第10話 観劇
ほんまにこれでええのか?正直なところ僕は少し不安やった。先生がどうしても僕の行きたいところに一緒に行きたいと言うから、難しい言葉が分からなくても楽しめる所がいいだろうと思って、マジックバーに連れて行った。自分が引いたカードのナンバーを言い当てるバーテンダーを質問攻めにして、先生はそれなりに楽しんでいるように見えた。なのに、
「言葉の事を気にしないで欲しいんや。」と帰り道にぽつりとつぶやいた。
つまらなくても知らんで。それで僕は先生を演劇鑑賞に連れて行く事にした。なかなか取れない人気のある劇団の舞台。見栄を張って誘う相手もいないのに二枚買ったチケットが無駄にならずに済んだのは良かったけど、第二次世界大戦の時の日本兵にスポットを当てた話なんか、絶対に先生には分からへんやろ。開演前に買ったパンフレットを斜め読みしながら思った。
ところが、先生の語学力が上がったのか、役者の演技力のせいなのか、ストーリーの流れはある程度理解出来ているようやった。それどころか、はまってしもうた。大勢の兵士が命を落とし、最後には五人になり、終戦後生き延びた者は一人だった。会場のあちこちから観客のすすり泣く声が聞こえる。毎回重いテーマを見事に演じ上げる劇団や。特に生き残った一人を演じる役者の表現力がすごい。圧倒的な存在感で、女性客に交じってついつい泣いてしまいそうになる。大勢の役者さんが舞台に立つ中、先生も同じ俳優に心を奪われていた。前のめりになって、観劇している姿が微笑ましくて、嬉しかった。
二時間ちょっとの舞台があっという間に終わり、カーテンコールで役者さん達がステージに戻ってきた時、先生は真っ先に立ち上がり、両手を頭の上まであげて拍手をしながら「サクライー!」と役名を叫び出す。あかんて、僕はそういうの好きちゃうねん、座れや。しかも呼び捨てはあかん。そんな事を言う間もなく、先生に続いて会場が総立ちになり、スタンディングオベーションはいつまでも続いた。真っ先に立ち上がったヒゲもじゃの外人のおっさんは、ステージからも目立ったのだろう、サクライ役の俳優さんは先生の方を見て笑顔で手を振ってくれた。
先生がいなかったら、僕は一生天体望遠鏡で土星の輪っかを観て感動する事なんてなかったやろうと思う。先生も僕がいなかったら、このお芝居を観ることはなかった。共有ってこういうことなんやろか。一人で来るよりずっとずっと楽しかった。この無邪気なおっさんと過ごす時間はなかなか愉快で心地いい。
「先生、またチケット取れたら行くか?」そう尋ねる僕の言葉が終わらないうちに、「もちろん!次はいつや?」と興奮気味に答える姿に笑ってしまった。
数日後、仕事から帰ったら冷蔵庫が缶コーヒーで一杯になっている。
「先生!何やねんこれ?」
「サクライさんが飲んどるやつ。」現実との区別がつかなくなったのか、先生は役者さんがテレビCMで飲んでいるコーヒーを山のように買って来ていた。別の日には、商材の仕入れでお世話になっているカメラ屋さんに頼みこんで、店に貼ってあったサクライさんの写っている広告のポスターをもらってきてしまった。
今、先生の部屋の壁には自分で描いた彩色を終えた月の絵と木星の絵、そしてその間にサクライさんのポスターが飾ってある。先生、女子高生がやるやつやん。しかも若い女優さんならまだしも、この俳優さん先生と同じくらいの年齢やからな。おっさんがおっさんのポスター貼ってどないすんねん。しかも先生の休憩時間(それは大概僕の休憩時間でもある)には、一台しかないテレビが独占され、僕がコツコツ買い集めた演劇やバラエティのDVDだけが繰り返し再生されるようになった。サクライさん(役者さんの名前、本当は研さんと言うのやけど)は舞台の上で一人美しく死んでいったり、悲しく一人で生き残ったりする。先生は台詞を覚えてしまうほど繰り返し様々な作品を鑑賞しているのに、毎回同じ所で大声を出したり、号泣したりしている。世の中で何が起こっているのか、ニュースを見る機会がめっきり減ってしまったけど、これで良かったんやろ、うん。きっと良かったんや。
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