第6話 蕎麦
「なんやねん。酔うんか?今日の現場は車じゃないと行けない所にあるんやで!」車を嫌がる私をミツシゲは半ば強引に助手席に押し込んだ。まさか車という物を知らず、怖いから乗りたくないんだとは言えない。
「シートベルト!」ミツシゲが座ると車体が揺れ、唸りだした。見よう見まねでシートベルトなる物を装着したが、こんな物で私の身の安全が守られるのかと不安になる、5センチ位の幅のただの布だ。
「ほな行くでー。」ゆっくりと車が動き出したと思った瞬間、ガクンと急停止し、私は思わず声を上げてしまった。
「先生、やっぱり車に乗った事ないんやな?」隣でミツシゲが大笑いしている。どうやら私を驚かせるために、わざと車に急停止の指示を出したようだ。ゆかいで困った青年だ。
「安全運転で参りまーす!」ミツシゲは全てを見透かしているのか、不安いっぱいの私の気を紛らわそうといろいろな話をしてくれた。時々全ての車が行儀よく停止するのは、行きかう人を横断させるためで、機械に点灯されるランプの色によって決められているらしい。こんなにたくさんの人がそれぞれの目的地に向かう中、よくルールを守るものだと感心した。暴走している牛や馬はいない。そもそも、牛も馬もいない。私を気遣ってゆっくり走ってくれているとはいえ、車はかなりのスピードで進んでいた。気付けば人の姿が見えない。
「人が歩いていない?」
「あー、車専用の道。高速道路。これがあるから遠い所でもあっちゅう間に行けるんや。金取られるけどな。イタリアにはないんやろか。先生、車に慣れてきたから言うけど、今、時速100キロ出てるんやで。」息を飲む私にまたミツシゲは笑った。
「昼ご飯は日本らしい物にしようや。もうすぐ目的地やで。」いつの間にか周りの景色が変わっていた。怖くて車窓を楽しむ余裕がなかったのだ。気付けば山が目の前に迫っている。
入った店はミツシゲの行きつけのようで、店員さんと親しげに挨拶を交わしている。何を食べさせてくれる店なのだろうと悩む間などなく、「先生はきっと日本食を食べ慣れてないやろうから、適当に注文したで。」とメニューを見せてもくれない。まぁ、見たところで分からないのだけど。毎日仕事の合間に日本語の勉強をしているのだが、会話よりも文字が難しい。食事が運ばれてくるのを待っている間に、ミツシゲがテーブルに置かれた紙ナプキンに「SOBA」「TEMPRA」と書いた。
「ソバ?テンプラ?」
「おー読めるやんけ!今から食べるのは、蕎麦と天ぷらでーす」ミツシゲが言うと、絶妙なタイミングで料理が運ばれてきた。
「イタリアにパスタあるやろ?これは日本の代表的なヌードルや。」何だ?これは。確かに見た目はヌードルかも知れないが、
「石のような色をしている・・・。」フリットに似た天ぷらという料理は美味しそうだが、蕎麦は食べ物にあるまじき色をしていた。
「初めて見る人はそんな風に思うんや。」ミツシゲは私のリアクションに興味津々だ。
「先生、ちょっとその白いのと緑色の舐めてみぃ。」蕎麦の脇に添えられた小さい皿に、確かにペースト状の緑色の物と、綿を濡らしたような白い物がある。ミツシゲに特訓され、ようやく使えるようになった箸で、緑色と白を少しずつ口に入れてみた。「うわぁ!水!水!」辛い。スパイスのような辛さではなく、鼻を内側から刺すような辛さに慌てて水をがぶ飲みした。私はミツシゲのおもちゃになってしまったのか、またクスクスと笑っている。
「先生、白い方は大根。ラディッシュみたいなもんや。緑色のはワサビ。これが美味しいと思えるようになったら、粋なイタリア人やで。」私はそんな者にならなくていいから、一生ワサビは食べないと心に誓った。蕎麦はスープに浸けて食べる。スープ(つゆというらしい)に浸してしまう前に、そのまま食べてみた。甘く深い香りが口に広がる。「これは旨い。」少しだけ塩をつけると格別だ。何もつけずに蕎麦を味わう私にミツシゲは「粋な日本人やで。」と驚いた。
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