第3話 フェアリーマークの過去

 安藤は鈴江の運転する覆面パトカーの助手席で居眠りをしている。『下須賀駅』っていう謎の駅前を歩いてるとゾンビに追われる夢だった。

 目を覚ますと、鈴江が舌打ちをした。

「昼間から昼寝かよ?」

「変な夢だった」

 安藤はスマホで『下須賀駅』で調べてみたが、該当する駅はなかった。

『フェアリーマーク』の看板が見えて来た。

「コーヒーでも飲むのか?」と、安藤。

「行きつけの店なんだ。ここなら収穫があるかも知れない」

 鈴江はすんなりと面パトを駐車させた。

「どうやったら、そううまく駐車できるの?」

 安藤は車の運転が下手なのがコンプレックスだ。

「練習するしかないね〜」

 鈴江はレジにいる、メガネをかけたオタク風の店員に「頑張ってるかい?」と声をかけた。ネームプレートには『星野』とある。

「あれ、刑事さん」

 彼は数日前に起きた強盗事件のとき、勇敢に犯人を説得して警察に引き渡した。鈴江は彼こそ勇者だと思った。

 星野は『レッドバロン』の話をいきなりはじめた。

 悪の組織「鉄面党」は、万国ロボット博覧会に出展された世界各国の巨大ロボットすべてを強奪した。彼らは戦闘用に改造したロボット軍団で世界を征服するつもりである。鉄面党はロボット制作者達も次々に誘拐、科学秘密特捜隊 (SSI) に所属する紅健の兄のロボット工学者・紅健一郎博士も彼らに拉致されてしまう。


 しかし健一郎は自ら製作したスーパーロボット・レッドバロンを鉄面党に渡すのを拒み、自らの命と引き替えに健に託す。兄が遺したレッドバロンを操縦し、健は鉄面党に敢然と立ち向かう。

「1970年代の特撮だよな?店長ってまだ若いよな?」

「歴代のアニメを全て見るのが僕の野望なんだ」

「ロボットの話はどうでもいいんだけど、ここの代表取締役が殺された事件は知ってるよね?」

「あの人は鬼だ。殺されて当然だよ」

「というと?」

吉沢将暉よしざわまさきって前のオーナーがいるんだけど、1日も休みをもらえずに過労自殺したんだ」

 吉沢って45歳の人は線路に飛び込んだそうだ。

「いたましいな」

「僕が遺族だったら命に変えてでも復讐するな」


 ワタシは習志野台にやって来た。

 習志野原の永久堡塁えいきゅうほるいは、船橋市習志野台に存在していた演習用の要塞構造物である。習志野名所の一つ。広く旅順港と呼ばれ親しまれていた。

 詳細な造成年月日は不明だが、日露戦争後、難攻不落といわれた旅順の堡塁を模して習志野原(陸軍習志野演習場)内に造られた構造物である。日露戦争では、ロシア軍随一の要塞築城の権威といわれたロマン・コンドラチェンコが設計した強固な要塞によって日本軍は苦しめられ、多くの死傷者を出した。当時の日本にとっては欧州の最新の技術・手法が用いられていたロシアの要塞を分析し、その後の戦争に備え、実際に演習に活用することは戦略的に重要な意味を持っていたとも考えられる。実際に何度か演習が行われたとの証言がある。


 構造物は「旅順港」、工事で盛り上げられた小高い丘は「203高地」の名称で呼ばれ、地域の子供達の格好の遊び場となっていたが、1962年(昭和37年)、日本住宅公団によって始められた習志野台団地の造成工事に伴い埋められることになった。船橋市はこの構造物の保存の意思を示していたが、高度成長に伴う住居確保の必要性は大きく、公団の合意は得られなかった。現在この構造物は船橋市立習志野台第二保育園周辺の地下に眠っている。


 この辺りはかつて大和田原と呼ばれていたが、明治天皇により習志野原と命名され、陸軍習志野錬兵場が置かれていた場所であった。戦後は、京成電鉄が習志野台団地を中心として開発が進んでいった。戦後間もない頃は「北習志野」または単に「習志野原」と呼ばれていた。新京成電鉄新京成線高根木戸駅・北習志野駅・習志野駅(全て北西 - 南西地域)があるなど交通の利便性が良く、さらに範囲が非常に広いことも相まって現在は3万人以上の住人が暮らしている。特に北習志野駅前には団地と商店街があり、一層のにぎわいを見せている。1996年(平成8年)、東葉高速鉄道東葉高速線北習志野駅(西)と船橋日大前駅(東)が開業し、東部の住人や日本大学関係の利用者も増え利便性はさらに増した。


 ロッテリア北習志野店でバーガーを食べた。🍔

 ファーストフードなんて久しぶりだ。

 若い頃はよく食べていたが、最近は食べてない。

 カレは忙しいから、最近会ってくれない。

 嫌われてんのかな?

 公募ガイドってのを買ってきて、千葉を舞台にした小説に挑戦してる。

 

 織江のすぐ近くで小島は横溝正史の『蝶々殺人事件』を読んでいた。


 終戦後の困窮の中、三津木俊助は探偵小説の執筆依頼を受けたが、構想を決められずにいた。弱りきった三津木は由利麟太郎宅を訪れ、かつて二人が関わった事件を元にした小説を書く許しを求めた。由利から資料や助言を得た三津木は、「蝶々殺人事件」と題した探偵小説を書き始める……


