第5話 育児

「僕、高校生の頃、夏休みを使ってオーストラリアで短期留学した事があるんや。ホームステイってやつ。ホストファミリーの人ってこんな気持ちやったんやなぁ。」

 

 ミツシゲは私のためにベッドルームを用意してくれ、色々な事を教えてくれた。

「それにしても、先生はイタリアの山奥から来たんか?トイレの使い方も分からへんて。和式ならともかく洋式やで?それか大昔からタイムシープでもして来たんちゃうやろか?」トイレの洗浄ボタンを押しまくって、ずぶ濡れになってしまった。核心を突かれて息を飲む私の前で、ミツシゲは自分で言った冗談に自分で笑いながら、手早くトイレの床を拭き、私にバスタオルを放り投げる。


 アシスタントとは名ばかりで、私は教えてもらわなければトイレも使えないのだ。この世界には電気というエネルギーがあり、その力で食品を長期保存したり、食べ物を温めたり、室内の温度を変えたりしている。使い方を間違えた時に対処出来そうにないのに、私は冷蔵庫を分解して理屈を確かめたくなった。物理学者の持病の様な物だ。いつかお金を貯めて自分の冷蔵庫を買う事にしよう。


 私の仕事の始まりはミツシゲの育児の始まりの様なものだった。お風呂の沸かし方、掃除機の使い方、台所の使い方全てを丁寧に教えてくれた。言いかえれば、教えてもらわなければ、私は何一つ出来なかった。私の暮らしている時代からどのような過程を経てこのような進化がなされたのか分からない。とにかく全てが新鮮で不思議で楽しい。ミツシゲは「洗濯しといて」と言うけれど、私の作業は洗濯をする機械を作動させるだけだ。掃除機に掃除をさせ、洗濯機に洗濯をさせ、コーヒーメーカーに珈琲を淹れさせて、ミツシゲの所へ運ぶと

「おー、先生ありがとう。一緒に休憩にしようや。面白いもんがあんねん。」と仕事場の隣のドアを開けた。そこにはソファとテーブルが置かれている。この部屋にも何も描かれていない額縁があり、掃除をしながら気になっていた所だった。


 私の心を見透かしたように、ソファに座ったミツシゲは額縁に絵画を浮かび上がらせた。いや、仕事場の物とは違い、音が出る。そして中の絵画が動いている。一体どうなっているのだ?額縁の後ろ側を声を上げて覗き込む私に

「テレビ知らんて、ほんまにどんな田舎で暮らしてんねん。僕も子供の頃、そうやって、中の人触ろうとして笑われたわ。」とミツシゲが隣に座るよう私に促しながら言った。

「先生にドラマ見せたいねん。英語の字幕付けたらちょっとは分かるやろ?僕のお気に入り。先生はどうやろなぁ。」彼が何か操作したら、違う絵画が動き始めた。いや、絵画ではなく、演劇のような物だ。ストーリーがある。画面にたくさんの数式と共に私の名前が出てきた。驚きを隠せない私をミツシゲがにやにやしながら見ている。「ガリレオ先生」というあだ名の物理学を専門とする大学教授が、刑事に頼まれて殺人事件の解決の手助けをするという話だった。なるほど、ミツシゲが私の事をふざけて「先生」と呼ぶのは、この演劇を好んで観ていたからなのだ。それにしても、物理学者で名がガリレオとは、この時代で私の末裔が活躍しているのだろうか。可能ならば会ってみたいものだ。未来の異国へ来てしまった不安はいつの間にか小さくなり、私は好奇心の塊になっていった。


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