第20話 個展
先生がいなくなって、どのくらい経ったやろう。先生と出会った場所に座り込んでいた、やせっぽちのキジトラの子猫を拾った。
「腹減っとるんか?」と聞いたら「みゃあ」と小さく鳴いたので、パーカーのポケットに入れて連れ帰った。困った時はお互い様や。二代目ガリレオはカメラも使えへんし、絵も描けへんけど、先生に似たのか月が好きで、夜になると出窓の端に座って空を見上げて、ニャアニャア鳴いとる。その後ろ姿を撮った写真を先生が残したインスタグラムに投稿した。タイトルは「がりれお」。たった一枚の写真で二代目ガリレオは人気者になり、スタジオを我が物顔で歩く看板猫になった。甘えん坊で来客が嬉しく、時には頑固で譲らず、家族でもないのに七五三の集合写真に入れてもらう事もあった。
二代目が助けてくれた事をきっかけに、僕は気持ちに区切りをつける意味も込めて、「二人三脚~ミツシゲとガリレオ」という写真展を開く事にした。タイトルはそのまんま僕のまっすぐな気持ちやった。先生が撮った写真もたくさん展示した。先生が帰ってしまう前にこうするべきやったんちゃうやろか。ひとつ自分が前に進むたびにそう思ってしまう。僕が泣きそうになる時、なぜか二代目が必ず小さくみゃあと鳴く。先生は星になると言っておきながら、猫になったんやろか。
個展タイトルのガリレオは先生のことやけど、お客さんは皆展示会場を悠々と歩いている猫のことやと思ってくれている。「なんで猫の名前ガリレオなの?」と聞かれたら「ガリレオが大好きなんや。」と胸を張って今なら言える。初めての個展は大盛況やった。ポストカードやカレンダーもたくさん売れ、撮影の依頼も入った。先生、見とるか。頑張っとるで。
一人の女性がいつまでも動かず一枚の写真に見入っていた。
「悲しそうな写真ですね。」声を掛けようとした瞬間、彼女の方が先に口を開いた。彼女がそう言ったのはサンタ・クローチェ教会の外観の写真。きれいな写真とか、構図のいい写真という感想は聞いた事があるけど、悲しそうな写真というのは初めてで、撮った僕自身戸惑った。「え?」青空の下、光を浴びて建つ教会の写真はむしろ明るい写真やった。
「あ、すみません。撮影をされたご本人に大変失礼な事を言ってしまいました。」すらりと背の高い細身の女性がこちらを向いて頭を下げた。
「いえ、感想は人それぞれやし。ま、悲しそうって確かにあまり聞かへんけど。」彼女は僕の言葉が終わらないうちに、再び視線を同じ写真に向けて言葉を続けた。
「ファインダーを覗いている目が悲しんでる?」写真に語りかけているようにも見える。この彼女の一言は、悲しい理由を誰にも話せない苦しさを抱えた僕の心の琴線に触れた。
「そんなもん写りませんよ?」笑って必死で答えた。何か話していないとまた泣いてしまいそうや。たった一人のおっさんと会えなくなっただけの事がなぜこんなに悲しいんやろ。
「この写真、絹目の6号パネルにして売ってもらえますか?」彼女が振り向いて言った。
「え?悲しそうに見える写真買うん?不幸にならへん?」
「大丈夫ですよ。すごくきれいな写真じゃないですか。気に入ってさっきから動けなかったんです。」笑うと左頬だけエクボが出る。
「引っ越してきたばかりなんです。リビングの白い壁に絶対合うと思って。」
「今回の個展で、たくさん注文をいただいていて、混み合ってしまってお待たせするかも知れへんけど、仕上がり次第送りますね。」注文書の控えを渡すと、
「楽しみに待っています。」と笑顔で去って行った。
数日後、仕上がった写真を丁寧に梱包してビートルの後部座席にそっと置いた。彼女の家は車で30分程の所にあった。
「なぁ、なんで彼女の注文だけ宅配便使わへんの?」空で先生がニヤリと笑っている。チャイムを鳴らすと「はーい。」という声と共に玄関の灯りが点いた。
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