第9話 一人旅・天体望遠鏡

 ミツシゲは今まで風景や建築物の写真を撮る仕事をメインにやってきていたが、私が少しずつ言葉を学び、機材の使い方を習得すると、照明とレフ板を導入しポートレートや商品撮影も手掛けるようになった。正装で家族の記念写真を撮る時に、関西弁のイタリア人は重宝された。じっとしているのが嫌で泣く子供に、青い瞳のおっちゃんがアニメキャラクターの台詞を元気に叫ぶとそれは素敵な笑顔を見せてくれる。ひげを触らせて欲しいといつまでも帰してくれない子供とは心ゆくまで遊んであげた。

 

 私はいつの間にか少し有名になり、ミツシゲは(後から知ったのだが)元々その業界ではそこそこ名の知れたクリエイターだったのが、さらに実力をつけ有名になった。年下の写真家をファーストネームで呼ぶ外人と、年上のアシスタントを先生と呼ぶ二人組は面白がられ、仕事も増えアルバイトの私のお給料もだいぶいい額になった。最初はミツシゲにおんぶに抱っこの生活だったのに、自分の食費だけでなく、光熱費を折半して、お小遣いを貯められるまでになった。そんな私にはどうしても欲しい物があった。


「ミツシゲ、望遠鏡が買いたい。店を知っていたら教えてくれないか。」食事をしながら相談してみた。

「望遠鏡?鳥でも観るんか?スポーツ観戦とか用途によって大きさも値段も変わってくるなぁ。今度一緒に見に行こう。」

「いや、違うんだ。星が観たい。」

「また星かい。先生ほんまに本家にそっくりやな。本物やったりして。あんな、先生。天体望遠鏡をウチのベランダに置いても、周りが明るすぎて観たいもんが観られへんと思うで。」


 以前観たドラマのガリレオ先生は星の話をしていなかったような気がする。そして、演じていた役者は仔犬のような愛らしい顔立ちの好青年で、私とは似ても似つかない。ミツシゲが「本家」というたびに誰の事なのだろうと思いめぐらせていた。


「おー、あったあった。先生、天体望遠鏡を買う前に、ここ行ってみたらどうや?」私がぼんやり本家に思いを馳せている間に彼はパソコンで何か調べてくれていた。

「天体望遠鏡付きのロッジが借りられるで。」星の観察を目的とする人のための小さな宿が山の中にあった。星を観るための望遠鏡は天文学者しか使わせてもらえない物だったのに、誰でも使えるようになっているのか。


「先生、もう会話も出来るし、一人で行ってみるか?ずっと働きっぱなしやったから、有給休暇や。安いバイト代で頑張ってくれてるさかい、旅費はボーナスとして支給や。ボーナスと有給休暇、分かる?臨時のお給料とホリデー。星の見えるコテージでバカンスや。」私のせいで、ミツシゲは時折変な日本語を話すようになってしまった。それはそうと、ボーナスとやらが決まるとその後の行動が早い。さっさと宿泊の予約手続きを済ませてくれる。買い物や簡単な配達は一人で行く事も多くなったが、単身で旅行をしたことがない。大丈夫だろうか。心遣いは有り難いし、何より楽しみだけれど、私は少し不安になった。

「送り迎えはしたるから、気にせんと楽しんできたらええやん。あ、ガリレオなんて名前で予約したらびっくりされるから、僕の名前で予約しといたからな。」なぜ、ガリレオという名前は驚かれるのだろう。思えば、一緒に暮らしてきてミツシゲは一度も私の事を名前で呼んだ事がない。初めて会った日に名前を聞いて笑い飛ばし、それからずっと「先生」と呼んでくる。宿泊するのに偽名を使わなければならない程、私の名前は変わっているのだろうか。この時代の決まりごとはよく分からない。ミツシゲがそう言うなら深く追求しないでおこう。いつか分かる日がくるだろう。


 前日、私は眠れなかった。それどころか日程が決まってから当日まで、気もそぞろで仕事が手につかない状態なのをミツシゲにばれないようにするのが大変だった。

いよいよ当日、仕事現場に向かう前にミツシゲは私を送ってくれた。キッチン付きのコテージに大量の食材を運び込み、

「ほな、五日後に迎えに来るから、楽しんでな。」と笑った。

「五日後?」

「当たり前やん、星観たいのに一泊しか予約せんと雨降ったら最悪やんけ。まぁ、当分天気良さそうやし楽しめると思うで。ほな行ってきます~。」と水色のビートルはあっという間に小さくなり、見えなくなった。


 粋なボスのはからいで、私は五日間の夢の様な休日を過ごす事となった。部屋に入り、荷ほどきを済ませたら、早々にシャワーを浴び、簡単な食事を作り、食べ終えたらすぐに床についた。昨日眠れなかったのと、今日一晩中起きておくためだ。


