金のりんご(B L)日記風

☆*:.。. 毎週月曜日と木曜日、俺は隣人のリンゴをかじった.。.:*☆


 ───八月九日 月曜日 AM7:30


「どけよ! 邪魔だ!」

 黄色の網から少し出ていたゴミをカラスが突いていた。俺の声にビビったのか、カラスは一度咥えたゴミを落とし、近くの電柱へと羽ばたいた。

「お前と違ってこっちは忙しいんだ」

 遅刻すれすれで起きた俺も悪いが、今日の現場の事を考えるとイラついて、カラスに八つ当たりをした。


「大石さん、おはようございます。今日も暑くなりそうですね」

 後ろから爽やかな声がした。隣の部屋に住む秋田さんの声だ。俺は軽く一礼をすると、駐車場にある黒のバンに乗り込みアクセルをふかした。


 ゴミ置き場を数十メートルいった所を秋田さんが歩いていた。俺は軽くクラクションを鳴らすと、スーツ姿の彼は止まって俺に手を振った。



八月十二日 木曜日 AM7:20


 今日は現場が遠かった。明日から盆休みに入る業者もあって、仕事を残す事が出来ない。いつもより早めに家を出る。早めといっても十分だ。近くのコンビニでタバコ一本ふかして、朝飯を食う事が出来るくらいの時間だ。


「おはようございます。今日も仕事ですか、お疲れ様です」

休みなのかトレーナー姿の秋田さんが、俺を見つけて近づき、俺の手からゴミ袋を取り上げる。


「大石さん、ダメですよ、これはプラごみです。僕が仕分けしておきますね」

「えっ、すいません。じゃ、持って帰るんで」俺は少し恥ずかしくなってゴミ袋を取り返そうとした。一人暮らしだ。元々生ゴミなんて少ない。冬だったら一週間に一度でいい量だ。洗うのが面倒で捨てたカップ麺の容器を見つけられたのが悔しかった。


「行ってらっしゃい。あっ、これ良かったらお昼に食べてください」

秋田さんは持っていた白いビニール袋を俺の腕に引っ掛けて、ゴミ袋を奪うように取った。そして仕事に遅れますよと背中を軽く叩く。俺は仕方なく秋田さんに甘えた。秋田さんの視線を感じながらバンの後部座席に渡された物を置く。


 コンビニの駐車場で無理やり渡された袋を確認して驚いた。保冷剤に包まれた弁当箱とりんごが一つ入っていた。



八月十六日 月曜日 AM7:15


 秋田さんに弁当のお礼を言うために、ゴミ置き場で待った。隣の部屋だ。いつでも行こうと思えば行けたが、奥さんが秋田さんに作った物だったらと思うと行けなかった。高校生くらいの娘さんもいたはずだ。


「秋田さん、この前はごちそうさまです。俺、焦っちゃいましたよ、まさか手作り弁当なんて思わなかったから。うまかったです。奥さんにも宜しく……」


「おはようございます。良かった、喜んでもらえて。あれ、僕が作ったんです。美味しかったですか、嬉しいなぁ。ほんと嬉しいです」


 秋田さんははにかみながら、俺の顔を見る。秋田さんの顔をまともに見た気がする。四十は過ぎてるよな。エクボのある大人なんて初めて見た。

 

「大石さん、僕の顔になんか付いてます? そんなに見られたら恥ずかしい。あっ、仕事に遅れますので……」


 秋田さんはネクタイを直し、スーツのポケットからハンカチを出して額を拭った。朝早いのに、日差しがきつい。猛暑でもスーツを着なくてはいけない事に同情した。


「よかったら、駅まで送りますよ。弁当のお礼です」俺は秋田さんを助手席に乗せて、冷房を強くした。車を降りる時、手を振る秋田さんが可愛いと思った。


 

八月十九日 木曜日 AM7:25


 ゴミ置き場で秋田さんを意識的に待つようになった。現場しごとでは親方から怒鳴られ、時に物が飛んでくる。何度も辞めてやるとキレた。けど愛車バンのローンが終わるまでは簡単に辞められない。十八才で買った新車だ。五年ローンであと一年も返済期間がある。


