優しく相槌を打っていたハロルは突然異を唱えた。モルガンは少し身を強ばらせる。

「俺はただ師匠と遊びたかっただけだよ。それだけで充分」

 ハロルは安心させるように彼の頭を撫でた。

 モルガンは昔から友だちが少ない。人より頭が切れるので、恐れられていたのだろう。実際は不器用で、自分に自信も無いのに。

 優秀なモルガンへの嫉妬か恨みか、噂を流されるようになった。『モルガン・カーグは自分の損得で友人を選ぶ』と、根も葉もないことを振り撒かれた。腹黒で悪辣な人物であると周りから囁かれるようになる。

 孤独になったモルガンは、若さ故の過ちか、はたまた諦めか、その噂通りの性格になっていった。事実、良心を捨てた方が生きやすかったのだ。

「師匠に護身術教わってる時が一番楽しかったよ。おじさんより分かりやすいし」

 ハロルとモルガンは理論的な考えが似ていた。比較に使われたカリレはフワッとした教え方をするので、ハロルにはあまり合わない。

 近所付き合いの一環でハロルと出会い、モルガンの世界は変わった。裏表の無いハロルの笑顔に救われた。ハロルと関わっている時だけは、自分も純粋な心であった気がした。

 そしてハロルと時間を共にしていく内、あの男への怒りが募った。ハロルもその家族も、もう過ぎたことだと笑うが、モルガンだけは許せないままでいた。

 自分しか居ないと思った。ハロルの周りは優しすぎる人ばかりで、復讐に乗り出せないのだと。自分ならばできる、良心ならとっくに捨てた。彼らに手を汚させる必要は無い。

「俺、強くなったんだ。師匠のおかげだよ。だからもう大丈夫」

 リベルダに出会えたのも、あの男を投げ飛ばせたのも、全てはモルガンが指導した体術のおかげだ。

「今度は、一緒に遊ぼう」

 ハロルが子どもに戻ったような表情をすると、モルガンは抑えきれなくなったのか、涙を流した。これではどちらが子どもか分からない。しかし、モルガンは子どもらしく甘えることができなかったのだ。あの頃を取り戻すように、ハロルの狭い胸で泣いた。

 冷たい視線でリベルダを射抜いていた時より、今の方が人間らしい。結構良い顔をするじゃないか、リベルダはそう感じていた。

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