 しかし、結局子供の様なワクワクドキドキのせいで、日の沈まぬうちに早々と目覚めてしまった。夜まで楽しみに我慢しておこうと思っていたのに、それも耐えられず私は二階の展望室へ行ってみた。観測用ドームのど真ん中に鎮座する天体望遠鏡は想像以上に大きかった。私が研究のために使っていた望遠鏡とは似て非なる物。わずかながらでも自分の作った物が進化した姿を見られるかも知れないと期待していた事を恥じた。これはきっと後の世で発明、開発され、進化した物なのだろう。ミツシゲから借りたカメラで日が暮れるまで何枚も天体望遠鏡の写真を撮って過ごした。日没までがこんなに長く感じた日はない。


 辺りが真っ暗になった時、私は真っ先に月を観察した。クレーターがはっきり確認できる。天体望遠鏡には撮影する機能がついていないようだったので、見えた月の姿をじっくりと時間をかけて描いた。少しずつ位置を変えるだけで、裏側を絶対に見せてくれない月。そのミステリアスな姿を眺め続け、描き続ける事に没頭した。一枚描き終えた時にようやく疲れている自分に気付いた。何時間経ったのだろう。飲み物を取りにキッチンへ行き、ふと「この楽しさをミツシゲと共有したい」と思った。一人が嫌なのではなく、二人の方が心地いいのだ。言葉も分からず途方に暮れていた時の私にとって、彼は親の様な存在だったが、言葉が通じ合い、心が通い合うようになった今、仕事仲間であり、大切な親友になっていた。私が400年の昔から迷い込んだ事を知ったら、彼はなんと言うだろう。いつか元の時代に戻る事になったら二度と会えない、そして恐らく別れは出会いの時がそうであったように、急にやってくるのだろう。自国に愛する家族がありながら、それを想像するだけで恐ろしかった。


 まだ月しか観察していないのに、白々と東の空が明るくなり、星の数が減り始め、私はようやく自分の腹も減り始めていることに気付いた。思えば昨日チェックインしてすぐに軽食を摂っただけで、その後何も食べていない。夢中になると他の事を全て忘れてしまう。よく妻にも叱られた。一般的には朝食の時間だが、ミツシゲが揃えてくれた食材を使って、きちんとした食事を作った。肉を焼きサラダを作り、米を炊き味噌汁を作り、煮物も作ってお腹いっぱいになった後に、チーズを食べながらワインを飲んだ。満腹感と疲労感のせいで二日ぶりに激しい睡魔に襲われ、二日目の夜はあっという間にやってきた。月の次は木星を観よう、そう決めていた。


 この天体望遠鏡の精度には驚かされる。木星の縞模様も衛星もしっかり観る事ができる。木星を描きながら、「木星の衛星を見つけたのは私だ。」と言ったらミツシゲはどんな顔をするだろうと想像した。恐らく「アホな事言うな。」で終わってまうやろう。二日目は勝手が分かってきて、木星の観察だけで夜が明けてもさほど驚かず、夕食の様な朝食を摂り、ワインを飲んだ後は泥のように眠った。


 目が覚めたらキッチンにミツシゲがいた。

「心配になってな。パソコンで出来る事はここでやろうと思って、仕事切り上げてきたんや。食材の余り具合から察するに、飯も食わんと空ばっかり観てたんやろ。」と笑っている。テーブルの上には大皿に盛られたサンドイッチが置かれ、タンブラーには珈琲が入っている。

「これ持って二階へ行き。星はパン食ってる間に逃げたりせぇへんから。」私は目覚めて一分と経たないうちから、

「ミツシゲ!月のクレーターが!」

「木星の縞々が!」とお喋りが止まらない。この感動を早く聞いて欲しかったのに、私の口には乱暴に一切れのサンドイッチが放り込まれた。

「ええから、先に食べや。」一口齧って、初日の早朝同様、ようやく私は自分の空腹に気付いた。食事をしながら、ミツシゲは私の描いた月と木星の絵に見入っていた。「先生、これ色付けようや。部屋に飾ろう。すごいクオリティやで。」と感心しきりである。当たり前や。月も木星も数え切れないほど描き写してきた。私は画家ではなく、真実を追求する天文学者や。


「ほんで、今日は何を観るん?」貸したカメラに天体望遠鏡の写真ばかりが写っている事に大笑いしながらミツシゲが聞いてきた。

「今日は土星を観るだけで一晩終わってまうやろうなぁ。」

「お!土星の輪っか、僕にも見せてや!」この夜はとても賑やかな天体観測になった。さほど星には興味のなさそうだったミツシゲも土星の環には大興奮である。

「おー、来てよかったぁ!」と大騒ぎする彼の横で、私はひたすら土星を描いた。

「ミツシゲ、ほんまにありがとう。こんなに素敵な休暇をプレゼントしてくれて。今度はミツシゲが普段好きで行く所に連れて行ってもらえないやろか。そういうの共有したいねん。」天体望遠鏡を覗いたまま、「え?僕の好きなとこ?」と驚いている。「だって、先生まだ難しい日本語無理やんか。お芝居観に行っても台詞聞き取れへんやろ?どこがいいかなぁ。歌詞がないコンサートならノリで楽しめるやろか。」と何やら調べ始めた。

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