 親なんてくそくらえだ。冷たい親とは違って、秋田さんは優しい。久しぶりに人の優しさに癒されていたのかもしれない。


「秋田さん、今日は現場が秋田さんの会社の近くなんです。会社まで送りますよ」

俺はすでに冷やしておいた車をゴミ置き場に横付けにした。


「そんなの悪いですから。けど大石さんと長くいられるなら、嬉しいかな。お言葉に甘えて送ってもらいますね。ほんと、嬉しい。夢のよう!」


 女の子か! 俺は一瞬錯覚した。助手席の秋田さんの横顔がキレイだ。色白でまつ毛が長くて、唇が薄い。ゴツくて真っ黒な俺とは正反対だと思った。


「大石さん、タバコ吸っていいですよ。我慢は身体に良くないですから」


 バレてる。コンビニを横目で見た俺に気づいていたんだ。俺は秋田さんの繊細さに感激しながら、大丈夫ですと答えて缶コーヒーを一口飲んだ。


「大石さん、朝ご飯食べてないでしょう。今齧ります? りんご」

「りんごですか? 嫌いじゃないですから、いただきます」


 秋田さんはランチバックから容器を取り出して、フォークで一切れりんごを刺した。赤信号で止まった時、俺の口元にりんごを付ける。


「まじっすか?! あ、ありがとうございます。自分で食べますから」


 四十代のサラリーマンが、二十代の土木作業員にりんごを食べさせる絵ってどうだろう。俺はめちゃくちゃ恥ずかしくなって俯いた。


 会社に着くまで、一言も話せなくなった。

 仕事中、何故か秋田さんの事ばかり考えてしまって、集中力が足りないと怪我するぞと親方に殴られた。



八月二十三日 月曜日 AM7:10


 気まずい。俺は秋田さんを意識しすぎて、顔を合わせるのが気まずくて、いつもより二十分早くゴミを出した。


 隣の部屋だから、今までも生活音は多少なりとも聞こえてきた。しかし、あの日から全く意識していなかったはずの秋田さんの笑い声が愛おしく感じた。


───好きになったのかもしれない。


 いつも野郎ばかりの中で優しさに飢えているからだ。いや、手作り弁当に騙されただけだ。そうだ、たまたま胃が飢えていて、女か男か分からなくなっただけだ。


 俺はふっと湧いてくる考えを打ち消す。今日は八つ当たり出来るカラスもいない。早めに出た分、コンビニで時間を潰せばいい。


「大石さん、おはようございます。大丈夫でしたか? アザ薄くなりましたね」

「えっ、何で知ってるんですか? いや、お、おはようございます」


 俺は突然現れた秋田さんに驚いた。殴られた事を知られた事が恥ずかしかった。足早に駐車場に向かい、後部座席に荷物を放り込む。


「あと、二十分ですね、僕が大石くん、いや古人フルヒトくんを独占出来るのは。さあ、君もここに来て。───僕ね、この前、心配で古人くんの仕事場を見ていたんです。僕の事、ずっと考えていたでしょう?」


 俺は秋田さんの言われるままに後部座席に乗って、隣に座り、頷いた。


「可哀想に。君は悪くない。君が引っ越して来てから、僕は君がどれほど頑張って仕事してきたか知ってますよ。痛かったね。ここだね」


 秋田さんは俺の右頬を優しく撫でる。嫌じゃない。いやむしろずっと望んできたのかもしれない。秋田さんの笑い声を意識して聞いたあの時から。


「ああ、いい子だ。僕はね、君の褐色の肌が大好きだ」


 秋田さんはそう言いながら、俺の右の頬にキスをした。痛かったねと耳元で囁いたあと、唇を塞いだ。


「秋田さん、お、俺、タバコ臭いですから」秋田さんが覆い被さろうとする瞬間、俺は怖くなって突き飛ばした。秋田さんは少し表情が硬くなる。


「古人くん、今日はキスだけにしておこうか。僕はね、君の顔、鍛えられた身体が大好きだ。その格好を見ているとウズウズしてくるよ」


 俺の作業服姿が好きなのか、秋田さんはニッカポッカのファスナーを上げたり、下ろしたりしながら言った。俺は電気に打たれたように動けなかった。


「古人くん、あと十分あるね。今日もりんごを齧ろうか。君の白い歯で僕の切ったりんごを食べてくれるかな。君は歯並びがいい。素敵だ。君は僕が知っている中で一番キレイで美しい。逞しい腕、割れた腹筋、形のいい尻、笑顔、サラサラした髪、もう全部僕の物だ」


 秋田さんはりんご一切れを自分の口で咥え、俺の口に入れようとする。口移しでりんごを与えられ、俺は秋田さんの唾液がついたりんごを全部食べた。


「秋田さん、これ毒りんごですか? もう俺、秋田さんに何をされてもいい」


 きっとこの時俺は、目が虚ろだったと思う。初めて男に欲情した。



───毎週月曜日と木曜日の早朝は、秋田さんが俺を褒めてくれる。媚薬りんごを齧りながら貪りあう。俺の愛車バンが愛の巣となって揺れる。───


 自分を認めてくれる秋田さんに全てを捧げられて幸せだ。



『適切な時に話される言葉は、銀の彫り物の中の金のりんごのようだ』

二十五章十一節

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