あいをしる

「産んでみれば、その愛しさがわかるわよ」

 そう言った職場の女性研究員は、出産後、育児との両立に苦戦し、時短で働くしかなく、仕事で伸び悩んでいる。それでも子どもが愛しいのだと楽しげに話すが、有紗にはそれが仕事で不当に評価されていることから目を背けた負け惜しみのようにしか思えない。

 時短だから仕事で伸び悩むことになる、社会の構造に異を唱えるべきじゃないか、と言ったこともあるけれど、返ってきたのは、「時短だからできないことも多いし、仕方ないじゃない」という、諦めそのものの言葉だった。

 男性研究員は、結婚しても子どもが生まれても、今まで通りに研究に打ちこめるのに、女性研究員はそうではない。有紗は、その不平等が、理不尽が、許せなかった。そういう社会の構造も、親の手を煩わせる子どもという存在も、嫌いだ。有紗は、子持ちの女性を「コブつき」と揶揄する思想は嫌いだが、子どもは親の枷だと思っている。同時に、親も子どもの枷だけれど。

 あいをつくるための、妊娠。しかし、有紗はこの妊娠を、体外授精を手伝ってもらった、大学の同級生以外の誰にも報告しなかった。幸いにして、つわりはほとんどなく、有紗は妊娠しても、見た目からわかるほどには変化しなかった。

 ただ、さすがに産前産後に出勤すれば、わかってしまうかもしれない。そうなると少々面倒くさい。これは、ただの実験で、家庭生活などではないのだから。

 そう思って、有紗は、貯めておいた有給休暇を使用することにした。理由は聞かれなかった。


 身体に異物があるこの感覚は、有紗としては、なかなかに気持ち悪かった。異物が、体内でうごめいている。そして、栄養を取られている。

 寄生されているように思ったし、これを愛しいと慈母の顔で語れる女性は、やはり有紗とは別物だと思った。フェミニズムの観点から、彼女達に降りかかる理不尽や不平等は取り去りたいが、理解できない存在であることもまた、有紗にとっての真実だった。

 毎日のように、仕事でマウスを解剖し、肝臓を実験機器でスライスしてプレパラートを作り、観察していた。有紗はよく見ているこの肝臓や、その他の臓器が自分の体内で作られている事実を思ってみたが、感動も何もわいてこなかった。

 人を作るのは、もっとシステマチックで、科学的であるべきなのだ。有紗は、原始的な、妊娠という方法でしか人を作れない、人間の技術の未熟さを呪った。

 あいをつくるのも、楽じゃないのね。

 異物たる胎児は、たまに動いた。胎動といって、これに愛おしさを感じる人もいるらしいが、有紗にはよくわからなかった。

 この異物を早く排出して、あいをつくった経験を得たい。それだけだった。

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