 時は1937年(昭和12年)10月19日、前日『蝶々夫人』の東京公演を終えた原さくら歌劇団一行は、大阪公演の初日を迎えるため、2組に分かれて大阪に移動した。歌劇団を主宰するソプラノ歌手の原さくらは夜行列車ではのどに良くないとの理由から、さくらの夫の原聡一郎とさくらの弟子でアルトの相良千恵子との2人が同行して、一足早く19日の午前中東京発の列車に乗って、その日の夜に大阪入りしホテルに泊まり、他のメンバーは19日の夜行列車に乗車して20日の朝に大阪着、ホテルにいったん入ったあと公演会場である中之島公会堂に集合する段取りだった。そのため、さくらのマネージャーの土屋恭三は18日の夜行列車で先発して大阪入りして、大阪でのホテルの手配や後援者への挨拶回りをしていた。


 ところが、19日の夜8時に大阪に着いたさくらはホテルにチェックインした後、外出したまま行方をくらましてしまう。20日朝、第2班の一行が大阪に着き、その中には出発を遅らせた聡一郎もいた。土屋は聡一郎に事情を話して、とりあえず一行はホテルに入り、その後公演場所に向かった。2時から稽古を始める予定だが、1時50分になってもさくらは姿を見せず、そのときコントラバス担当の川田が、東京からチッキで送ったはずのコントラバスが届いていないと騒ぎ出した。荷物を受け取ってきた土屋の助手の雨宮順平とやり取りをしている最中に、楽屋の入口にコントラバスのケースが立てかけてあるのが見つかったので、さっそく楽屋に運び入れたが、ケースを受け取ろうとした川田が予想外の重さによろめき、受け止めそこなったケースが床に倒れた。川田があわててケースを開くと、中に入っていたのはコントラバスではなく、バラの花弁に覆われたさくらの死体であった。


 さらにさくらのハンドバッグから真珠の首飾りが紛失しており、代わりに読めない楽譜が1枚入っていた。読めない楽譜にまつわる事件として、5月に流行歌手の藤本章二が読めない楽譜を握ったまま殺されている。藤本は、歌劇団一行のバリトン歌手、志賀笛人の元弟子であった。しかし、さくら殺しと藤本殺しとの関連は不明であった。


 一方、相良を追及したところ、東京駅でテナーの小野竜彦からバラの花束を贈られた際に楽譜が落ち、その楽譜を読んださくらは急に品川駅で下車して東京に引き返したという。実は、大阪のホテルにチェックインしたのは、さくらの指示で彼女に変装した相良であった。


 さくら殺害現場については福島の曙アパートの一室が浮かび上がった。タクシーの運転手がコントラバス・ケースを乗せたのがこのアパートで、その部屋にコントラバスが置いてあるのが見つかった。さらに破れた砂嚢が転がっており、砂がいっぱい散らばっていた。さくらは絞殺されたのだが、その前に鈍器で頭を殴られており、死体には砂がいっぱい付着していた。これらのことから、この部屋でさくらは砂嚢で殴られて昏倒したあと絞殺されて、死体はコントラバス・ケースに入れられて運び出されたものと思われた。


 ところが、聡一郎から事件の依頼を受けて大阪に駆け付けた由利と新日報社の三津木が、大阪府警の浅原警部たちと曙アパートに向かうと、そこで新事実が判明する。さくらは19日の夜に殺害されたことが判明しているが、問題の砂嚢はアパートに備え付けのもので、20日の朝には部屋のドアの前にあったのである。さらに、別のタクシーの運転手が、三越百貨店[横でトランクを乗せてこの部屋に運び込んだことも判明した。そのトランクも非常に重いものであったという。つまり、さくらの死体はトランクでこの部屋に運び込まれ、そこでコントラバス・ケースに詰め替えられた、そして転がっている砂嚢や散らばっている砂は、この部屋が殺害現場であると偽装するために使用されたものであったと思われた。


 由利は、楽譜の暗号を「危険、途中より引き返し、愛宕下のアパートまで来たれ」と解読した。一方、品川駅で列車を降りたさくらは愛宕下のアパートに向かったものと思われた。さらに、20日の朝トランクを部屋に運び込んだタクシーの運転手が見つかり、その証言でトランクは大阪駅から運ばれたものであることが分かった。さらにチッキ係の控えを調べたところ、東京駅から受取人を土屋恭三として発送されていることも判明した。それで愛宕下のアパートを調べるために、由利と三津木は東京に戻った。


 愛宕下のアパート「清風荘」の一室はさくらが本名の原清子名義で借りていたもので、由利たちと新日報社の三津木の同僚の五井が警視庁の等々力警部の案内で乗り込むと、そこで藤本章二の写真を見つける。同じ額縁の中には赤ん坊の写真も挟んであった。そこで、さくらは藤本の生みの母ではないかとの疑惑が生じた。そして、さくらが品川駅から引き返した証拠の品として、小野から贈られた花束から落ちたと思われるバラの花弁が見つかった。さらに、寝イスの下にはき寄せられたひとかたまりの砂の山を見つけるに及んで、この部屋が殺害現場に間違いないと思われた。


 管理人と近隣の住人の証言で、さくらがその部屋を借りたのは藤本の死後の6月であること、その部屋にときどき若い男が出入りしていること、1度その男が玄関から出て行ったあとから小野がさくらを支えて出て行ったことがあることなどが判明した。さらにその若い男の服装は、上着の折り返しが色変わりになったフロックコートを着て細身のステッキをかいこんでおり、ソフト帽をまぶかにかぶり青めがねをかけ、マフラーで顔をかくしているというものであった。ところが五井がその男と1時間以上前に清風荘の前で出会ったという。


 その話を聞くに及んで由利は三津木に、原さくら歌劇団の中でホテルからいなくなったものがいないか大至急調べるように言い、三津木がそれを調べさせるために社に電話すると、編集長から相良の姿が見えないこととともに、雨宮が殺されたことを聞かされた。知らせを聞いた由利と三津木は、再度大阪に急ぎ戻る。

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