奨学金返済支援


 翌日。


 田村〈ゲルルス〉は車で首相官邸に移動していた。今日はたまたま総理秘書官は同乗していない。


 後部座席には田村〈ゲルルス〉一人のはずだが、誰かいるような気配がする。何もないはずの空間に手を伸ばした。


「いたっ」


 小さな声とともに、マスクとイヤホンが投げ出された。


 それらを装着すると、メイ・フィブリルの声が聞こえてきた。


「このマスクとイヤホンを装着すれば、他人に聞かれずに会話をすることができます」


 何もないはずの空間に一瞬だけメイ・フィブリルの顔が浮かんですぐに消えた。


「発達しすぎた科学は魔法と区別がつかないといいますが、本当ですわ。このような科学技術がばれたら、わたくしは魔女狩りに遭うかもしれませんわ、ふふ」


「あれは日本じゃなかったはずだけど。まあいい、これからの予定を確認しよう」


 この装置『いわざるきかざる』は実に便利だ。


「三人の大臣を更迭させるのだ。友正党内部での話をつけておかねばならん。ジャンが向かっているはずだが」


「殿下、ご安心ください。それぞれの出身派閥に十分に納得していただけたようでございます」


「まあ、迷惑をこうむったのはこちら側だからな。あんな奴らは派閥の中で飼っておけばよかったのにな」


「その分こちら側に有利な点もございました。責任を感じたのか、出身派閥の方々は、我々の新しい政策に賛成するとのことです」


「党内の根回しはこれでなんとかなるだろうな。あとは各省庁への根回しだな。財務省は渋いからなぁ」


「それは殿下とターナの腕次第にございますわね」


 メイ・フィブリルがほほ笑んだような気がした。


 すでに仁科〈ターナ〉は到着していた。


 なにもない空間をあちこち見ているのは、メイ・フィブリルがいるのか気になるのだろうか。


 まずは若者の貧困は自己責任――この失言からだ。


 財務大臣、財務事務次官、文部科学大臣、文部科学事務次官の四名と面会する。


 名前は調べたはずだが忘れてしまった。


「皆に来てもらったのはほかでもない、先日の西澤大臣の発言の件だ。私は非常に腹立たしく、怒りを感じている。私たちは人生の先輩であり、社会に出たばかりの後輩を助けて成長させるのが責務だ。政府として何ができるのか考えた。学生時代の奨学金というのは結構な額になるらしいな。彼らが学生時代に受けた奨学金の返済のために経済的に苦しくなったり、結婚が遅れるなど、制度の趣旨ではない。それこそ何のための奨学金かわからないではないか。そこでだ―――」


 田村〈ゲルルス〉は四名をじろりと見渡した。


「ひとつは返済が必要な奨学金はすべて無利子とする。有利子奨学金は8000億から9000億くらいで、0.1%の利率で8億円。金利の計算をするだけシステム組むのに手間がかかって損じゃないか。現在のところ無利子奨学金と有利子奨学金の条件に差があるが、そんな審査に人員を割くのも無駄であろう。希望者すべてに無利子で貸し付ければよい」


 財務事務次官と文部事務次官が前のめりになって口を開けて話そうしたときには田村〈ゲルルス〉がさらに話を続けていた。


「奨学金の返済は所得控除の対象とする。新卒社会人はほとんどがどこかの会社に就職するのだから、年末調整の時に証明書を提出すれば手続きに問題もない。来年から始めたい」


 ひととおり田村〈ゲルルス〉が喋り尽くしたのち、財務事務次官がうんうんと何度かうなずき、口を開けた。


「総理の若者に対する熱意はよくわかりました。ですが、誤解されている部分があるかと存じます」


「ほう、どこだ?」


「借入金の返済というのは基本的には所得控除の対象としてはいかがなものかと存じます。企業であれ、個人事業主であれ、借入金返済は経費にはなりませんので。後ほど担当の者が詳しく説明に伺います」


「そのようなことは百も承知だ」


 田村〈ゲルルス〉が目を細めて低い声で続ける。


「借入金の返済を経費にするのではない。奨学金を、仕事を得て生きてゆく上での経費として認めようということだ。学生の時に学費や教科書代、生活費に使っているのがほとんどなので、それらを経費とみなすということだ。これなら経理上よく行われていることなので、問題なかろう。経費算入の時期は奨学金返済時とする」


「文部科学省としても、総理のご意向に沿って進めていきたいと存じます」


 事前に示し合わせていたか。財務事務次官が一瞥する。


「財務省としましては、減税となりますと、財源を探さねばなりません。無い袖は振れないのですよ」


「所得控除であれば、減税額は奨学金の2割程度までであろう。ざっと計算すれば2000億円くらいか。それくらい予算に組み入れることはできるだろう? 景気対策としては中流階級に恩恵があるこの減税が最も効果があるであろう。国債発行をその分増やしたところで大した額ではあるまい。国家予算なんて、毎年余剰金が出て翌年に繰り越しておるのだ。よし、今年度の補正予算として行う。来年度からは恒久的に組み入れよう」


「官房長官、経済財政諮問会議に早急に議題にあげるように」


 浮気大臣と妻への失言大臣の件については、女性関連としてまとめて政策化した。

 女性が生きやすくなる社会について、財務省と総務省、厚生労働省相手に説明した。田村〈ゲルルス〉は疲れたので、仁科〈ターナ〉が主に取り仕切った。逃げようがないことを先ほどの打ち合わせで悟ったのか、思ったよりもスムーズに話は進んだ。具体策については、テレビ番組で国民に伝えよう。


 政策としての仕組みは作り上げたので、あとはこれを国民にアピールするだけだ。ニュースにのせただけでは、インパクトが少ない。日曜日の討論番組や平日昼間のワイドショーに出演して存在感を高める必要がある。

「政治について関心がある、良く考えている」と自認している人々には、「政治に関連したテレビをよく見ている」だけの人が多いのだ。


 夕日新聞や夕日テレビは喜びを隠しながら深刻そうに報道している。四慶新聞は遠慮しつつも報道している。田村〈ゲルルス〉は保守とか革新とか関係なくて侵略する側だから、右翼とか左翼とか関係ないのだけど。保守とか金持ち優遇とか批判したり、日本の伝統が大事とか忠告してくれるが、日本にアウグスト星人を移住させるのが目的なので痛くもかゆくもない。


 総理秘書官の一人が近寄ってきた。


「総理、これから記者会見です。ご指示通り、こちらが発表したいことは文書にして伝えてありますし、質問事項も事前にまとめてもらっています」


「結構。官房長官を中心に、質問への返答もまとめておいてくれ」


 質問は事前に内容を確認できるよう、根回しをしておいた。これくらいのことは認められてしかるべきであろう。


 問題は明日のテレビ番組への出演である。生放送ゆえのトラブルはつきものであるし、悪意に満ちた質問もあるやもしれぬ。だが、こちらが伝えたいこと、訴えたいことは揺るがないのだから、貫き通せばよい。不安な表情を見せたり、発言がぶれたりしたら終わりだ。

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